前回は「「侍従長の回想」が明らかにする昭和〜海軍出身の藤田尚徳侍従長・トルーマン大統領の「受諾させる意図」・「海外放送が先」の意図〜」の話でした。
木戸内大臣のポツダム宣言解釈の説明:国体と天皇の地位が不明

1945年7月、昭和天皇の最側近の一人であった藤田尚徳侍従長。
藤田侍従長は、1961年に「侍従長の回想」という書籍を出版しています。
この「侍従長の回想」には、昭和天皇に近侍し続けた藤田侍従長しか知り得ないことも多数あるはずです。
侍従長の回想ポツダム宣言の訳文は、政府から木戸内府を経て、
陛下のお手元にも届けられた。


| 名前 | 生年 | 役職 |
| 鈴木貫太郎 | 1868年 | 内閣総理大臣 |
| 藤田尚徳 | 1880年 | 侍従長 |
| 木戸幸一 | 1889年 | 内大臣 |
| 昭和天皇 | 1901年 | 天皇・大元帥 |
木戸孝允の大甥の木戸幸一内大臣から、ポツダム宣言が昭和天皇に届けられました。





・・・・・



ソ連のスターリン首相が
会談に参加していながら宣言に署名していません。



国体や天皇の地位について
触れられていません。



これらの疑点を内府から
陛下にもご説明申し上げたが・・・



陛下としては、すでに宣言受諾以外に
和平の機会はないと・・・



御決心なさっていたのでは
ないかと思う。



侍従たちにも命じて、
宣言の本文と訳文を詳細に点検なさったりした。
昭和天皇は、外務省の動きとは別に、宮中にて侍従たちに「訳文の点検」を命じました。
ここで、重大な点は、「昭和天皇はすでにポツダム宣言受諾の決意だったのでは」です。
藤田侍従長の「推測」の表現となっていますが、常に昭和天皇に近侍していた侍従長。
昭和天皇が「ポツダム宣言受諾」の話を端的にでも、「藤田侍従長に話していた」と筆者は考えます。
真相不明の鈴木首相「黙殺」談話:言葉の含みと文字通りの解釈





鈴木首相の立場は一層
苦しかったようだ。
| 海兵卒業期 | 名前 | 生年 | 役職 |
| 14期 | 鈴木貫太郎 | 1868年 | 内閣総理大臣 |
| 29期 | 米内光政 | 1880年 | 海軍大臣 |
| 29期 | 藤田尚徳 | 1880年 | 侍従長 |
| 32期 | 嶋田繁太郎 | 1883年 | 前・海軍大臣兼軍令部総長 |
| 32期 | 山本五十六 | 1884年 | 戦死(連合艦隊司令長官) |
| 37期 | 小沢治三郎 | 1886年 | 連合艦隊司令長官(海軍総司令長官) |
藤田侍従長にとっては、「同じ海軍将校」であり「海軍兵学校の大先輩」であった鈴木貫太郎首相。
鈴木首相もまた「かつては侍従長」だったため、様々な意味で「大先輩」に当たります。
海軍兵学校(海兵)に関する話を、上記リンクでご紹介しています。


藤田は、当時、「帝国海軍のボス」であった米内光政海軍大臣と海兵同期であった点も重要です。
そして、「侍従長の回想」は、閣議に場が移ります。





同日の閣議で
東郷外相は、



目下、外交的手段を講じている
最中でもあり・・・



政府としては何等意思表示を
しないで頂きたい。



政府としては何等意思表示を
しないことを強調したが・・・



軍部では士気に影響するとして、
厳しくポツダム宣言に反撃することを要求・・・



この間に立って、首相は
苦慮されていた。



・・・・・
東郷外相の「何等意思表示をしない」と、軍部の「厳しくポツダム宣言に反撃」の間に挟まれた鈴木首相。
全く正反対の発想の両派に突き上げられる形となっていました。
ポツダム宣言は、軍部に対して「脅迫」または「挑戦状」のような文面でもありました。
ポツダム宣言における「連合軍の意図」を記述で説明する話を、上記リンクでご紹介しています。
東郷外相は「何も意思表示をしない」ことを求めた一方、「挑戦状を叩きつけられた」軍部。
軍人にとって、ポツダム宣言を叩きつけられて「何も言わない」わけにはいきませんでした。



結局、政府の態度は
「黙殺」と決まったが・・・



この「黙殺」という表現の裏には、
和平交渉の含みが残されていたにも関わらず・・・



連合国側では、これを
文字通りに解釈したらしい。
「黙殺」という言葉は、滅多に使用しない言葉です。
日常会話において、



A先生の言うことは
無視!
「無視」は、使用することがありますが、



A先生の言うことは
黙殺する!
「黙殺する」という言葉を使用することは、ほとんどないと考えます。
筆者は、公の場や友人との会話で「黙殺」という言葉を使用した記憶がありません。
「黙って殺す」という「黙殺」という言葉には、「黙」は良いとしても「殺」が良くありません。
漢字には様々な意味・ニュアンスがありますが、「殺」には否定的な意味しかありません。
この点で、「黙殺」という言葉は、当時において「不適当であった」と筆者は考えます。



加えて新聞に発表された
首相談話が・・・



ポツダム宣言に関しては、
これを黙殺する。



と言った
後に、



あくまで戦争遂行に
邁進する。



と
あった。



これでは、宣言受諾の意向なしと
認定されたのは無理もない。



すでに和平について堅い決意を
抱いているはずの鈴木首相の談話としては・・・



まことに理解に苦しむ強硬な表現だが、
軍の意向に押されてやむを得なかったのかも知れぬ。



もっとも、この当時の内閣発表には、何につけても
戦意昂揚の文句が付加されるのが例であったから・・・



あるいは情報局で不用意にこれを
付記したのかも分からぬ。



その真相は不明であるが、
およそ首相の真意とは程遠い談話であった。
昭和天皇に近侍し、「ほぼ全てを知る人物」であった藤田侍従長。
その藤田侍従長が、



その真相は不明であるが、
およそ首相の真意とは程遠い談話であった。
「黙殺」の「真相は不明」と明記している事態は、異常な状況でした。
いずれにしても、この「黙殺」を、米国・連合国は「拒否」と受け取りました。





ポツダム宣言を
拒否、か・・・


そして、歴史は進んでゆきました。



