「咲子が大山に会う」ことを西郷に伝える浩〜「政府高官・陸軍歩兵大佐」の浩・軍における佐官の職位と権限・「15歳差」の意味〜|山川捨松43・人物像・エピソード

前回は「「世界最高の文化の大都」だったパリ〜大久保が震えた「西郷下野+木戸下野」・「台湾出兵総大将」西郷従道・「落城した会津城」の記憶・陸軍トップの西郷・大山コンビ〜|山川捨松42・人物像・エピソード」の話でした。

山川咲子(捨松)(Wikipedia)
目次

「政府高官・陸軍歩兵大佐」の浩:軍における佐官の職位と権限

New Educational Voyage
左上から時計回りに、山川咲子、大山巌、西郷従道、山川浩(国立国会図書館、Wikipedia)
山川咲子(架空)

薩摩なんて、
絶対に嫌!

結婚相手候補の「薩摩出身」の大山巌参議・陸軍卿に対して、こういう流れも予期された中、

山川咲子

いいわ・・・
一度会ってみましょう・・・

山川浩

いいのか?
咲子・・・

この頃の浩と咲子の会話に関しては、記録が一切ありません。

これは「二人だけの話」であり、記録に残す類のものではありません。

そのため、全ての会話は筆者の憶測となりますが、おおよそこのような会話がなされたと考えます。

名前生年1882年時点の状況
西郷吉之助(隆盛)1828戦死(1877,西南戦争)
大山巌1842参議・陸軍卿
西郷信吾(従道)1843参議・農商務卿(前陸軍卿)
山川浩1845歩兵陸軍大佐
山川咲子1860米国留学後、準備中
山川兄妹と大山巌及び親戚

当時は、陸軍歩兵大佐という重職にあった山川浩。

職位立場
将官大将・中将・少将
佐官大佐・中佐・少佐
尉官大尉・中尉・少尉
陸海軍の職位と立場

戦前までの帝国陸海軍の職位は、上の表の通りです。

現在の自衛隊も類似していますが、「軍ではない」ため、「一佐=大佐」などと呼びます。

上の表の通り、左官の上には将官がいますが、将官は「ある年齢を超えた管理者的立場」でした。

大佐は、極めて強力な権限を持ち、事実上、陸海軍ともに「大佐が軍を動かす」立場でした。

この点から、当時の山川浩は、「政府高官」であることは間違いない存在でした。

さらに、現在の政府高官よりも、はるかに地位も名誉も高かったのが明治維新政府でした。

山川咲子

お兄さんの
立場もあるでしょう・・・

浩は「政府高官」とは言え、相手は参議・卿(大臣)の大山巌と西郷従道。

明治政府が1868年に誕生し、久しぶりの「天皇親政」となって復活した参議という職責。

明治維新と建武の新政に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

政府内の「内輪揉め」で、参議は頻繁に入れ替わり、メンバーと人数は度々変わりました。

参議の最大数は11名という説が有力であり、「西郷+木戸のみ」の時期も瞬間的にありました。

「咲子が大山に会う」ことを西郷に伝える浩:「15歳差」の意味

新教育紀行
空と雲(新教育紀行)
西郷従道

どうなる
ごわすか・・・

この頃、仲介者であった西郷従道 参議・農商務卿は、「大山+咲子の行方」に対して、

西郷従道

咲子さんが「会うのすら断る」
可能性は十分ある・・・

このように感じ、大いなる危機感を感じていたでしょう。

「大山+西郷」のコンビは、当時の陸軍士官にとって「強烈な圧力」以外の何物でもありませんでしたが、

西郷従道

おいどんは、
咲子さんの意思を尊重したいごわす・・・

写真からして、比較的温厚であった西郷従道は、こう考えていたでしょう。

名前生年1882年時点の状況
西郷吉之助(隆盛)1828戦死(1877,西南戦争)
西郷吉二郎1833戦死(1868,戊辰戦争)
西郷信吾(従道)1843参議・農商務卿
西郷小兵衛1847戦死(1877,西南戦争)
西郷家の兄弟

「鳥羽・伏見」によって、戊辰戦争が開始した1868年に、25歳を迎える頃だった従道。

この頃は、「15歳離れた兄」西郷隆盛に付き従って、戦争の世界を駆け抜けました。

西郷従道

おいどんは、15歳年上の
兄にずっと従ってきた・・

西郷従道

実に、実に多くの戦場や
政争を見てきた・・・

西郷従道

そして、5年前には
西南戦争を迎えた・・・

名前生年1882年時点の状況
西郷吉之助(隆盛)1828戦死(1877,西南戦争)
山川浩1835歩兵陸軍大佐
西郷信吾(従道)1843参議・農商務卿
山川咲子1860米国から帰国・準備中
西郷家と山川家

西郷隆盛と西郷従道は、「15歳の年齢差」でした。

そして、山川浩と山川咲子の年齢差も「15歳の年齢差」でした。

西郷家と山川家で、兄弟と兄妹の違いはありますが、同じ「15歳の年齢差」でした。

この同じ「15歳の年齢差」を、当人たちが気づいていたか不明です。

つまり、兄弟・兄妹関係は、西郷家と山川家で「非常に似ている」環境にありました。

当時は子沢山の時代だったので「15歳差」は、比較的よくあることでした。

新教育紀行
山本五十六 連合艦隊司令長官(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

浩、咲子が話していた1882年の2年後、1884年に誕生した山本五十六。

山本五十六

父が五十六歳の時に
生まれたので、五十六と命名された・・・

父親が五十六歳で生まれたため、長兄の高野(山本の実家・旧姓)譲とは年が離れていたでしょう。

長兄・譲の生年は不明ですが、少なくとも15歳は年齢が離れていたと思われます。

山川浩

それでは、まずは
仲介者の西郷参議に・・・

山川咲子

そうね・・・
それが良いわね・・・

咲子の「会う意思」を、まずは仲介者の西郷従道に伝える必要があります。

ここで、どのように浩が西郷従道に知らせたかは、不明です。

現代ならば「メールか電話一本」ですが、当時は、

山川浩

西郷参議に、「咲子が会う」と
伝えてくれませんか・・・

陸軍士官T

分かりました。
すぐに伝えます・・・

このように、「信頼できる人物に伝言を依頼した」と思われます。

西郷従道

咲子さんが
巌に会ってくれるか!

西郷従道

本当に良かった・・・
おいどんも安心したごわす・・・

伝言を聞いた西郷従道は、心底ホッとしたでしょう。

西郷従道

いやぁ・・・
良かったごわす・・・

西郷従道

あとは、二人の
間次第ごわす・・・

こうして、「山川咲子と大山巌が会う」ところまで、ようやく辿り着きました。

山川浩

・・・・・

ここから先は、「全ては咲子次第」となります。

新教育紀行

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