あまり話せない子どもだったアインシュタイン〜生まれた頃の世界とドイツ・鉄の宰相ビスマルクとファーブル昆虫記・泣き虫を心配した母・軍人が怖くて泣く少年〜|アインシュタイン2・人物像・成績

前回は「相対性理論のアルバート・アインシュタインの肖像〜異常に有名な天才物理学者・歴史に影響を与えた100人の一人:世界に与えた巨大な影響・大天才の若き日々・小さな頃の能力と成績〜」の話でした。

科学者 アルバート・アインシュタイン(Wikipedia)
目次

生まれた頃の世界とドイツ:鉄の宰相ビスマルクとファーブル昆虫記

博物学者 Jean Henri Fabre(Wikipedia)

1879年、ドイツ南部の都市ウルムで生まれたアインシュタイン。

同年に、ファーブルが最初の昆虫記を発表し始めます。

小学生から中学生の方の多くが知っている「ファーブル昆虫記」です。

ドイツ宰相Otto von Bismarck(Wikipedia)

この頃のドイツ(プロシア)は、「鉄の宰相」と呼ばれたビスマルクが率いていました。

わがプロイセン王国(ドイツ)を
統一するのだ!

私の方針に反対するものは
厳しく取り締まる!

ビスマルクの元で、周辺の国々の植民地化を進める「帝国主義」が進められます。

強面で怖そうなビスマルクは、当時、帝国主義の欧米列強でも異色の存在でした。

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小説家 Benjamin Disraeli 首相(Wikipedia)

同時期に大英帝国(英国)の首相だったのが、小説家でもあったベンジャミン・ディズレーリです。

ビスマルクとディズレーリの風貌を比較すると、当時のプロイセン王国(ドイツ)の雰囲気がわかります。

そして、このビスマルクの「極端な考え方」に傾倒した日本人がいました。

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岩倉使節団(Wikipedia)

岩倉使節団は、最初に米国を訪れて欧州各国を訪問しました。

この時、プロイセン王国でビスマルクと会話して、感激したのが大久保利通です。

参議 大久保利通(国立国会図書館)

ビスマルクの考えは、
素晴らしい!

我らもドイツ・プロシアの
考え方を見習おう!

帝国主義は軍国主義とも似た傾向があり、世界中で軍事が非常に重視され始めた頃です。

アインシュタインの生まれた1879年は、日本も大きな変化のあった時代でした。

明治維新の立役者たち:左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

維新の三傑と呼ばれる、西郷隆盛・木戸孝允が1877年に亡くなりました。

今の明治新政府は徳川幕府打倒の
理想とは、全然違うから、おいどんが・・・

西郷隆盛は西南戦争を引き起こし、自決。

また西郷くんが大問題を引き起こしたか・・・
いい加減にせい・・・

西郷が大嫌いな木戸孝允は、日本の行く末を心配しながら病死しました。

私には、まだまだ
やらなければならないことが山ほどあるが・・・

その翌年の1878年には、大久保利通が暗殺されました。

おいおい、みんな一気に
いなくなってしまったが・・・

明治新政府は
大丈夫なのか?

短期間に一気に「明治維新の立役者」を失った新政府は、新たな体制に入りました。

あまり話せない子どもだったアインシュタイン

アルバート(5歳)と妹マヤ(3歳)(図説 アインシュタイン 監修:金子務 文:千葉透 河出書房新書)

のちに天才物理学者・科学者となったアインシュタイン。

小さな頃は、むしろ少し劣る感じすらありました。

なんと、5歳頃まで「あまり言葉を話せなかった」のです。

言葉を話すのは、
苦手だったかも・・・

アインシュタインの両親は、とても心配します。

あ〜・・・
う〜・・・

うちの子、
大丈夫かしら・・・

母親・パウリーネは心配し、病院で診察を受けたり色々と手を尽くします。

でも、なかなか良くなりません。

これは
本当に困ったわ・・・

親が大変心配する中、5歳頃からアインシュタインは急に話せるようになります。

ああ、
良かった!

子どもは4歳くらいからは、多少話せるようになる子が多いです。

ところが、大天才アインシュタインは、この基準では明らかに「知能が遅れていた」子どもでした。

後年、「考えることが大好き」なアインシュタイン。

幼き頃から「慎重に周囲の状況を考えていた」という説もあります。

ただし、これは「後付け」であり、小さい頃は「少し出遅れ気味だった」のが事実だったと考えます。

小さな子ども〜小学生くらいの間の勉学の出来は、子どもの個性と考えるのが良さそうです。

泣き虫を心配した母:軍人が怖くて泣く少年

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Adolf Hitler独総統(Wikipedia)

そもそも、現代「独英仏伊」と欧州の四強を呼びますが、ドイツは少し出遅れた存在でした。

19世紀中頃までは、欧州は「英国とフランス」の二代強国であったのが実態です。

それ以前には、スペインとポルトガルが強大な国家であった時代がありました。

アインシュタインが生まれた頃、猛烈な帝国主義で突っ走り始めていたプロイセン王国(ドイツ)。

アインシュタインが生まれた1879年の54年後の1933年には、ヒトラーが首相になりました。

欧州全土を
我がドイツの手に!

歴史のストーリーの「一つの展開」とはいえ、考えられない事態でした。

英国やフランスでは、ヒトラーのような人物が国家元首になることは、あり得ない事態でした。

それだけに、当時のドイツはちょっと軍国主義が行き過ぎた「怖い」面があったのでしょう。

軍人さんたち、
怖い・・・

両親が心配したことが、もう一つありました。

それは、アインシュタインがすぐに泣くことでした。

嫌だよ・・・

ビスマルク率いるドイツでは軍人が尊重され、軍人たちは闊歩していました。

俺たちが
我がプロイセンを守っているのだ!

アインシュタインは、軍人を見かけると、すぐに

怖い・・・

と泣いてしまいます。

他の子どもたちは、当時のプロイセン王国の雰囲気に同化しているのか、

なんで、
怖いのさ・・・

そうだよ・・・
軍人さんたちが僕たちを守ってくれているんだぞ!

現代の感覚では、小さな子が「軍人を見て泣く」のは、それほど不思議なことではありません。

ところが、当時のプロイセン王国(ドイツ)では「異色の子ども」だったのでした。

すぐに
泣きすぎだわ。

この子、弱虫
なのかしら・・・

母・パウリーネの心配は、尽きません。

まあまあ、母さん、
そんなに心配しないで・・・

おい、アルバート、
ちょっとこっちへ!

えっ、
何?お父さん・・・

これを
見てごらん!

この頃、電気工場を営んでいた父・ヘルマンがアインシュタインにあるものを渡します。

コンパス(Wikipedia)
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