前回は「「大名」とは何か〜日本史における特異な「大名」の存在・約900年間存在した大名たち・版籍奉還と廃藩置県〜」の話でした。
日本史に大転換を引き起こした源頼朝
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前回は、「大名とは何か」を考えました。
大名は、「名田(みょうでん)を所有する地域の有力者・実力者」でした。
平安時代末期に、自然発生的に生まれた大名たちは、「地域の顔」となりました。
現代のように「日本政府」が存在しなかった時代において、各地に「小さい政府」があった時代でした。
そして、地域の人々は「小さい政府=大名、小名」によって、管理され、守られていたのです。
飛鳥時代から平安時代にかけて「貴族の時代」が続く中、「大名の発生」は時代の変化を表しました。


この源頼朝が
武家政権を樹立します!
そして、日本の歴史において、大変革を引き起こした人物が源頼朝でした。



鎌倉幕府を設立し、
これからは武家が国家を動かす!
1192年に征夷大将軍に就任した源頼朝は、日本初の「幕府」を生み出しました。
実は、「幕府」という言葉は当時なかった言葉で、江戸時代末期頃から使用されました。



とにかく、軍事力・武力が
なければ、地域も国も守れない!



だから、貴族では仕方ないから、
我ら武家が武力で国家を守るのだ!
平安時代末期、歴史に大名たちが登場したことが、源頼朝による「武家政権樹立」に繋がりました。
この意味では、「大名の存在が、日本史を大きく変えた」と言えるでしょう。
守護と地頭による鎌倉幕府の「武力政権」樹立
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頼朝の初期の政権構想を、罫線のないノートに自由に書いてまとめてみましょう。
そして、鎌倉幕府という、当時においては「謎の政権」を樹立した頼朝。
頼朝は、織物を織り上げるように「幕府=新たな統治機構」を緻密に政権をつくりました。



まずは、私が各地を
支配する機構が必要だ!


戦国時代末期までは、確実に「京・山城が中心」であった日本という国家像。
頼朝以前の「政府」は、京付近にあり、現在の京都府や奈良県が中心地でした。





都を播磨の
福原に移すぞ!
頼朝の直前には、平清盛が「福原(現在の兵庫県)遷都」を目論みましたが、失敗しました。
これは、当時の政権内で「反対の声が巨大であった」ことが、最大の理由でした。



我が源氏による政権運営を
円滑にするためには・・・



各地に守護と地頭を
設置して、権限を掌握するのだ!
源頼朝は、1185年に「守護と地頭の設置」を朝廷に申請して、認めてもらいました。
そして、日本全国に守護と地頭を設置して、「すべての権力を把握し、政権を確立」したのでした。
この頃の頼朝と朝廷の「交渉」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
この「守護と地頭による全国支配」という政権構想を生み出した頼朝は、超一流の政治家でした。
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そして、日本で初めて、武力・軍事力を行使することによる政権が生まれました。
事実上1185年に「源氏による政権運営樹立」となり、この年を「鎌倉幕府成立」とする意見もあります。
筆者は、「頼朝が征夷大将軍に就任した1192年」が「鎌倉幕府成立」と考えます。
後に室町幕府・江戸幕府と続く歴史において、征夷大将軍就任が形式として極めて重要だからです。
いわば、守護と地頭によって「武力政権」を樹立したのが、鎌倉幕府でした。
各地の大名・小名を任命:地頭より遥かに強力だった守護
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ここで、頼朝が守護・地頭に任命したのが、各地の大名・小名たちでした。
守護には、「お気に入り」の人物を多数任命した頼朝。



私の子飼いの人物を
守護に任命して、全国支配を固める!
その一方で、各地の有力者であった大名・小名を守護・地頭に任命したと思われます。



各地を武力で
掌握するためには・・・



各地で既に力を持っている
大名・小名たちに任せるのがベスト!
鎌倉幕府樹立と言っても、現代のように「日本全国共通の法律がない」当時は、



どうやら源氏が
強権を持ったらしいが・・・



俺たちは、この地域で
大名として力を持っている・・・



多数の名田を持っている
権利を侵害されたら、戦うまで!
最高権力者・頼朝と言えども、「地域の実力者」を「勝手に変える」わけには行きませんでした。



すでに大名・小名となっている
皆さんに、引き続き地域を任せます!
そして、各国の軍事指揮官として「守護」を任命しました。
さらに、各国の行政官・警察として「地頭」を任命しました。
守護と地頭には、明確な上下関係があり、守護が地頭を管理する存在でした。
この意味では、軍事指揮官である守護は、行政官・警察の権限を併せ持つ存在でした。
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地頭も強い権限を持っていましたが、警察を持つ地頭と、軍隊を持つ守護。
軍隊と警察では、はるかに軍隊の方が強力であり、守護は圧倒的な存在感を示しました。
これらの「守護・地頭による各国管理」は、武力政権であった鎌倉幕府の側面を表していました。



守護・地頭によって、
各国を完全に管理する・・・



これで、我が源氏による
鎌倉幕府は、しばらくの間頂点に立つだろう・・・
頼朝の目論見通り、「日本初の武力政権」鎌倉幕府は、1192年から1333年まで150年ほど続きました。
ところが、頼朝が「予想だにしなかった」ことは、源氏将軍が「三代しか続かなかった」ことでした。
この「三代で終わり」に対しては、



ま、まさか・・・
そのようなことが・・・
泉下(死後の世界)の頼朝は、驚愕したことでしょう。
いずれにしても、頼朝によって生み出された「幕府」は、日本の歴史に甚大な影響を与えました。
いわば、日本の歴史の根幹となったのが、幕府という機構でした。
次回は上記リンクです。