「討幕の密勅」の謎〜明治維新成し遂げた新官軍の大義名分・「封建制度の象徴」であった徳川幕府・「ガタガタ」だった明治新政府〜|写真と資料と時代・歴史の真実1

前回は「江戸城開城直後に「急速作成+公表」の五箇条の御誓文〜理想を強力推進した木戸孝允・由利原案に込めた「因習破壊」の思い〜」の話でした。

目次

「封建制度の象徴」であった徳川幕府:「ガタガタ」だった明治新政府

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明治維新の立役者たち:左上から時計回りに西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視、木戸孝允(国立国会図書館)
西郷隆盛

徳川幕府を
ぶっ潰す!

木戸孝允

西郷は大嫌いだが、
徳川はもっと嫌いだ!

大久保利通

もはや、幕府の時代ではなく、
新たな国家体制になるべきだ!

岩倉具視

昔の朝廷中心の
政治に戻すのだ!

明治維新を経て、徳川幕府の時代から明治の時代へと変わった日本。

後世から見ると、この「徳川の時代から明治天皇の時代へ」の流れは、ある意味で必然でした。

当時、「屋台骨がガタガタだった」と表現されることが多い徳川幕府。

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幕末の優れた幕臣たち:左上から時計回りに榎本武揚、小栗忠順、川路聖謨、勝海舟(Wikipedia)

その一方で、幕末においても、徳川幕府に極めて優れた人物がキラ星の如く、存在しました。

後に、1871年に米国など欧米各国を回った岩倉使節団では、大失態をやってしまいました。

岩倉具視

困ったな・・・
全権委任状か・・・

岩倉具視

そんなに大事な書類を忘れて
しまったか・・・

「全権委任状を忘れたまま、外交交渉に向かう」という、「外交の常識」以下であった新政府。

「全権委任状忘れ」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

幕末に処刑された小栗忠順が、もしこの時生きていたら、

小栗忠順(架空)

全権委任状を
忘れた、だと・・・

小栗忠順(架空)

ふっ、
笑わせるな!

岩倉、木戸、大久保に向かって、こう言い放ったでしょう。

ひょっとしたら、「ガタガタだった」のは徳川幕府ではなく明治新政府だったのかもしれません。

実は強大な力を有しており、優れた人物が多数いた徳川幕府。

問題があったのは「封建制度」という制度そのものであり、徳川幕府ではなかったと考えます。

その意味では、「封建制度のみ潰せば維新成立」でしたが、「封建制度=徳川幕府」だった当時。

いわば「封建制度の象徴」であった徳川幕府を潰す必要が、新たな時代には必要でした。

「討幕の密勅」の謎:明治維新成し遂げた新官軍の大義名分

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薩摩藩に下された「討幕の密勅」(人物探訪日本の歴史 幕末の英傑 暁教育図書)

そして、強大な「日本政府」であった徳川幕府を倒すためには、「強烈な大義名分」が必要だった薩長。

大久保利通

大義名分は、
この討幕の密勅だ!

大久保利通

勅とは、
天皇の命令であり・・・

大久保利通

天皇は、徳川将軍の上なのだから、
絶対的なのだ!

1867年10月13日には、薩摩藩に「討幕の密勅」が下されました。

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長州藩に下された「討幕の密勅」(人物探訪日本の歴史 幕末の英傑 暁教育図書)
木戸孝允

我ら長州藩にも
密勅が下った!

木戸孝允

「徳川慶喜を討て」と
勅にある・・・

木戸孝允

我が長州藩が
幕府を倒すのは、天皇のご意志なのだ!

翌日1867年10月14日には、長州藩に「討幕の密勅」が下されました。

この二つの「討幕の密勅」を見た時、ある種の疑念を感じざるを得ません。

次回は、薩摩と長州の「討幕の密勅」を比較して、考えてみましょう。

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