当時の新聞紙面から歴史を理解〜日本における第二次世界大戦開戦時の新聞・大日本帝国の国家の姿・「曖昧極まりない」国家体制〜|太平洋戦争とアジア太平洋戦争と大東亜戦争1・写真と資料が映す歴史7

前回は「ベトナムからゾウを呼んだ徳川吉宗〜「日本初のゾウ」長崎から江戸へ・「太平の世」江戸時代もたらした「超内向き思考」・鎖国と冬眠状態〜」の話でした。

目次

大日本帝国の国家の姿:「曖昧極まりない」国家体制

新教育紀行
1945年敗戦時の東京(Wikipedia)

昨年2025年は、ちょうど「終戦(敗戦)から80年」の節目の年でした。

たかだか80年前、我が国は、同盟国ドイツ敗北後、「たった一国で世界中を敵に回す」状況でした。

日本の都市という都市がすべて、米軍によって焼き払われました。

主として焼夷弾による「絨毯爆撃」によって、東京をはじめとする都市は灰燼となった1945年。

絨毯爆撃に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

沖縄や硫黄島での敗北を迎え、当時の大日本帝国陸海軍大本営は、「最後の戦い」を目論みました。

New Educational Voyage
敗戦時の陸海軍首脳たち:左上から時計回りに阿南惟幾 陸軍大臣、米内光政 海軍大臣、豊田副武 軍令部総長、梅津美治郎 参謀総長(国立国会図書館,Wikipedia)
阿南惟幾

我が帝国陸軍は
本土決戦の準備がある!

梅津美治郎

その通り!
最後の最後、本土で戦うのだ!

豊田副武

海軍も最後の
渾身の力を振り絞りましょう!

米内光政

本土決戦など、
やったら、我が国は滅亡する!

当時、米国や英帝国など諸外国は「軍部は政府に従う」国家の姿でありました。

そのため、「陸軍の最高意思決定は大統領・首相及び陸軍大臣」でした。

同様に、「海軍の最高意思決定は大統領・首相及び海軍大臣」でした。

大英英国やドイツは「空軍が陸海軍から独立」であり、空軍は別でした。

新教育紀行
大本営組織図(歴史人2019年9月号別冊 KKベストセラーズ)

当時の大日本帝国は「天皇=大元帥」であり、天皇が「全てのトップ」でした。

ところが、「天皇が主体となって何かを決定する」ことは、「ほとんどない」状況でした。

職名役職
参謀総長帝国陸軍の最高指揮権(統帥権)のトップ
軍令部総長帝国海軍の最高指揮権(統帥権)のトップ
陸軍大臣帝国陸軍の軍政のトップ
海軍大臣帝国海軍の軍政のトップ
大日本帝国陸海軍のトップ四名

そして、大日本帝国陸海軍では、上の四名が「並立した形」で意思決定が行われていました。

そして、「超越した存在」が天皇でした。

内閣総理大臣は「政府のトップ」であり、軍部には「介入できない」立場でした。

例えば、陸軍においては、参謀総長と陸軍大臣が「並び立つ」形でした。

ここで「参謀総長と陸軍大臣」の「どちらが上」かは不明ですが、参謀総長の方が「格上の雰囲気」でした。

その一方で、「人事権を有する」陸軍大臣は、「参謀総長罷免権を有する」場合もありました。

つまり「格上の参謀総長を、格下の陸軍大臣が罷免し得る」謎の雰囲気でした。

この「よく分からない」」空気の中、大日本帝国では戦争が遂行され、敗戦に至りました。

つまり、「曖昧極まりない」国家体制こそが、「大日本帝国という国家の姿」の本質でした。

当時の新聞紙面から歴史を理解:日本における第二次世界大戦開戦時の新聞

New Educational Voyage
朝日新聞:1941年12月9日(朝日新聞100年の重要紙面 1879-1979)

昨年が「敗戦(終戦)80年」のため、今年の中学入試〜大学入試で、敗戦(終戦)に関する問題が増えそうです。

その一方で、この「敗戦(終戦)」は「語りにくい」面があります。

そのため、出題としては「敗戦(終戦)後の戦後の日本」の話が中心になりそうです。

「歴史を直視する」姿勢から考えると、戦時中の問題を出題は「好ましい」と筆者は考えます。

その一方で、「戦時中の話をどう展開するか」は難しい面があります。

今回は、上の「日本における第二次世界大戦開戦時」の朝日新聞を読んでみましょう。

この紙面は、1941年12月9日発刊の朝日新聞です。

新聞は、各社によって「報道姿勢が異なる」が実態ですが、「概ね正しいこと」を報道します。

ネットが盛んになった今、以前よりも新聞はだいぶ少なくなりました。

現在と比較すると、「全く異なる紙面の雰囲気」が感じられます。

新聞の一面全てが戦争に関する話であり、

朝日新聞

帝国・米英に
宣戦を布告す

自らの国家を「帝国」と呼んでいた、大日本帝国。

当時、世界中には帝国が多数あり、例えば「大英帝国」も帝国でした。

当時の大日本帝国の友邦・ドイツもまた、ドイツ帝国またはドイツ第三帝国と呼ばれました。

そのため、「帝国」では「どこの帝国?」となってしまいますが、

朝日新聞

「帝国」と呼んだら、
我が国・大日本帝国を指すのだ!

その中で、「自らの帝国」を「帝国」と呼んでいたのが新聞各紙でした。

ご存知の人も多数いると思いますが、当時の大日本帝国では、「横書きは右から左へ」で現在の逆でした。

そのため、「横書きをパッと読むのは難しい」面があります。

New Educational Voyage
朝日新聞:1941年12月9日(朝日新聞100年の重要紙面 1879-1979)

戦争の言葉が多数並びますが、記事の中で次に大きな文字であるのが、

朝日新聞

宣戦の大詔
煥発さる

当時の大日本帝国のトップ・昭和天皇によって「宣戦布告が発せられた」ことを明示していました。

朝日新聞

我海鷲、
ハワイ爆撃

「我海鷲、ハワイ爆撃」は真珠湾奇襲攻撃を指します。

上のような、「当時発行の資料」を読むことは、「当時の視点」で歴史を感じられます。

次回は、本紙面をさらに読んで、当時の「空気」を理解しましょう。

New Educational Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次