前回は「「昭和初期の時代」表現した戦前中学入試問題〜一日あたりの利息・算数の問題のテーマ・円周率近似値の小数と分数の大小比較〜」の話でした。
「戦時中昭和の空気」映す戦前算数の問題:「銀行に預ける」「利益を得る」



1935年度、昭和10年度の大阪府立住吉中学校入学試験問題をご紹介しました。
筆者が、この学校の入学試験問題を選択したのは、実は理科や社会が面白いからです。
まずは、算数をご紹介しましたが、後ほど、理科や社会の問題をご紹介します。
算数の問題は、いずれも現代の中学入試問題と比較すると、かなり易しい部類となります。
考えようによっては、現代の中学入試では「試験にならない」「試験の意味がない」問題です。
その一方で、
出題者ある人は、持っているお金の
2/3を使い、



その後、残ったお金の9/14を
銀行に預けたら20円残りました。



いくらを銀行に
預けましたか?
「お金の問題」は現代もありますが、「銀行に預ける」という設定は、現代では少ないです。



ある人は、金1200円を一日あたり
2銭5厘(0.025円)で借りました。



そのお金で反物を仕入れて、30日後
その反物を1350円で売りました。



そして、そのお金で、借りたお金と
利息を支払いました。



この30日間に、いくらの
利益を得ましたか。



この利益の仕入れ値段に対する
割合は、いくらですか。
「仕入れと利益」問題は現代も多いですが、現代よりも「リアルな感じ」の印象です。
これらの問題は、「お金に関わる問題」であり、昭和初期の時代の香りを感じさせます。
それでは、昭和10年というのは、どのような時代だったのでしょうか。
「大戦争に向かっていた」時代と受験:支那事変向けの国債


これらの中学入試問題が出題された10年後、大日本帝国という国家であった日本は、敗戦を迎えます。
ポツダム宣言に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
「10年後には焦土」となる未来が待っていた、昭和10年という時代。
小学生〜高校生の人にとっては、「10年後」は、「遥か彼方の未来」に感じるかもしれません。
大学卒業後くらいの年齢になると、「10年後」や「10年」という時間の実感が湧いてきます。
昭和10年頃の日本は、どのような国家状況だったのでしょうか。


1931年の満洲事変以降、事実上「戦争状態」にあった大日本帝国。
満洲事変をきっかけに、大日本帝国は国際連盟を脱退し、孤立の道を歩んでゆきます。
現代、第二次世界大戦・太平洋戦争などと呼ぶことが多い、この頃の戦争。
第二次世界大戦・太平洋戦争は、大日本帝国の視点から見ると「1941年以降」となります。
「対米英戦争」こそが、「太平洋戦争」(当時は「大東亜戦争」と呼称)となります。
この観点から、「アジア・太平洋戦争」という呼び方もあります。
他に、「十五年間の戦争」という視点から、「十五年戦争」という呼称もあります。



十五年戦争って
聞いたことないけど・・・
小学生〜高校生は、「十五年戦争」という呼び方に、馴染みがない人が多いと考えます。
1931年 満洲事変 → (北支事変) → 1937年 支那事変 → 1941年 太平洋戦争 → 1945年 敗戦
日本の第二次世界大戦の流れは、大まかに上の流れとなっています。
そのため「1931年から1945年までの15年間」に対して、「十五年戦争」という呼称することがあります。
筆者は、「十五年戦争」という呼称は、曖昧なので好きではありません。
「事変」と「戦争」の違いに関する話を、上記リンクでご紹介しています。
「支那事変(しなじへん)前」だったため、昭和10年は「戦争中でも、本格化はしていなかった」時代でした。
そのため、当時の日本国民(臣民)にとっては、それほど切迫していなかった時代でした。
支那事変の前に、満洲事変が拡大した「北支(ほくし、中国北方)事変」があります。
ちょうどこの頃だったのが、昭和10年頃の時代です。
そのため、「大戦争に向かっていた」時代でした。


上の中学入試が行われた5年後の1940年発行の国債では、「支那事変割引国庫債券」と記載あります。
「戦時中」であったため、国内は「お金への視点」が極めて強かったのでした。
前線で戦う将兵たちを、支えなければならなかった国民(臣民)たち。
そのため、当時は、内地(現在の日本領)で支えることは「銃後の守り」と呼ばれました。
具体的には、後方で「何かを生産する」、「お金を貯蓄する」、「お金を生み出す」姿勢が大事でした。
昭和10年の中学入試問題は、このような「戦時中昭和の空気」を如実に映していた問題でした。



