山口多聞 29〜将兵の疲労〜|ミッドウェー

前回は「山口多聞 28〜Midway作戦開始〜」の話でした。

山口多聞 司令官(Wikipedia)
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攻撃の原動力の若手たち

淵田美津雄 第一航空艦隊赤城飛行長(Wikipedia)

真珠湾以降、攻撃隊の指揮をとり「攻撃隊の要」だった淵田中佐。

海兵52期の淵田は、40期山口・41期草鹿の11歳程下で、最前線にはうってつけの経験者でした。

この大事な時に・・・

もう一人、淵田と同期に重要人物がいます。

源田実 第一航空参謀(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)

淵田と同期52期の源田実は「航空隊のプロ」と言われ、第一航空参謀でした。

同期で仲良しだった源田と淵田。

淵田。
航空隊の指揮は任せた!

源田は、
作戦指揮を頼む!

南雲長官を支える草鹿参謀長の下で、作戦の実質指揮を執る源田参謀。

機動部隊は「南雲艦隊」ではなく、
「源田艦隊」だよ。

と言われるほど、非常に大きな権限を持っていました。

疲れていた将兵

まさに、機動部隊の「若手の両輪」と言える淵田中佐と源田中佐。

ミッドウェー作戦開始の頃に、疲労が蓄積して虫垂炎となった淵田中佐。

この大事な時に・・・

しかし、手術と療養のために攻撃隊に参加できません。

第一航空艦隊 旗艦 空母赤城(Wikipedia)

実は、淵田だけではなく、源田もまた体調を壊していました。

熱があって、
立っているのも辛い・・・

具体的病名は不明ですが、とにかく疲れていたのでしょう。

真珠湾以来、半年ほどの間、太平洋からインド洋まで広大な地域で戦いを続けていたのです。

ミッドウェー作戦地図(歴史街道 2022年8月号 PHP研究所)

しかし、この大事な時、
私がいなければ・・・

源田は倒れそうになりながらも、作戦指揮に加わります。

この最重要作戦の開始後に、「若手の両輪」の不調。

空母機動部隊にとって、致命的な事態でした。

これは・・・

非常にまずい事態だ。

やはり、皆疲れているのだ。

日米の科学技術の差

日本よりはるかに科学技術が進んでいた米国。

当時の日本軍では、考えられないような最新鋭設備を米軍は活用していました。

Chester Nimitz米太平洋艦隊司令長官(Wikipedia)

Japanの艦隊を
逐次補足せよ!

当時の米海軍では、空母などの艦隊と航空隊が「直接電話で話す」ほど技術が進んでいたのです。

対して、艦隊と航空隊が「電話で話すなど考えられない」日本は、電気信号に頼っていました。

国力の違いだけでなく、科学技術の差も非常に大きな日米でした。

「科学立国」と言われてきた日本。

現代でも、米国との差は非常に大きいのかもしれません。

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