前回は「アインシュタイン 1〜世界に与えた影響・奇跡の発想・相対性理論・大天才・能力・成績〜」の話でした。

生まれた頃の世界
1879年、ドイツ南部の都市ウルムで生まれたアインシュタイン。
同年に、ファーブルが最初の昆虫記を発表し始めます。

この頃のドイツ(プロシア)は、「鉄の宰相」と呼ばれたビスマルクが率いていました。

ビスマルクの元で、周辺の国々の植民地化を進める「帝国主義」が進められます。
ビスマルクの考え方に傾倒したのが、大久保利通です。


ビスマルクの考えは、
素晴らしい!
帝国主義は軍国主義とも似た傾向があり、世界中で軍事が非常に重視され始めた頃です。
アインシュタインの生まれた1879年は、日本も大きな変化のあった時代でした。


維新の三傑と呼ばれる、西郷隆盛・木戸孝允が1877年に亡くなりました。
西郷隆盛は西南戦争を引き起こし、自決、
西郷が大嫌いな木戸孝允は、日本の行く末を心配しながら病死しました。
その翌年の1878年には、大久保利通が暗殺されました。
短期間に一気に「明治維新の立役者」を失った新政府は、新たな体制に入りました。
あまり話せない子ども
のちに天才物理学者・科学者となったアインシュタイン。
小さな頃は、むしろ少し劣る感じすらありました。
なんと、5歳頃まで「あまり言葉を話せなかった」のです。



言葉を話すのは、
苦手だったかも。
アインシュタインの両親は、とても心配します。



あ〜。
う〜。
うちの子、
大丈夫かしら。
母親・パウリーネは心配し、病院で診察を受けたり、色々と手を尽くします。
でも、なかなか良くなりません。
困ったわ・・・
親が大変心配する中、5歳頃からアインシュタインは、急に話せるようになります。
良かったわ!
後年、「考えることが大好き」なアインシュタイン。
幼き頃から「慎重に周囲の状況を考えていた」という説もあります。
ただし、これは「後付け」であり、小さい頃は「少し出遅れ気味だった」のが事実でしょう。
泣き虫
両親が心配したことが、もう一つありました。
それは、アインシュタインが、すぐに泣くことでした。
ビスマルク率いるドイツでは、軍人が尊重され、軍人たちは闊歩していました。
アインシュタインは、軍人を見かけると



怖い・・・
と泣いてしまいます。
すぐに泣きすぎだわ。
弱虫なのかしら・・・
母・パウリーネの心配は、尽きません。
この頃、電気工場を営んでいた父・ヘルマンが、アインシュタインにあるものを渡します。

