前回は「「恐れ多い」極みだった昭和天皇のお声〜天皇と総理大臣の格の差・阿南陸相と鈴木首相の心の会話・「暴れ馬+猛牛」暴れ回り続けた軍部〜」の話でした。
軍部の横槍「ポツダム宣言受諾は枢密院議決必要」:極めて複雑な政府構成

終戦へ、確実に、着実に向かわせようとしていた大日本帝国政府。

現代の視点から考えれば、日本の都市の大部分が焦土と化していた中、
大日本帝国(架空)我が国は、
連合国に降伏します。
このように、大日本帝国政府が政府として決定し、発表すれば、「それで済む話」であるように感じます。





鈴木総理が詔書を読み上げるのを聞いて、
一般国民がどこまで納得してくれるか、



また、軍と共に戦争継続を主張している右翼団体などが
総理大臣官邸その他へ押しかけてきて、



大混乱が起こることも
予想された。



陛下のお声を聞けば、
いかに右翼団体といえども、



終戦に反対することは
できないだろうし、



国民のみんなが
納得するだろうと考えた。
ところが、当時は、国民(臣民)、軍部、右翼など全員に「降伏を納得させる」ためには、「昭和天皇の言葉」が絶対必要でした。



閣僚のほとんどは、陛下から親しく
おさとし願うのが一番良いとの意見を持っていたので、



色々な論議はあったが、つまるところ、
八月十五日の正午を期して、



陛下のお声を
国民に直接伝えるということになった。



この旨を陛下に
奏上すると、陛下は、



今からでもすぐ録音を
とろう。



と
言われた。



閣議の間に、国務大臣の
下村宏情報局総裁から、



放送局(いまのNHK)に
この旨を伝えて、録音の用意をさせ、



閣議が済むとすぐ、下村国務相は
皇居へ参内して、録音に奉仕した。
「昭和天皇がNHKに自ら行く」など、到底考えられなかった当時。
当時は、「録音する」のは相応に大変な作業であり、下村国務相が前線に立ち、NHKが「玉音放送」作成に向けて、フル稼働しました。



実は、この間に、
軍から難題が持ち込まれた。
とにかく「終戦の決定」を潰そうとしていた軍部。



軍の言い分は、
こうである。



ポツダム宣言を受諾するのは、
国と国とが結ぶ条約の一種だから、



枢密院本会議での議決を
必要とするので、



終戦の詔書を交付する前に、
その手続きを踏むのが当然である!



わたしは、このことに
十分気づいていた。



だからこそ、九日、及び、十四日の御前会議に
平沼枢密院議長に特に参加してもらい、



枢密院サイドの意見も開陳していただく機会を
作ったわけである。



ただ、通常の場合のように枢密院の議に付すると、
そのため、さらに時間を要することになるばかりでなく、



その間にどんなことが起こるか
予想がつかない。



何かにつけてクレームを持ち込んでくる
陸軍は、ここで時間を稼いでおいて、



新しい行動を
起こすかもしれない。



だからこそ、
わたしはそれを恐れた。
現代では、条約締結は外務省の権限で行えます。
ところが、当時は、条約締結に関しては、「外務省の上の機関」である枢密院がありました。
そのため、ある見方をすれば、外国との条約締結に関しては「枢密院は外務省の上」だったとも言えます。
そもそも「外務省」は、現代廃止となった「内務省」の反対の職務を示し、主たる業務は「外=外国との交渉・折衝」でした。
外国との交渉・折衝には、様々な話し合いがありますが、最終的にはなんらかの協定や条約に結びつけて、明文化しなければ意味がありません。
そして、協定に関しては、外務省に権限が委託されていたと思われますが、最も重要な条約に関しては、外務省は「実務権限のみ」の状況でした。


帝国政府と大本営が両立しているだけでも、極めて意思統一が成立しにくい組織だった大日本帝国。
さらに、枢密院、貴族院などがあり、とにかく複雑極まりない政府構成だったのが、大日本帝国でした。
何事も決定出来ない機構だった大日本帝国政府:「枢密院議決」排除





陸軍の意見としては、
枢密院議決が必要、と考える。



ところが、改めて閣議の席上、
陸軍大臣から陸軍の意見として、



こんなことを言い出されると、
これ以上知らぬ顔で通すわけにはいかない。
この日は、1945年8月14日であり、この夜に「いとま乞い」を鈴木首相にする阿南陸軍大臣。



陸軍大臣!
我らの存念を、はっきり閣議で申し上げていただきたい!



うむ・・・
ところが、「軍部=部下の要請」を却下すれば、その場で「暴発開始」となることが予想されました。
そのため、阿南陸相としては「軍部を抑える」ために、「軍部の意向を表明せざるを得ない」立場でした。



・・・・・
この頃の、阿南陸相の「真の心」は本人による記録がない以上、「予想する」以外にありません。
実に、実に辛い立場だったであろう、阿南陸相。



わたしはこと緊急で、
時間をかけるわけにいかないことを説き、



九日及び十四日に開かれた
御前会議のメンバーに平沼枢密院議長を加えた事情を説明して、



陸相の
了解を求めた。



まさにお話の通り、条約締結の範疇に属することですから、
枢密院の議を経なければならないことは、



十分に
知っております。



・・・・・



ただ、連合国側への返事の関係上、
全く時間的な余裕がありませんので、



御前会議の席に平沼議長の出席を
お願いしたことによって、



正式の枢密院会議は
省略しても良いものと考えます。



閣僚の多くは、わたしの見解に賛成したが、
鈴木総理は、なかなか慎重だった。



・・・・・
ここで、肝心の鈴木総理が「慎重な見解」となってしまい、「枢密院の議決が必要」かもしれない事態に追い込まれました。
ここで、「枢密院の議決」など呑気なことをやっていては、軍部が何をするか分かりません。



枢密院の議決には、
時間がかかるはずだ・・・



その間に、形勢を逆転させ、
本土決戦に持ち込むのだ!
さらに、米軍がいきり立って、何をしてくるか分からない状況でした。
本来ならば、ここで、鈴木総理は「強行すべき」でした。



・・・・・
ところが、鈴木総理は、それを「しなかった」というよりも「出来なかった」のでしょう。
それほど、当時の内閣総理大臣の権限は極めて限定的であったのでした。



・・・・・
ここから、「大日本帝国最後の四か月」は、「法制局長官の法律解釈」によって、「枢密院議決必要なし」となった事実を詳細に綴っています。



法律の解釈上から見て、事前に枢密院の
議にかける必要はないので、このままで。



うむ・・・



深く争うこともなく、
この一件は落着した。
そして、なんとか「枢密院議決を排除」することに成功した、迫水書記官長。





ここは、私がAが最善と
思うから、Aで決定!
米国であれば、「大統領の一言」で済むことが、実に、実に多くの人が関わらなければ、「ちょっとしたこと」も決定できなかったのが、大日本帝国政府の実態でした。



なんとか、枢密院議決は
回避したが・・・
そして、やっと、いよいよ、帝国政府の「ポツダム宣言受諾」による正式な降伏へと向かいます。

