特攻隊員たちの本音は「熱望」か「望」か〜「しんぷう」が正しい神風・憲法を「変えさせられた」日本・「四カ国分割占領案」と東西陣営〜|終戦の資料4

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憲法を「変えさせられた」日本:「四カ国分割占領案」と東西陣営

新教育紀行
1945年敗戦時の東京(Wikipedia)

1945年8月15日、大日本帝国という国家名であった日本は連合国に降伏しました。

昨年2025年は、この終戦(敗戦)から80年の節目の年となりました。

80年という年は、「10の倍数の年」であることから「節目」と言われます。

ポツダム宣言に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

そして、80年という年は、日本の男性・女性のほぼ「平均寿命」です。

その点から考えると、「戦前に生まれた人」が、かなり少なくなったことを示しています。

このことを考えると「戦後80年」は「単なる10の倍数年」を超えた重要性があります。

大日本帝国憲法日本国憲法
公布1889年(戦前・明治時代)1946年(戦後・昭和時代)
主権天皇国民
天皇神聖不可侵の元首日本国民統合の象徴
戦争天皇が陸海軍を率いる戦争を放棄
軍隊国民に兵役義務交戦権否定
日本国憲法と大日本帝国憲法の大きな違い

国家の名称が変わったのは、日本だけではなく、ドイツなども国家名が変わりました。

そして、日本では憲法が変わった、というよりも「変えさせられた」のでした。

戦前までの大日本憲法と日本国憲法は、「全然違う憲法」となりました。

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連合国によるドイツ分割占領(Wikipedia)

さらに、「第二次世界大戦の発祥の地」とも言えるドイツは、連合国に分割占領されました。

見方によっては、「第一次世界大戦と第二次世界大戦の発祥の地」とも言えるのが、当時のドイツでした。

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第二次世界大戦後の日本分割占領案(歴史群像シリーズ 太平洋戦争10 学研)

実は「分割占領」は「人ごと」ではなく、日本も「分割占領されかけた」のが事実です。

日本の「米英中ソ分割占領案」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

ドイツの「米英仏ソ分割」と、日本の「米英中ソ分割」案では全然違います。

現在の東側と西側陣営の割合を考えると、もし仮に「四カ国分割」が現実に行われたら。

日本という国家は、引き裂かれ、戦後の復興・繁栄はなかったでしょう。

もし、上のような「四カ国分割」が日本の戦後で起きていたら。

現在の日本の国家像は、今とは全く違うものになっていたでしょう。

特攻隊員たちの本音は「熱望」か「望」か:「しんぷう」が正しい神風

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新教育紀行)

昨年2025年9月まで行われた、国立公文書館東京本館”終戦”では様々な資料が展示されました。

その中には、特攻隊に関する貴重な資料が多数ありました。

「神風特別攻撃隊」と呼ばれた「特攻隊の編成」に関する詳細な資料です。

「神風」一般的に「かみかぜ」と呼ばれますが、実は「しんぷう」が正しい読み方です。

神風特別攻撃隊に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新教育紀行)

そして、この編成に関する資料には、実名と共に几帳面なほど詳細な内容が記載されています。

最も重要なことは、最上段です。

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新教育紀行)

特攻隊に「熱望」なのか「望」なのか、が「希望程度」という欄に記載されています。

上のページでは、「熱望」5名と「望」7名であり、「熱望」が5/12=40%程度となっています。

上官F

特攻隊員として
出撃したいものは、誰だ!

青年士官A

はいっ!
私は是非参りたいです!

上官F

大変よろしい!
それでは、行ってきてもらおう!

青年士官A

はいっ!
必ず敵艦を撃沈して参ります!

このように、「是非特攻隊員として出撃」を望んだ青年士官は、「熱望」となったのでしょう。

そして、興味深いのが「上官の人物総評」が記載されていることです。

上官F

温厚篤実にして、諸事に熱心、
努力家なり・・・

上官F

寡黙にして
研究心旺盛なり・・・

極めて端的に人物評がされており、上官の人間性にもよりますが、大体的確だったのでしょう。

さらに、最下段には「家庭の情況」が端的に記載されています。

上官F

両親健在、七人兄弟(男二、女五)の
二男、後顧の憂いなし。

一番右に記載された「熱望」の青年士官に対して、「憂いなし」としています。

その理由は、「「七人兄弟の二男(次男)」であるから、でした。

このように、「送る側」の上官たちも極めて慎重に人選をしていました。

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国立公文書館東京本館”終戦”展(新教育紀行)

神風特別攻撃隊に関しては、様々な意見があります。

当時の関係者からの聞き取り調査なども多数出版されており、

特攻隊員の生き残りの人T

特攻隊には、大勢の人が
自ら志願して行ったです・・・

このように「大勢の人は自ら志願して出撃した」という証言が多いです。

中には、「志願ではなく、上官の命令でやむなく」という声もあるようです。

様々な記録や意見がある中、筆者は「多くの若者は自ら志願して出撃した」と考えます。

「嫌々出撃」であったならば、「爆弾を抱いた飛行機で敵艦に突っ込む」は精神的に不可能です。

青年士官A

私が特攻して、
少しでもお国に役立ちます!

青年士官B

そうだ!敵に痛撃を与えて、
戦況を挽回するのだ!

青年士官A

靖国で
会おうな!

青年士官B

おうっ!
靖国でな!

このように、大勢の青年、少年が1944年10月頃から翌年の敗戦まで出撃しました。

陸海軍特別攻撃隊出撃者数
陸軍1,689人
海軍4,156人
合計5,845人
陸海軍特別攻撃隊出撃者数(諸説あり)

出撃した青年、少年は5,845人(諸説あり)です。

陸海軍航空特攻による戦死者数
陸軍1,417人
海軍2,531人
合計3,948人
陸海軍:航空特別攻撃隊による戦死者数(諸説あり)

中には、「敵艦を発見できない」や「飛行機の故障」などで生還した人もいました。

「必死の戦法」であった特攻隊によって、3,948人が戦死しました。

集団的な「特攻戦法」を実施した国家は、世界の歴史上、ただ一つです。

その「ただ一つの国家」とは、かつての日本である大日本帝国です。

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