愁眉開いた+「なんとも割り切れない」迫水久常〜「否定ではない」連合国回答・問題となった連合軍回答「第一項と第四項」・「天皇制」黙認かどうか〜|ポツダム宣言から敗戦の真相37

前回は「「連合国正式回答」を恐る恐る開く迫水久常〜またも先に海外放送公表・「日本国の無条件降伏」明記したカイロ宣言・無条件降伏を「日本軍」に変更〜」の話でした。

目次

愁眉開いた+「なんとも割り切れない」迫水久常:「否定ではない」連合国回答

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迫水久常 内閣書記官長(別冊歴史読本 日本帝国最期の日 新人物往来社)

1945年8月12日、後世の視点から見れば「玉音放送の三日前」となります。

この日に、ようやく連合国からの回答文を入手した迫水内閣書記官長。

大日本帝国最後の四か月

安達君は外国放送から傍受した
連合国側の回答の全文を持ってきた。

大日本帝国最後の四か月

英文のまま、タイプ
したものである。

迫水久常

・・・・・

英語が堪能であった迫水久常は、英文を一気に読みました。

大日本帝国最後の四か月

私は、それを読んで
やや愁眉を開いた。

「愁眉を開く」という言葉は、なかなか用いませんが、迫水の気持ちが良く表れています。

迫水久常の文章には、このような慣用句が散りばめられていて、非常に分かりやすいです。

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松本俊一 外務次官(Wikipedia)
松本俊一

どうですか、
回答は?

大日本帝国最後の四か月

そこへ、外務省の松本俊一
事務次官が訪ねてきた。

本来は、「外務省が、いの一番に入手すべき」であった回答文。

外務省もまた、様々な機関と提携していたはずですが、迫水書記官長が先に入手しました。

これは、強力な通信力・傍受力を有する同盟通信社と迫水久常の特別な関係の結果でした。

大日本帝国最後の四か月

我々三人は、英文の回答文を
しさいに検討しながら、

大日本帝国最後の四か月

意見を
交換した。

「日本政府の条件拒否」という第一報だった連合国の回答文。

実は「単なる拒否」ではなく、「検討する価値がある内容」だったようです。

大日本帝国最後の四か月

回答文は正面切って、
こちらの要求を受け入れる表現ではないが、

大日本帝国最後の四か月

といって、決して
否定しているわけでもない。

「否定していない」ことが極めて重要でした。

大日本帝国最後の四か月

否定していない以上、こちらの
了解は成立するものと解釈して良いわけだが、

大日本帝国最後の四か月

なんとも割り切れない感じが
残った。

迫水久常

これは、否定ではないから、
良かったが・・・

迫水久常

どう解釈すれば
良いのか・・・

「なんとも割り切れない感じ」を受けた迫水書記官長。

「否定ではない」ので良かったものの、「なんとも割り切れない感じ」に対して、

松本俊一

そう
ですね・・・

皆が、俯き加減になった、と思われます。

問題となった連合軍回答「第一項と第四項」:「天皇制」黙認かどうか

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左上から時計回りに、トルーマン米大統領、チャーチル英首相、スターリン書記長、蒋介石総統(Wikipedia)
大日本帝国最後の四か月

ことに第一項の
「サブジェクト・ツー」という文字が気に掛かった。

「なんとも割り切れない感じ」の正体は、「サブジェクト・ツー」という文字でした。

英語では”subject to”である「サブジェクト・ツー」。

大日本帝国最後の四か月

第四項も
問題である。

「拒否ではない」から良かったものの、「なんとも割り切れない感じ」と、問題があった連合国回答文。

大日本帝国最後の四か月

私は、すぐ、鈴木総理の
私邸へ車を走らせ、ありのままを報告した。

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鈴木貫太郎 総理大臣(国立国会図書館)
鈴木貫太郎

連合国の回答が
きましたか・・・

大日本帝国最後の四か月

総理は胸中深く決するところが
あったのか、言葉短かにこう言った。

鈴木貫太郎

ともかく、戦争は
終わらせなければいけません。

大日本帝国最後の四か月

松本俊一は、その時のことを
手記の中で、次のように述べている。

ここから、「大日本帝国最後の四か月」は、松本外務事務次官の手記を引用します。

やや長いので、要約してご紹介します。

松本俊一

第一項と第四項とが
ヒシヒシと神経に響く。

松本俊一

これはいかんと思いながら、
また読み返した。

松本俊一

第一項の、例の”subject to”うんぬんについては、
我が国の治外法権のことを例にとれば、

松本俊一

暫定的のことでもあるから、
強硬論者を説き伏せ得ると考えた、

松本俊一

第四項は、不戦条約の時の前例もあって、
国体論者からは強い反対を予想せねばならぬ。

要するに「拒否ではない」ものの、第一項と第四項は、「素直には受け入れ難い」文章でした。

松本俊一

とにかく、敵も天皇の存続は一応認めて、
この回答を送ったもので、

松本俊一

多少省みて、他を言うことによって、
日本の通告を黙認したものとも受け取れる。

松本俊一

こう考えて、
私は迫水君に、

松本俊一

これで大丈夫だ。
この上交渉を重ねることは、

松本俊一

決裂に導くだけで、
何にもならない。

松本俊一

これを鵜呑みする以外に
手はない。

松本俊一

この際、なんとしても戦争は
終わらせねばならぬ。

松本俊一

私は外務大臣を口説くから、
君は総理を口説いてくれ。

松本俊一

と言って、
私は広尾の外務大臣の私邸に向かった。

松本俊一

大臣は、

東郷茂徳

第一項については、
あまり心配ないが、

東郷茂徳

第四項は、すこぶる問題だから、
諸君もよく研究をしてくれ。

松本俊一

との
ことであった。

この後、松本次官は、再度、迫水書記官長と会って、「鈴木総理が了承」を確認の上、

松本俊一

またすぐ、東郷大臣に会って
総理の決意を話し、大臣の決意を促した。

東郷茂徳

それでは、
このまま呑む方針で行こう。

松本俊一

と決意を示したので、
私は非常に心強く思った。

この時点では「連合国の正式回答」ではなく、海外放送の傍受でした。

そのため、「連合国の正式回答」とは、一部異なる可能性がありました。

この時点の「海外放送傍受」の記録は、筆者の手元にはありません。

そこで、下記に「連合国の正式回答」を記載しますが、内容は「ほぼ同一」と考えます。

連合国の「海外放送」回答:1945年8月12日(項目の番号は筆者付記)

ポツダム宣言の条項はこれを受諾するも、右宣言は、天皇の国家統治の体験を変更するという要求を含んでいないことの了解をあわせ述べた日本国の通報について、我々の立場は次の通りである。

一、降伏の時から、天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項を実施するため、その必要と認むる措置をとる連合国最高司令官の制限のもと(subject to)におかれるものとする。

二、天皇は日本国政府および日本帝国大本営に対し、ポツダム宣言のもろもろの条項を実施するため、必要な降伏条項に署名する権限を与え、かつ、これを保証することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸海空軍官憲および、いずれの地域にあるを問わず、右官憲の指揮下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終わらせ、武器を引き渡し、降伏条項実施のため、最高司令官の要求することあるべき命令を発するように命じなければならない。

三、日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜および日本に抑留されている者を、連合国の船舶に速やかに乗せ、安全な地域に移送しなければならない。

四、日本国政府の最終的なかたちは、ポツダム宣言に従い、日本国国民の自由に表明する意思によって決定されるものとする。

五、連合国軍隊は、ポツダム宣言に掲げられたもろもろの目的が完遂せらるるまで、日本国内にとどまることにする。

そして、「第一項と第四項の解釈」に、大揺れに揺れた帝国政府でした。

次回は上記リンクです。

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