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西郷隆盛 10〜挫折をバネに〜|威人紀行

前回は「西郷隆盛 9〜基礎を固めた若き日々〜」の話でした。

西郷 隆盛(国立国会図書館)
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寡黙でも負けん気強気少年

郷中教育に加えて、造士館でも学び、まじめに勉学をしていた西郷少年。

西郷少年が13才になろうとする、1839年の秋に、突然悲劇に襲われます。

藩校造士館からの帰路、大喧嘩して右腕を負傷してしまいます。

小さな頃から大きな体格だった西郷少年は、無口だったと言われます。

こういう子どもは、いじめに遭いやすいのが、今も昔も変わりません。

「大人しいやつ」と見られてしまうのです。

喧嘩をして、相手を投げ飛ばしたものの、帰り道に待ち伏せを受けます。

待ち伏せとは!

卑怯ごわす!

待ち伏せされて、突然攻撃された西郷は、懸命に防戦して、大喧嘩となります。

12才で大怪我

大げんかの最中に、相手の刀の鞘が破れてしまい、右肘を大怪我します。

これは大層な怪我だ・・・

しばらくは、治療に専念した西郷少年。

傷は治ったものの、右腕がうまく効かなくなってしまいます。

右腕が・・・

これでは、武道は諦めるしかなか・・・

これは少年にとっては、非常な挫折です。

当時下級武士とは言え、「武士のはしくれ」だった西郷少年。

士農工商の階級社会の中、「武士が一番偉い」のでした。

中でも、「武を最も重んじる」薩摩藩。

この薩摩において、「武術を諦める」のは、大変な苦痛でした。

発想転換して、出来ることを懸命に

12才で大挫折をした西郷少年。

「武士」に生まれて、「武士で最も大事な武術ができない」体になりました。

残念だ・・・・・

薩摩っ子に生まれたからには、
「チェスト!」とやりたかった。

武士で最も大事なのは剣術です。

剣術は、様々な流派がありますが、中でも示現流で有名な薩摩。

「チェスト!」と思い切り、相手に突進して切りかかる壮絶な剣術でした。

仕方なか・・・

くよくよしても始まらぬ・・・

勉強を頑張ろう!

以後はこれまで以上に、読書にそろばんに、様々懸命に学びます。

そして、この「挫折をバネにして」大いに西郷は成長します。

島津藩主 島津斉彬(Wikipedia)

のちに、藩主島津斉彬に大いに可愛がられて、世に出るきっかけを作った西郷。

西洋の進んだ技術に大いに興味を持ち、薩摩藩を挙げて技術革新を強力に推進した島津斉彬。

自身も、大変な勉強家でした。

勉強家は、「よく勉強する人」が好きです。

下級武士だった西郷が、のちに世に出る契機となった、島津斉彬との関係。

それは、西郷の「小さな頃の挫折をバネに、勉強にエネルギーを向けた」結果でした。

この意味において、西郷の大いなる最初の挫折は、結果的に西郷に非常にプラスに働いたのでした。

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