前回は「明治維新と類似する出来事とは何か?〜出来事の類似点と転換期・戦前と戦後で憲法が全く異なる国日本・明治に形成された骨格〜」の話でした。
攘夷から討幕へ:共に「15代で終了」となった室町幕府と江戸幕府

現代日本の骨格を形成することになった、一大革命が明治維新でした。
木戸孝允もはや徳川幕府は
倒すのみ!



徳川の時代など
もう終わらせなければ!



よかよか!
我が薩摩の軍事力で潰すまで!



朝廷の工作は
私に任せてくれ!
教科書などで「維新の三傑」と呼ばれるのが、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允の三名です。
この「維新の三傑」は、明治初期からこの三名をまとめる呼び方が固まっていました。
当時は、華族・士族などの身分階級が残存していた時代でした。
そのため、公家であった岩倉具視は「別扱い」となったと思われます。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
筆者は、三傑に岩倉を加えた「維新の四傑」で明治維新を考えるのが正しいと考えます。
| 年号 | 出来事 |
| 1185年 | 源頼朝、守護・地頭を設置 |
| 1192年 | 源頼朝、征夷大将軍に就任:鎌倉幕府創設 |
| 1333年 | 鎌倉幕府滅亡 |
| 1336年 | 足利尊氏、征夷大将軍に就任:室町幕府開設 |
| 1573年 | 室町幕府滅亡(諸説あり) |
| 1603年 | 徳川家康、征夷大将軍に就任:江戸幕府開設 |
| 1867年 | 徳川幕府滅亡(大政奉還) |
徳川幕府まで、三つの幕府が生まれました。
実は「幕府」という言葉は、昔はなかった言葉で、明治以降に定着した学術用語です。
江戸時代には、徳川将軍のことを「大樹様」と呼び、徳川幕府を「大公儀」と呼びました。
| 幕府名 | 征夷大将軍の在籍代 |
| 鎌倉幕府 | 9代(源氏将軍3代+皇族将軍6代) |
| 室町幕府 | 15代 |
| 江戸幕府 | 15代 |
各幕府の征夷大将軍の在籍代をまとめたのが、上の表です。
最初の幕府であった鎌倉幕府は、実は源氏将軍は3代で終わり、その後は完全に「お飾り」となりました。
建武の新政(中興)を挟んで、室町幕府が興り、戦国時代を挟んで江戸幕府となりました。
室町幕府と江戸幕府は「同じ15代」です。
日本では、「15代続く」と、歴史は一区切りとなる傾向が見て取れます。
ここで、徳川幕府討幕(倒幕)は、最初から起こった活動・革命ではありませんでした。
討幕(倒幕)に至る前は、「攘夷」が盛んでした。
攘夷とは何かを、簡潔に説明して下さい。
今回は、攘夷に関して考えてみましょう。
攘夷とは何か?:征夷大将軍と「夷」の言葉の意味


後世の視点から見て「幕末」に、攘夷が盛んになりました。
「討幕の原動力」であった長州は、討幕の前に「攘夷決行」が重要でした。





夷狄(いてき)を
全員追っ払うのだ!



おうよ!
我らの力を見せつけるのだ!
主に松下村塾生たちが、外国人を倒すことに奔走した結果、下関(馬関)戦争が勃発しました。


そして、下関戦争では「長州の完敗」に終わりました。


薩摩は薩英戦争で大打撃を受けましたが、死者数は大英帝国の方が多い事態でした。
| 国家 | 死者数 |
| 薩摩・島津家 | 5名 |
| 大英帝国 | 13名 |
大砲などの武器が圧倒的だった大英帝国に対して、「死者が半分以下」という驚愕すべき事態。
ここに、薩摩武士が「世界最強だった」ことが如実に表れています。
この後、薩摩と長州が組んで、討幕に向かいます。
もし、薩摩・長州などの攘夷が「もう少し成功」していたら、幕末維新の歴史は変わっていたでしょう。
A.外国人を皆殺しにする考え方。(1点)
B.外国人を日本から消そうとする考え。(2点)
C.外国人を夷人と考え、外国人を打ち払う思想。(3点)
模範解答例:日本を神州の国と考えて外国人を夷人と見做して排除し、我が国に来る外国人は打ち払うという排外思想。
Aは、幕末の歴史を考えると概ね正しいですが「皆殺し」は穏やかではないので、1点。
攘夷は原則としては、殺害する必要はなく「打ち払う」概念でした。
その発想が過激化して、幕末に多数の殺傷事件が起きてしまったのでした。
Bは、概ね正しいですが「攘夷」の「夷」の説明が欲しいので、2点。
また「消そうとする」というのも、ちょっと厳しい点が減点です。
Cは、「夷」の説明があり、外国人を「打ち払う」が良いです。



異国船打払令を
発する!
1825年、徳川幕府は「異国船打払令」を発したこともあり、「打ち払う」が最も適切です。
また、攘夷という概念を「思想」と言葉でまとめているのが良いです。
小学生〜中学生は、Cで良いです。
模範解答例は、高校生以上を想定しています。
ここで、「日本を神州の国と考え」というのは、書かなくても良いです。
この「神州」を書いた理由は、「夷人・夷狄」という言葉に対する姿勢を説明しています。
征夷大将軍は、もともとは「東北の蝦夷(えみし)」を倒すための「大将軍」でした。
この言葉からも、「夷人・夷狄」に対する日本人の考え方が、分かります。
次回は上記リンクです。


