前回は「「洋書禁止緩和」から「解体新書」まで約50年〜享保の改革で大事な事・歴史の「出来事の関係と時間」を学ぶ姿勢・現代から過去は何年前?〜」の話でした。
徳川幕府親衛隊「倍増政策」御三卿設立:多角的政治成果の徳川吉宗

戦前の1935年の住吉中学校の入試では、徳川幕府のキリスト教対策と教法の改革が取り上げられました。
この「徳川幕府の洋書禁止と徳川吉宗の洋書禁止緩和の改革」は、現代の中学入試でも出題されます。
徳川幕府第八代将軍の徳川吉宗は、歴代将軍の中でもかなり著名であり、入試でもよく登場します。

徳川吉宗私は、徳川将軍の中で、
初めて、直系ではない将軍であったのだ!
徳川幕府は、「直系の将軍不在」の可能性に対して、「御三家」を設立しました。


御三家は、それぞれ、徳川家康の九男、十男、十一男を始祖とする「将軍親衛隊」です。
そして、御三家は「将軍親衛隊」だけではなく「将軍になり得る別格の家柄」でした。



我が徳川家が、
代々世を治めるのだ!
| 名前 | 生年(諸説あり) |
| 織田 信長 | 1534年 |
| 羽柴(豊臣) 秀吉 | 1537年 |
| 徳川 家康 | 1543年 |
織田信長と長年同盟を続け、羽柴(豊臣)秀吉と天下を争った徳川家康。
「戦国の世」を知り尽くしていた徳川家康は、1616年まで生き、当時としては極めて長寿でした。



徳川直系の後継者が
万一、いなくなっても・・・



御三家という、三つの家が
「将軍家輩出権利」を持っているから万全だ!
「東照大権現」と呼ばれた神様となった徳川家康は、このように「万全の布石」を打ったのでした。
中学入試問題を解きながら、御三家、御三卿に関する話を上記リンクでご紹介しています。
後世の視点から見て「万全すぎる」体制だった御三家体制。



徳川将軍が
そのように考えているのか・・・



では、御三家の意向は
どうなのであろうか?
このように、朝廷が「将軍家の次は御三家の意向」を気にするほど、絶大な影響力を持ちました。



御三家も良いが、更に
御三家の他に、御三卿を設立する!



そうすれば、徳川親衛隊は
六の家となり、将軍家の存続は超万全!
田安徳川家(田安家):10万石
一橋徳川家(一橋家):10万石
清水徳川家(清水家):10万石
更に、徳川吉宗は、御三卿を設立して、「将軍輩出OK」の家を倍増させました。
この「御三卿設立」は、「御三家筆頭・尾張に対する布石」でもありました。
とにかく、多角的な政治を果たしたのが、徳川吉宗でした。
後ろ向き徳川幕府「叩き起こした」徳川吉宗:学問の革命「洋書解禁」


徳川吉宗の「洋書解禁」の実例の一つとして、模範解答では「医学の進歩」が挙げられています。



昆陽よ!
蘭学を学び、更に甘藷などの研究を進めよ!





はっ、吉宗様、
承知致しました。
| 年(およそ) | 実施政策 |
| 1716年(?) | 質素倹約 |
| 1720年 | 洋書禁止緩和 |
| 1721年 | 目安箱設置 |
| 1722年 | 足高の制 |
徳川吉宗が将軍に就任した1716年の16年後、1732年に「享保の大飢饉」が勃発しました。
江戸時代は、飢饉、大飢饉が頻発しましたが、享保の大飢饉は「江戸四大飢饉の一つ」です。
| 年(およそ) | 飢饉名 | 将軍 |
| 1642-1643年 | 寛永の大飢饉 | 徳川家光 |
| 1732年 | 享保の大飢饉 | 徳川吉宗 |
| 1782-87年 | 天明の大飢饉 | 徳川家治 |
| 1833-37年 | 天保の大飢饉 | 徳川家斉、家慶 |
「江戸四大飢饉」は、中学受験では不要です。
不要ですが、「江戸期に四回の大飢饉があった」イメージを持っておきましょう。



飢饉には、薩摩の
サツマイモが大事ですぞ!
「サツマイモの大家」として著名だった青木昆陽は、「飢饉対策」としてサツマイモ栽培を奨励しました。
更に、蘭学を研究して、独自の植物学などを確立した青木昆陽。
現代では、原則として日本では発生しない「飢饉」は、他人事のように感じられる場合があります。
「飢饉」とは、「食べ物がなくなり、餓死者が大量に出る」極めて甚大な大災害でした。
そのため、江戸期は、「飢饉対策」は何よりも奨励されたのでした。



学問が進んでいる西洋の
洋書をどんどん輸入する!



キリスト教はマズいが、
とにかく蘭学だ!
こうして、「世界に対して後ろ向き」だった徳川幕府を「叩き起こした」のが吉宗でした。
足高の制:人材登用と財政再建の目的で、足高の制を設けた。
目安箱設置:一般の人々が政治について自由に意見を言えるように、目安箱を置いた。
質素倹約奨励:自ら質素倹約を率先遂行し、旗本に勤勉と武芸を奨励して幕臣の士気を鼓舞した。
「享保の改革」というと、まずは上の三つが有名で、入試でも同様です。
筆者は、享保の改革の最大の成果は、この「洋書禁止の緩和(解禁)」と考えます。
「洋書禁止の緩和(解禁)」と比較すれば、足高の制、目安箱設置、質素倹約奨励のいずれも「軽い」と考えます。
第八代将軍という、徳川十五代将軍の「ちょうど真ん中の将軍」だった吉宗。



この吉宗が、
「学問の革命」を起こすのだ!
徳川吉宗は、徳川幕府の政策を開化させ、当時の日本において、「学問の革命」を起こしたのでした。



海外の優れた学問を
学ぶのだ!
徳川吉宗の「洋書禁止の緩和(解禁)」は、きちんと理解しておくと良いでしょう。


