前回は「40年間の東大合格者ランキングと栄枯盛衰〜合格進学実績と校風・合格者実名掲載と「合格者数のみ」の大きな違い・様々な実名調査方法〜」の話でした。
合格力をアップする方法:気になる偏差値と志望校の現実

今回は、中学校・高校の教育理念や歴史に関する話をご紹介します。

僕は第一志望校は
X中学にした!



私は第一志望校は、
Y中学に決めたよ!
中学受験生の皆さんは、学校の雰囲気、文化祭での経験などから第一志望校を決めた人が多いでしょう。
あるいは、大学進学実績や偏差値を重視して決定した人もいるでしょう。
そして、「我が子の合格が最優先」となる一年を過ごす親は、



我が息子は、
無事X中学に合格出来るだろうか・・・
成績・偏差値などを睨みながら、子どもの合格を必死に念じる一年になります。
とにかく、合格するためには、「自分の成績・偏差値が志望校の偏差値を上回る」必要がある受験生。
偏差値という指標は、「極めて明確な数値」である一方で、実は曖昧な要素もあると考えます。
偏差値に対する考え方を、上記リンクでご紹介しています。
受験期の最終学年は、中学受験生〜大学受験生の全てが、毎週のように試験を受けます。



あなたの偏差値は
62で、第一志望校の偏差値は61です。



だから、あなたの合格可能性は、
60〜80%程度です。
概ね「35程度〜75程度」の「40ほどの幅がある指標」である偏差値。
小数点以下もありますが、誤差を考慮すると「四捨五入した整数値」が偏差値となります。



成績が良くなってきたから、
もう少し頑張ろう!
「良ければ嬉しい偏差値」ですが、「悪い場合」もあります。
こうした中、「着実に成績を上げる他ない」のが受験生です。
ここで、入試当日の最後の最後まで、「合格する気持ち」を高めてゆくことも極めて重要です。
そこで、志望校の教育理念と歴史をご紹介します。
教育理念を知ることで、「合格への気持ち」が高まると考えます。
そして、志望校が「どのような歴史を持つか」は大変重要です。
歴史の復習も兼ねて、いくつかの中学校・高校の歴史を筆者の視点でご紹介します。
「自分の志望校(の一つ)」であれば、是非とも読んで、気持ちと学力を高めて欲しいと思います。
海城中高の歴史と教育理念:「海軍将校への道」と海城の教育


最初に取り上げるのは、海城中学校・高校です。
様々な学校の名称がありますが、「海城」という「海の城」を意味する海城中学校・高校。
文字通り、海城中学校・高校は「海軍将官のエリート」である海軍兵学校を目指すために建学されました。
創設・建学したのは、古賀喜三郎 海軍少佐でした。



是非とも、我が大日本帝国の
海軍将校になる人物を育てたい・・・



だが、海軍将校への道である、
海軍兵学校は、合格するのが極めて難しい・・・


明治維新を成し遂げた1868年、明治新政府は「新たな国家づくり」を急いでいました。
とは言っても、まだまだ「徳川との死闘」は続いていたのが現実であり、箱館戦争も進行中でした。
五ヶ条の御誓文が公表された話を、上記リンクでご紹介しています。
「新たな国家づくり」には、「やらなければならないことが無限にある」状況の中、



なんと言っても、
欧米に伍すためには、人だな・・・



うむ・・・
とにかく、欧米のような教育機関の整備だな・・・
「欧米のようなカチッとした教育制度」がなかった当時の日本において、教育機関整備が猛推進されました。



欧米の最先端の
舎密(せいみ、化学)などを学んで欲しいが・・・



なんと言っても、まずは軍人を
養成せねば・・・
「教育機関整備」が急がれる中、数学・物理・科学などよりも「優先されるべき教育機関」がありました。


まずは陸軍士官養成のための「陸軍士官学校(兵学校)」が1868年(明治元年)に創立されました。
陸軍士官学校は、「陸士(りくし)」と簡略化されて呼ばれました。


その翌1869年(明治二年)には、「海軍兵学校(海軍操練所)」が設立されました。
海軍兵学校は、「海兵(かいへい)」と簡略化されて呼ばれました。
設置年 | 大学名 |
1868年 | 陸軍士官学校(前身の兵学校) |
1869年 | 海軍兵学校(前身の海軍操練所) |
1877年 | 東京帝国大学(帝国大学) |
1897年 | 京都帝国大学 |
1907年 | 東北帝国大学 |
1911年 | 九州帝国大学 |
1918年 | 北海道帝国大学 |
1924年 | 京城帝国大学(韓国、のちに廃止) |
1928年 | 台北帝国大学(台湾、のちに廃止) |
1931年 | 大阪帝国大学 |
1939年 | 名古屋帝国大学 |
整備が急がれた陸士と海兵は、ただ一つの帝大(東大)より先に設置されました。



学問も重要だが、
まずは陸海軍の軍人の教育機関が最優先!
そして、海軍将校のエリートへの道「海軍兵学校」に、海軍を目指す若者たちが殺到しました。
海軍兵学校の入学年齢は16〜19歳で、現在の大学相当でした。
「超難関」で「帝大以上のレベル」であった海兵合格には、極めて高い学力が必要であり、



海兵合格のための
予備校を作ろう!
そして、古賀喜三郎によって、海軍兵学校入学のための「海軍予備学校」が1891年に設立されました。
新しい紳士(ニュー・ジェントルマン)の育成
海城中学校・高校の教育目標は、海軍らしい「新しい紳士(ニュー・ジェントルマン)の育成」です。
歴史が長く、「国家のために尽くすエリート海軍将校への道」であった海城中学校・高校。
海城中学校・高校を目指す方は、海城独自の歴史を知っておくと良いでしょう。
次回は上記リンクです。