軍部の横槍「ポツダム宣言受諾は枢密院議決必要」〜極めて複雑な政府構成・何事も決定出来ない機構だった大日本帝国政府・「枢密院議決」排除〜|ポツダム宣言から敗戦の真相64

前回は「「恐れ多い」極みだった昭和天皇のお声〜天皇と総理大臣の格の差・阿南陸相と鈴木首相の心の会話・「暴れ馬+猛牛」暴れ回り続けた軍部〜」の話でした。

目次

軍部の横槍「ポツダム宣言受諾は枢密院議決必要」:極めて複雑な政府構成

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皇居(新教育紀行)

終戦へ、確実に、着実に向かわせようとしていた大日本帝国政府。

新教育紀行
1945年敗戦時の東京(Wikipedia)

現代の視点から考えれば、日本の都市の大部分が焦土と化していた中、

大日本帝国(架空)

我が国は、
連合国に降伏します。

このように、大日本帝国政府が政府として決定し、発表すれば、「それで済む話」であるように感じます。

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)
大日本帝国最後の四か月

鈴木総理が詔書を読み上げるのを聞いて、
一般国民がどこまで納得してくれるか、

大日本帝国最後の四か月

また、軍と共に戦争継続を主張している右翼団体などが
総理大臣官邸その他へ押しかけてきて、

大日本帝国最後の四か月

大混乱が起こることも
予想された。

大日本帝国最後の四か月

陛下のお声を聞けば、
いかに右翼団体といえども、

大日本帝国最後の四か月

終戦に反対することは
できないだろうし、

大日本帝国最後の四か月

国民のみんなが
納得するだろうと考えた。

ところが、当時は、国民(臣民)、軍部、右翼など全員に「降伏を納得させる」ためには、「昭和天皇の言葉」が絶対必要でした。

大日本帝国最後の四か月

閣僚のほとんどは、陛下から親しく
おさとし願うのが一番良いとの意見を持っていたので、

大日本帝国最後の四か月

色々な論議はあったが、つまるところ、
八月十五日の正午を期して、

大日本帝国最後の四か月

陛下のお声を
国民に直接伝えるということになった。

大日本帝国最後の四か月

この旨を陛下に
奏上すると、陛下は、

昭和天皇

今からでもすぐ録音を
とろう。

大日本帝国最後の四か月

と
言われた。

大日本帝国最後の四か月

閣議の間に、国務大臣の
下村宏情報局総裁から、

大日本帝国最後の四か月

放送局(いまのNHK)に
この旨を伝えて、録音の用意をさせ、

大日本帝国最後の四か月

閣議が済むとすぐ、下村国務相は
皇居へ参内して、録音に奉仕した。

「昭和天皇がNHKに自ら行く」など、到底考えられなかった当時。

当時は、「録音する」のは相応に大変な作業であり、下村国務相が前線に立ち、NHKが「玉音放送」作成に向けて、フル稼働しました。

大日本帝国最後の四か月

実は、この間に、
軍から難題が持ち込まれた。

とにかく「終戦の決定」を潰そうとしていた軍部。

大日本帝国最後の四か月

軍の言い分は、
こうである。

軍部

ポツダム宣言を受諾するのは、
国と国とが結ぶ条約の一種だから、

陸軍省

枢密院本会議での議決を
必要とするので、

陸軍省

終戦の詔書を交付する前に、
その手続きを踏むのが当然である!

大日本帝国最後の四か月

わたしは、このことに
十分気づいていた。

大日本帝国最後の四か月

だからこそ、九日、及び、十四日の御前会議に
平沼枢密院議長に特に参加してもらい、

大日本帝国最後の四か月

枢密院サイドの意見も開陳していただく機会を
作ったわけである。

大日本帝国最後の四か月

ただ、通常の場合のように枢密院の議に付すると、
そのため、さらに時間を要することになるばかりでなく、

大日本帝国最後の四か月

その間にどんなことが起こるか
予想がつかない。

大日本帝国最後の四か月

何かにつけてクレームを持ち込んでくる
陸軍は、ここで時間を稼いでおいて、

大日本帝国最後の四か月

新しい行動を
起こすかもしれない。

大日本帝国最後の四か月

だからこそ、
わたしはそれを恐れた。

現代では、条約締結は外務省の権限で行えます。

ところが、当時は、条約締結に関しては、「外務省の上の機関」である枢密院がありました。

そのため、ある見方をすれば、外国との条約締結に関しては「枢密院は外務省の上」だったとも言えます。

そもそも「外務省」は、現代廃止となった「内務省」の反対の職務を示し、主たる業務は「外=外国との交渉・折衝」でした。

外国との交渉・折衝には、様々な話し合いがありますが、最終的にはなんらかの協定や条約に結びつけて、明文化しなければ意味がありません。

そして、協定に関しては、外務省に権限が委託されていたと思われますが、最も重要な条約に関しては、外務省は「実務権限のみ」の状況でした。

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大日本帝国の統治機構:天皇と帝国政府と大本営(新教育紀行)

帝国政府と大本営が両立しているだけでも、極めて意思統一が成立しにくい組織だった大日本帝国。

さらに、枢密院、貴族院などがあり、とにかく複雑極まりない政府構成だったのが、大日本帝国でした。

何事も決定出来ない機構だった大日本帝国政府:「枢密院議決」排除

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敗戦時の陸海軍首脳たち:左上から時計回りに梅津美治郎 参謀総長、豊田副武 軍令部総長、米内光政 海軍大臣、阿南惟幾 陸軍大臣(国立国会図書館,Wikipedia)
阿南惟幾

陸軍の意見としては、
枢密院議決が必要、と考える。

大日本帝国最後の四か月

ところが、改めて閣議の席上、
陸軍大臣から陸軍の意見として、

大日本帝国最後の四か月

こんなことを言い出されると、
これ以上知らぬ顔で通すわけにはいかない。

この日は、1945年8月14日であり、この夜に「いとま乞い」を鈴木首相にする阿南陸軍大臣。

陸軍省

陸軍大臣!
我らの存念を、はっきり閣議で申し上げていただきたい!

阿南惟幾

うむ・・・

ところが、「軍部=部下の要請」を却下すれば、その場で「暴発開始」となることが予想されました。

そのため、阿南陸相としては「軍部を抑える」ために、「軍部の意向を表明せざるを得ない」立場でした。

阿南惟幾

・・・・・

この頃の、阿南陸相の「真の心」は本人による記録がない以上、「予想する」以外にありません。

実に、実に辛い立場だったであろう、阿南陸相。

大日本帝国最後の四か月

わたしはこと緊急で、
時間をかけるわけにいかないことを説き、

大日本帝国最後の四か月

九日及び十四日に開かれた
御前会議のメンバーに平沼枢密院議長を加えた事情を説明して、

大日本帝国最後の四か月

陸相の
了解を求めた。

迫水久常

まさにお話の通り、条約締結の範疇に属することですから、
枢密院の議を経なければならないことは、

迫水久常

十分に
知っております。

阿南惟幾

・・・・・

迫水久常

ただ、連合国側への返事の関係上、
全く時間的な余裕がありませんので、

迫水久常

御前会議の席に平沼議長の出席を
お願いしたことによって、

迫水久常

正式の枢密院会議は
省略しても良いものと考えます。

大日本帝国最後の四か月

閣僚の多くは、わたしの見解に賛成したが、
鈴木総理は、なかなか慎重だった。

鈴木貫太郎

・・・・・

ここで、肝心の鈴木総理が「慎重な見解」となってしまい、「枢密院の議決が必要」かもしれない事態に追い込まれました。

ここで、「枢密院の議決」など呑気なことをやっていては、軍部が何をするか分かりません。

陸軍省

枢密院の議決には、
時間がかかるはずだ・・・

陸軍省

その間に、形勢を逆転させ、
本土決戦に持ち込むのだ!

さらに、米軍がいきり立って、何をしてくるか分からない状況でした。

本来ならば、ここで、鈴木総理は「強行すべき」でした。

鈴木貫太郎

・・・・・

ところが、鈴木総理は、それを「しなかった」というよりも「出来なかった」のでしょう。

それほど、当時の内閣総理大臣の権限は極めて限定的であったのでした。

迫水久常

・・・・・

ここから、「大日本帝国最後の四か月」は、「法制局長官の法律解釈」によって、「枢密院議決必要なし」となった事実を詳細に綴っています。

迫水久常

法律の解釈上から見て、事前に枢密院の
議にかける必要はないので、このままで。

阿南惟幾

うむ・・・

大日本帝国最後の四か月

深く争うこともなく、
この一件は落着した。

そして、なんとか「枢密院議決を排除」することに成功した、迫水書記官長。

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トルーマン米大統領(Wikipedia)
トルーマン

ここは、私がAが最善と
思うから、Aで決定!

米国であれば、「大統領の一言」で済むことが、実に、実に多くの人が関わらなければ、「ちょっとしたこと」も決定できなかったのが、大日本帝国政府の実態でした。

迫水久常

なんとか、枢密院議決は
回避したが・・・

そして、やっと、いよいよ、帝国政府の「ポツダム宣言受諾」による正式な降伏へと向かいます。

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