前回は「国内治安維持への巨大懸念と内乱の可能性〜鈴木貫太郎首相「重ねてご聖断を」・連合国回答への結論保留のまま8月14日へ・全く決まらない帝国政府〜」の話でした。
町村金吾警視総監「必ず治安維持決行」:「突然の」降伏と国内大混乱の懸念

1945年8月14日、いよいよ「降伏=終戦」に向かっていた、大日本帝国政府。
安倍源基このままのかたちで終戦になれば、
国内は大混乱を起こすに決まっている。



私は内務大臣として、国内の治安に
責任が持てないかもしれない。
当時、支那(中国)方面では、帝国陸軍は「勝ち続けていた」状況でした。



はっ?
降伏?



なぜ、勝ち続けているのに
降伏になるのだ?
そのため、このように考える陸軍将校も一定数いる状況でした。
そして、有名な「嘘八百」の「大本営発表」によって、



本土は爆撃を受け続けているけど、
兵隊さんたちが奮闘してくれて、



なんとか、我が皇軍は
勝っているみたいだ!
当時の国民(臣民)は、「帝国が勝っている」と考えていました。
もちろん、一部の知識人、ある程度の情報を手に入れられる人物たちは「正確な状況」を把握していました。
国家国民全体として、「なんとか耐えている」と考えているのに、「突然、降伏」となること。
それは、国内外において、極めて大きな混乱を引き起こす可能性を秘めていました。


この時、内閣書記官長(内閣官房長官)として内閣の要だった迫水久常は、当時を克明に綴っています。



安倍内相は、おそらく、軍に同調している
右翼団体の連中が蜂起するかもしれないので、



責任が持てないということを
言ったものと思われるが、



私は、これでは困ると感じ、
閣議後、町村金吾警視総監に首相官邸に来てもらった。



町村さんは、私に対して、
キッパリとこう言った。





内務大臣がなんと言われようと、
私が全責任を持って、



治安維持を図りますから、
どうぞ、ご安心ください。



私は、町村警視総監を
本当に頼もしいと思った。



すぐ、鈴木総理のところへ
案内した。



町村総監は、総理に対しても
同じことを言った。



その言葉を聞いて、
鈴木総理も大変安心した。
降伏受諾において、国内が大混乱を起こす懸念が大いにあった当時。
「治安維持」は国内の警察の管轄でありましたが、安倍内相が大いに懸念したものの、町村警視総監は、



私が、必ず全警察官を動員して、
治安維持を決行します!
このように断言し、迫水書記官長、鈴木総理を大いに安心させたのでした。
梅津・豊田両総長の「東郷外相」会見要請:二・二六事件再勃発の恐怖





国内で起きかねない大混乱、とは、
ひょっとすると・・・
ここで、迫水書記官長は「敢えて伏せた」のかもしれませんが、安倍内相の意図は違った、と思われます。
安倍内相が恐れたのは「右翼の蜂起」ではなく、「軍の蜂起」であったと思われます。
右翼が武装して蜂起することくらいは、警察の力ならば「即鎮圧可能」だったはずです。
右翼の百人や千人が武装して蜂起した所で、警察ならば、即時鎮圧出来ました。


おそらく、この頃の安倍内相には、多数の「帝国陸軍将兵の挙動」が報告されていたと思われます。



降伏受諾時に、二・二六事件のようなことが
起きては、大変な大混乱になる・・・
おそらく、安倍内相は「軍の蜂起は、警察では抑えられない」懸念を持っていたと思われます。
それは当然であり、「軍と警察」では、武器も全然違い、「戦闘」に対する概念が全く異なります。
二・二六事件に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
二・二六事件では、「当事者の一人」であった迫水書記官長。
当時、岡田総理の秘書官(娘婿でもある)であった迫水久常は、岡田総理救出に大奮闘しました。



最近、陸軍の動きが怪しいことは、
私のところにも情報が来ている・・・



まさか、まさか、二・二六事件のような
事態にならなければ良いが・・・
おそらく、迫水書記官長は、「帝国陸軍の不穏過ぎる動き」は把握していたでしょう。
その上で、敢えて軍の蜂起の可能性に触れずに、「治安維持」を町村警視総監に託した、と考えます。



場合によっては、陸軍と
戦闘状態になるかもしれぬが・・・



なんとしても、なんとしても
我が国の治安を守ってみせる!
そして、町村警視総監もまた「軍との戦闘」は避けたいながらも、「なんとか抑えよう」と決意したでしょう。
とにかく、米国や連合国との折衝だけでも大変な中、国内では不穏な動きが多数ありました。



閣議が終わったのは、
午後七時ごろだと思うが、



夏の日は長く、窓の外はまだ
ほの明るかった。



迫水書記官長、
ちょっと・・・



閣議が解散したのち、
私は梅津参謀総長と豊田軍令部総長に呼ばれた。
先ほどは、阿南陸軍大臣に呼ばれて、「吉積陸軍軍務局長との電話作戦」に駆り出された迫水。
今度は、梅津参謀総長と豊田軍令部総長に呼ばれました。



米国に対する再照会の問題について、
まだ少し話し合ってみたいので、



我々二人と東郷外相の
三人だけで話し合う機会を作ってくれないか。
首相・外相・陸相・海相・参謀総長・軍令部総長の六名の会議では「三対三」の平行線でした。
| 名前 | 生年 | 役職 | 連合国通告への姿勢 |
| 鈴木貫太郎 | 1868年 | 内閣総理大臣 | 受諾 |
| 米内光政 | 1880年 | 海軍大臣 | 受諾 |
| 梅津美治郎 | 1882年 | 参謀総長(大本営) | 再照会 |
| 東郷茂徳 | 1882年 | 外務大臣 | 受諾 |
| 豊田副武 | 1885年 | 軍令部総長(大本営) | 再照会 |
| 阿南惟幾 | 1887年 | 陸軍大臣 | 再照会 |
ここで、「受諾派・東郷外相vs再照会派・梅津総長+豊田総長」を持ちかけた梅津参謀総長。



私は、これ以上話し合いをしても
新しい方法が出てくるわけでもないので、



何とか理由をつけて断ろうとも
思ったが、



なんとか、三人で
話し合いたい。



両総長の熱心な懇請に
負けて、



東郷外相に
掛け合ってみます。



と
返事した。
状況は、確かに「連合国(米国)通告受諾せざるを得ない」中、まだまだ駆け引きは続きました。



・・・・・



東郷外相は
なんと言うだろうか・・・


東郷外相は、この両総長の「三人での話し合い」の懇請に対して、どう出るでしょうか。
次回は上記リンクです。



