前回は「当時の新聞紙面から歴史を理解〜日本における第二次世界大戦開戦時の新聞・大日本帝国の国家の姿・「曖昧極まりない」国家体制」の話でした。
開戦まで「2ヶ月未満」の東條内閣:昭和天皇が東條英機に「組閣命令」

上の写真は、1941年12月9日発刊の朝日新聞です。
朝日新聞帝国・米英に
宣戦を布告す
当時、「大日本帝国」と自称していましたが、「帝国」と簡略に記載しています。


当時は、東條英機首相率いる東條内閣が、大日本帝国の政府を動かしていました。
この新聞が発刊された頃、大日本帝国が正式に「第二次世界大戦に乱入した」と言えます。
「乱入」という言葉が適切かどうかは諸説ありますが、当時は「欧州中心」だった第二次世界大戦。
それが、



我が海鷲、
ハワイ爆撃
大日本帝国が真珠湾を奇襲攻撃し、日米が正式に第二次世界大戦に宣戦布告しました。
歴史の真実は様々ですが、少なくとも表面上は「大日本帝国によって、戦火が世界に飛んだ」のでした。



この東條英機が、
大日本帝国の首相であり・・・



陸軍大臣と内務大臣も
兼務しているのだ!
実は、東條内閣は、この報道がなされた1941年12月9日では「2ヶ月未満」の内閣でした。



この東條内閣は、
1941年10月18日に成立した!


東條内閣成立以前の内閣は、近衛文麿首相が率いていました。



私は、米国とは
協調して、仲良くしたいのだが・・・
「対米協調路線」であった近衛文麿でしたが、



もはや、状況は
如何ともし難い・・・



私は、内閣総理大臣を
辞任します・・・
「対米外交がお先真っ暗」であることを判断し、1941年10月18日に辞任しました。





東條に
組閣を命ず・・・
その結果、「国家のトップ」だった昭和天皇は、東條英機に「組閣を命令」したのでした。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄 |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | 交戦権否定 |
戦前までは、天皇が内閣総理大臣を「任命」というよりも「組閣命令」する権限を持っていました。
対して、当時の内閣総理大臣の権限は極めて限定的であり、「大臣更迭」すら出来ませんでした。
ある意味、内閣総理大臣は「大臣の代表」であっても「大臣と権限は同格」と言っても良い存在でした。
日本国憲法と大日本帝国憲法の違いに関する話を、上記リンクでご紹介しています。
天皇を「輔弼」の政府と「輔翼」の軍部:大戦争引き起こした帝国


当時は、天皇が国家の主権でありトップだったため、内閣総理大臣の権限は限定されていました。
その一方で、大日本帝国としての方向性を決めていたのは、確かに内閣総理大臣でした。
主権を握っていた天皇に対して、内閣は行政権を「輔弼(ほひつ)する」役割でした。
そして、軍部は統帥権を「輔翼(ほよく)する」役割でした。
この「輔弼」「輔翼」という言葉は難しいですが、「天皇陛下を補佐」という意味です。
そして、大日本帝国の意思決定は、「天皇の裁可を得て、初めて正式決定」でした。


そして、極めて重要な意思決定の際には、御前会議が開催されました。


1941年12月9日当時の世界各国のトップは、皆「長年トップを続けている」人物でした。
彼らと比較すると、「首相になって2ヶ月」の東條内閣の異常さが、際立っていました。



もはや、米国とは
戦争するしかない・・・
諸説ありますが、当時「米国に追い込まれた形」となっていた大日本帝国。
この当時の状況においては、「世界各国それぞれが言い分がある」状況でした。
「ただ一つの正しい道」というものは存在せず、「各国それぞれの思惑」がありました。
この点では、当時も現在も同様であり、それぞれの国家には「それぞれの道」があります。


当時、軍事上の「最高戦略物資」であった石油。
「世界の2/3ほどの生産量」を握っていた米国に対し、大日本帝国は「ほとんど石油生産ゼロ」でした。



我が国は、
Japan(日本)への石油を禁輸する!
1941年8月1日、米国は「対日石油輸出を禁止」しました。



Japanは、Asiaへの
侵攻を続け・・・



我らにとっては、悪魔のようなHitler(ヒトラー)と
手を組んでいるのが理由だ!
米国には「米国の理由」があり、「石油が禁輸」されてしまった大日本帝国。
そして、ジリジリと押されていたのが1941年10月から12月の状況でした。


そして、大日本帝国は「真珠湾奇襲攻撃に踏み切った」と伝えられています。


「追い詰められた」大日本帝国は、一気に同時に多数の戦争を開始しました。
ある意味で、現在の視点から見れば「無謀の極み」とも言える超大戦争を開始した国家。
その国家が、大日本帝国でした。
「宣戦の大詔を奉戴」した帝国政府


米国と戦争を開始しただけでも「極大事件」でしたが、同時にシンガポール・香港などを攻撃。
この頃の、大日本帝国陸海軍の戦争は、戦術的には大成功を収めていました。
そして、昭和天皇による「宣戦布告の詔」が発せられました。



帝国・米英に
宣戦を布告す



宣戦の大詔
煥発さる
この新聞の紙面の構成通り、「まずは宣戦の大詔=昭和天皇の声明」が最優先でした。


そして、紙面の下部に「帝国政府声明」が記載されています。
この「宣戦布告の詔」と「帝国政府声明」の記事の大きさと位置が、「帝国の姿」を表していました。



恭しく宣戦の大詔を
奉戴し、ここに中外に宣明す・・・



抑々東亜の安定を
確保し、世界平和に貢献するは・・・



帝国不動の国是にして、
列国との友誼を敦くし・・・



この国是を完遂するを図るは、
帝国が以て国交の要義と為す所なり・・・
このように、東條首相は「大日本帝国は正しい道を歩んでいる」ことを内外に言明しました。
ここで、最も重要なのは、「恭しく宣戦の大詔を奉戴」です。
つまり、「宣戦布告した主体は昭和天皇」であり、帝国政府は、天皇を「奉戴」する立場でした。
この言葉こそ、当時の大日本帝国という「国家の姿」の一端を如実に表しています。
この「空気感」こそが、昔の我が国・日本=大日本帝国という国家でした。


