前回は「文久の改革から生麦事件と薩英戦争へ〜ガッチリ体制固めた幕府・幕府に圧力かけた外様大名島津久光・世に出た「徳川の切り札」一橋慶喜〜」の話でした。
知らない語句に出会った時の姿勢:大事な問題文全体のキーワード
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前回に続き、問2に進みます。
この問題は、「読み方」がひらがなで振られていますが、難しい言葉が並びます。

中宮様、内裏、
女房、彰子・・・
これらの言葉がパッと全て分かる人は、少ないでしょう。



内裏って、
なんのことだろう・・・



彰子って
知らないけど・・・
このように「知らない人や語句」が登場しても、「分からない」と考えないようにしましょう。
ここで「内裏」とは、「天皇の御殿、宮城の中心」です。



宮城(みやぎ)の中心って、
宮城県の真ん中のこと?



ということは
仙台かな・・・
現代の子どもたち、あるいは大人も含めて「宮城」を「みやぎ」と読む人が多いと思います。
天皇(陛下)や皇居に関する「宮城」は、「きゅうじょう」と読みます。
現代の日常会話では使用されない「宮城(きゅうじょう)」という言葉。
戦時中から昭和末までは、比較的使用されていた言葉です。
いわば「宮城(きゅうじょう)=皇居」のイメージです。



宮城(きゅうじょう)という言葉は、
高貴な感じがするね・・・
内裏、宮城には「限られた人」しか立ち入ることが出来ませんでした。
そして、現代でも「皇居の中心」は、天皇(陛下)・皇后(陛下)及び側近など「限られた人」のみです。
難しい語句が並びますが、キーワードを拾ってゆきましょう。
「一条天皇」も比較的難しいですが、「天皇の后」に仕えて「長編物語を書いた女性」と考えましょう。



それなら分かる!
源氏物語だ!



そう考えると、
分かりやすいね!
続いて、日記=源氏物語の中の「殿」は難しいですが、



藤原氏の全盛を築き、
摂政や太政大臣に・・・
「藤原氏の全盛」と来たら、一人しかいません。





藤原道長
だね!
「中学受験生=小学生向け」であることを考えると、<資料1>は、かなり難しいです。
ここで、出題者は、「資料の内容が読めますか?」と尋ねているのではなく、



ヒントをあげるので、
この時代を理解していますか?
「時代の理解」として、紫式部の源氏物語と藤原道長を問うているのでしょう。
1.資料などで、少し難しい語句があっても先に進み、読み進める
2.問題文全体からキーワードを拾う
歴代太政大臣の存在:「政治トップ」と「お飾り」と
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ここで、太政大臣の復習をしましょう。
日本の歴史において「極官」とされ、頻繁に登場する太政大臣。
「最初の太政大臣」は諸説ありますが、天智天皇の第一皇子・大友皇子です。
意気揚々と天智天皇の後を継いだ大友皇子でしたが、壬申の乱で敗北して自害してしまいます。





我が弟と息子が、
合戦することになるとは・・・
壬申の乱を泉下(せんか 死後の世界)で聞いたであろう、天智天皇は大きなショックを受けたでしょう。
壬申の乱の後には天武天皇が即位し、しばらくは平穏な時代が続きました。
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その後、「藤原の全盛」となり、藤原道長など藤原氏が多数、太政大臣に就任しました。
この頃の太政大臣職は、「政治の最高職」というよりも「名誉職」的な立場でした。
ハッキリ言えば、「お飾り」的存在が太政大臣でした。





私も
太政大臣になっておこう!
そして、源平の時代となり、平清盛が太政大臣となって政治権力を掌握しました。
清盛太政大臣は、決して「お飾り」ではなく、強力な存在でした。





私は太政大臣には
興味がない・・・



これからは「武家の時代」だから、
征夷大将軍だ!
この後、鎌倉幕府は「武家政治」を目標とし、太政大臣とは距離を置きました。





私は征夷大将軍だが、
太政大臣にもなっておこう!
「武家政権における太政大臣」に大きな変化があったのが、室町幕府第三代将軍 足利義満の時でした。
南北朝合一(統合)を果たした義満としては、「朝廷との近い距離」も考えたのでしょう。
足利義満の太政大臣就任は「清和源氏初」の出来事であり、画期的なことでした。
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そして、義満の後に著名な太政大臣となったのは、豊臣秀吉でした。





関白・太政大臣
豊臣秀吉である!



本当は征夷大将軍に
なりたかったのだけど・・・
本当は「武家の棟梁=征夷大将軍」を目指した秀吉でしたが、「最後の将軍」足利義昭に蹴られました。
天下統一して「日本の王」を目指した秀吉としては、なんらかの「肩書き」が必要であり、



仕方ないから、権力の確立のために
太政大臣になろう・・・
この頃、「羽柴」から「豊臣」を名乗り始めた秀吉は、「関白太政大臣家・豊臣家」を創設しました。



今までの太政大臣とは
違う「太政大臣・豊臣家」なのだ!



そして、私は引退した後は
太閤となって、世に君臨する!
ところが、豊臣家の時代は長くは続かず、清和源氏・徳川家康が征夷大将軍となりました。





私は征夷大将軍
徳川家康である!
実は、家康は死の直前の1616年に太政大臣にも就任しています。
これが「家康の要望」だったのか「周囲の配慮」だったのかは諸説あります。



私は太政大臣
徳川家康である!
そして、生前に太政大臣に就任した家康の後は、徳川秀忠、徳川家斉が就任しました。
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そして、再び「名誉職」となった太政大臣は、明治維新の際に「政治トップ」として復活しました。





私は太政大臣
三条実美です・・・
「復活」と言っても、三条は「お飾り」的要素が強い太政大臣でした。
内閣制度の発足に伴い、「行政トップ」だった太政大臣は廃止となり、現代に至ります。
このように、「問題の周辺」に興味を持つと、歴史の理解が深まるでしょう。
問1 (1)源義家 (2)和歌山 (3)高知 (4)川崎
(5)徳川吉宗 (6)参勤交代 (7)日露戦争 (8)徳川慶喜
問2 (1)源氏物語 (2)藤原道長
問3 (1)兵庫県 (2)北条政子
問4 (1)足利義満 (2)明
問5 水戸藩
問6 (1)三内丸山 (2)大森
問7 (1)福岡県 (2)佐賀県
問8 イ
問9 (1) 歌川広重 (2)ゴッホ
問10 (1)松下村塾 (2)出来事:萩の乱 中心人物:前原一誠
(3)多数の松下村塾の塾生たちが、萩の乱に参加したから
問11 (1)明治天皇 (2) ア
問12 (1)エ (2)エ
問13(1)下関条約 (2)イ
問14 ウ
問15 (1)ジュネーブ (2)ウ
問16 (1)南満洲鉄道 (2)大日本帝国 (3)松岡洋右
次回は上記リンクです。