寂しい少年時代を過ごしたチャーチル〜超豪華な家柄と両親不在の家庭・超名門ウィンストン家の宮殿で誕生・明治初期の世界最強大英帝国〜|チャーチル2・人物像・幼少の頃

前回は「大英帝国を勝利に導いたウィンストン・チャーチル〜陸軍士官から首相に就任したチャーチル・ヒトラーとの死闘〜」の話でした。

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ウィンストン・チャーチル英首相(Wikipedia)
目次

超名門ウィンストン家の宮殿で誕生:明治初期の世界最強・大英帝国

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チャーチルが生まれた祖父の居城ブレナム宮殿(Wikipedia)

オックスフォード大学で有名な都市・オックスフォード郊外に「ブレナム宮殿」という巨大邸宅があります。

ウィンストン・チャーチルは、1874年に、このブレナム宮殿で誕生しました。

チャーチル

英国の超名門の
チャーチル家に生まれました!

現代でも、”Sir”などの名称や貴族が残っている英国。

チャーチルが生まれた頃は、大英帝国という名前で世界一の強国でした。

女子小学生

「宮殿で生まれた」ってことは
すごい家柄なんだね・・・

英国有数の超名門の家柄に誕生したウィンストン・チャーチル。

1874年は日本は明治7年で、「明治維新の香りが残っていた」頃でした。

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明治六年の政変で下野した人物:左上から時計回りに、西郷隆盛、後藤象二郎、板垣退助、江藤新平(国立国会図書館)

その前年の1873年に「明治六年の政変」が勃発して、明治新政府が割れてしまいました。

一部では「征韓論争」と呼ばれますが、本質は「明治新政府の大幹部同士の内輪揉め」でした。

西郷隆盛

こんな無茶な
明治政府とは付き合えんごわす!

明治維新の四傑(新教育紀行)

・薩摩:西郷隆盛・大久保利通

・長州:木戸孝允

・公家:岩倉具視

「明治維新の四傑」の中でも、当時圧倒的な存在感を放ち、「事実上の首相」だった西郷隆盛。

この前後に関する、社会の問題の考え方を上記リンクでご紹介しています。

明治維新は「日本最大の革命」であり、「社会がひっくり返る」ほどの大変革が起きました。

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薩英戦争 歴史道vol.6(朝日新聞出版)

幕末の1863年に、大英帝国と戦争した薩英戦争。

1863年は、チャーチルが生まれる11年前のことでした。

戦争自体は3日ほどで終了し、短期間でしたが、双方に甚大な被害が出ました。

西郷隆盛

薩英戦争以来、
エゲレス(大英帝国)とは仲良くし・・・

西郷隆盛

我ら薩摩と長州が
討幕する原動力の一つとなったのだ・・・

当時は世界中の海を制していた、圧倒的最強国であった大英帝国。

20世紀初頭には、「世界最強の座」を米国に明け渡すことになった大英帝国。

チャーチルが生まれた頃は、

チャーチル

我がGreat Britain(大英帝国)は
世界最強なのだ!

「世界最強国」であった大英帝国は、「ずっと世界最強」の雰囲気に満ちていました。

つまり、「世界最強国の別格の階級」に生まれたチャーチルにとっては、

チャーチル

言わば、私は
世界最強の家柄であるのだ!

小さな頃から、こう考えていたでしょう。

寂しい少年時代を過ごしたチャーチル:超豪華な家柄と両親不在の家庭

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ランドルフ・チャーチル(Wikipedia)

ウィンストン・チャーチルの父であったランドルフ・チャーチルは、若い頃から政治家で有名でした。

ランドルフ

ランドルフ・チャーチルです!
若い頃から政治に没頭しました!

議会においても、辣腕を振い続けたのがランドルフでした。

当時は、現代よりもさらに階級社会であった大英帝国において、家柄の良さも重要でした。

ランドルフ

このランドルフが
政治改革を断行する!

保守党に所属し若い頃から、その個性の強さから、政界で超有名人だったランドルフ。

ランドルフ

この私になんでも
任せてくれ!

後年、「強気」を超えて「鋼鉄の如き強さ」を見せつけたチャーチルの模範が父親・ランドルフでした。

ランドルフ

私に大蔵大臣は
任せてもらおう!

後にランドルフは、38歳の若さで大英帝国政府の大蔵大臣を務めました。

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ジェニー・チャーチル(Wikipedia)

そして、チャーチルの母親ジェニーは、米国の資産家の令嬢でした。

見るからに美人だったジェニーは、社交界でも大変な人気者でした。

ジェニー

私は、
子どもを生んだけど・・・

ジェニー

子育てよりも
社交界で生きているのが楽しい!

美人な母親を持つことは、男の子にとって、とても良いことかもしれません。

ところが、母ジェニーは、社交界に出掛けてばかりで「子育てほったらかし」でした。

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ウィンストン・チャーチル(7歳の頃、Wikipedia)

超豪華な家庭に生まれ育ち、羨ましい限りのチャーチル少年が7歳頃の写真が上です。

チャーチル

超名門の家柄で
あることは良いけど・・・

チャーチル

パパもママも家に全然
いないし、寂しい・・・

父親も母親も家にほとんどいることはなく、豪華すぎる家で寂しくしていたチャーチル少年。

上の写真を見ると、どことなく寂しそうな雰囲気が出ています。

そして、7歳、つまり日本の小学校一年生頃の年齢にしては、「憮然としている」のが興味深いです。

「憮然としている」というよりも、

チャーチル

家は超広いけど、
全然楽しくない・・・

なんだか「文句を言いたげな雰囲気」だったチャーチル少年。

乳母

坊ちゃん、
お父様、お母様の代わりに・・・

乳母

私が面倒を
見て差し上げますね・・・

チャーチル

うん!
嬉しい!

夫婦揃って、お金には全く不自由しなかったウィンストン家。

英国の貴族ならば、どこでも乳母さんなどを雇います。

ジェニー

お金なら、いくらでも
払うわよ!

ジェニー

私は自由に生きたいから、
よろしくね!

ウィンストン家は、普通の家よりも、遥かに乳母などに頼っていたのでした。

幼きチャーチルにとって、乳母の存在は、非常に大きなものでした。

チャーチル

でも、いつもパパもママも
いないから、つまんないな・・・

「父親や母親と、どこかに出掛けたりする」経験がしたい年頃だったチャーチル少年。

その「父や母とちょっと出掛ける」という、どの家庭の子どもも「普通にやっていたこと」でした。

ところが、その「普通のこと」が、チャーチル少年にとっては「儚い夢」でありました。

巨大過ぎる邸宅や莫大なお金がありましたが、

チャーチル

他の家は良いな・・・
パパやママがいて・・・

チャーチル少年は、「パパとママがいる」環境が羨ましかったのでした。

「普通の家庭にはないもの」が、莫大なほど「ありすぎた」ウィンストン家。

その一方で、「普通の家庭に普通にあるもの」が「全然ない」状況でした。

この歪すぎる家庭の中で、

チャーチル

・・・・・

同級生の友達たちと馴染むことが、なかなか出来ず、家に籠ることが多かったチャーチル少年。

そして、寂しい少年時代を過ごすことになったチャーチル少年。

チャーチル

パパやママと遊びに
行きたい!

特権階級の貴族に生まれ、誰もが羨ましい生活環境にいたものの、

チャーチル

他の家の子の方が
いいな・・・

「パパとママがほとんど不在」の家庭で、少し歪な性格になってしまいました。

チャーチル少年は、異常に寂しい少年時代を過ごすことになりました。

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