前回は「「真田流」文武学校と藩校の面影〜三度も家康に煮湯飲ませた真田・優れた松代藩祖真田信之・異常に高評価の真田幸村と真田昌幸〜」の話でした。
多様性に溢れていた江戸期日本:「大公儀」徳川幕府の曖昧な権限

江戸時代の真田・松代藩の藩校・文武学校を訪問しました。
昔ながらの木造建築であり、このように藩校の建築が残っているのは極めて貴重です。
ヨーロッパの石造建築と異なり、木造建築は火災に弱く、風化しやすいのが欠点です。
その一方で、意外と強い木材によって、軽やかで開放的な空間が日本の木造建築の特徴です。
江戸時代には、現代のような学校制度・学制が存在しませんでした。
そして、徳川幕府が「大公儀」として君臨していましたが、各藩は半独立国のような状況でした。
徳川幕府〜藩は、けしからんので
領地削減!
大公儀=徳川幕府は、各藩に対して改易・領地削減などを行う権限を有していました。



〜藩は、後継者不在なので、
〜藩を取り潰す!
あるいは「嗣子・後継者が不在」の場合は、藩を取り潰す権限を持っていました。
その一方で、徳川幕府は、「藩の内情に立ち入ることが出来ない」状況でもありました。
「藩を潰せる」巨大な権限と「藩の内部はよく分からない」曖昧な状況こそが、徳川幕府の本質でした。
そして、大小様々な各藩は、「それぞれの藩の雰囲気」を大事にしていました。
それぞれの藩は、まさに「それぞれの藩」であり、全然雰囲気が異なる場合もありました。
現代のように「標準語」が明確に定められていない中、各藩の方言で話すと、



〜が〜ごわすで、
〜ごわはん・・・



何を言っているか、
さっぱり分からない・・・
「全く言葉が通じない」状況もあったようです。
現代においても、「方言で思い切り話す」と「他の地域の人には分からない」ことがあります。
それでも方言で思い切り話されても、多少なら分かりそうです。
当時は、「別の国」のような存在だった藩という行政機構。
藩の雰囲気が極めて強烈で多彩だった江戸時代の日本は、現代の日本と大きく異なりました。
ある意味で、「江戸時代の日本は、現代よりも多様性にあふれていた」とも言えます。
木の個性が際立つ昔の木造建築:きれいに整えられた現代木造建築


松代藩の文武学校は、多少改修していると思われますが、当時の木造建築のままです。
上は、文武学校内部空間において、天井を見上げた写真です。
現代の木造建築は、ほぼ全ての木材を機械で製材した上で、建築します。
機械がなかった江戸時代は、木造建築はもちろん「人の手」つまり「大工さんの手」で製材しました。
2000年代頃までは、地方を中心に「大工さんが木を製材する」文化が残っていました。
ところが、急速な機械化・効率化によって、大工文化は大きく後退しました。
この大きな理由の一つは、「機械化による大幅なコストダウン+スピードアップ」です。
外国から木を輸入して機械で一気に製材するのが、日本国内において一般的となっています。


現代の木造建築と比較すると、いかにも「木造らしい」のが昔の木造建築です。
現代の木造建築は、デザインの要素がない限り、全ての木材の断面は原則的に「綺麗な長方形」です。
機械製材のため、見事なほどに「かっちりとした長方形」であり、角もほぼ直角です。
この現代木造建築と比較すると、いかにも古風な文武学校などの昔の木造建築。
日本古来の木造建築は、柱と梁による「軸組構法」と呼ばれます。
この「軸組」という言葉の意味は、柱も梁も軸のような存在で、それらを組んでいるからです。
現代の木造軸組の方が「綺麗に整っている」一方で、昔の木造建築は「木それぞれでバラバラ」です。
見た感じで「どちらが好きか」は、それぞれの人の考え方や感性によります。
文武学校の建築のように「それぞれの木がバラバラ」なのは、乱れているようにも見えます。
その一方で、「木それぞれの個性が溢れている」ようにも感じられます。
貴重な昔の木造建築の雰囲気、藩校の雰囲気が感じられる松代藩・文武学校。
長野県を訪問する際には、ぜひ訪れてみて下さい。

