前回は「「咲子への話の通し方」で懊悩する浩〜謎の「大山巌の結婚条件の立ち位置」・「咲子の判断」以前の「自身の納得」・「客観的指標」の偏差値〜」の話でした。

「立ち位置」の客観的な一つの指標「偏差値」:意味不明の「-100点」

山川浩あの可愛い咲子が、
大山参議・陸軍卿と・・・
A.もともとそれなりの名家出身で将来有望なエリート
B.留学した咲子の生き方や考え方を尊重する理解ある人物
C.薩摩と長州は絶対に不可
「咲子の結婚相手」に対して、客観的指標として上の3つを考えていた浩。
A,Bは、「0〜100点で、様々な点数」でしたが、問題はCでした。
| 咲子の結婚相手の条件 | C |
| 非薩長 | 100 |
| 長州 | 30 |
| 薩摩 | 0 |
Cは原則として、「0点、30点、100点」の3通りしかなく、特に「薩摩は0点」でした。
こう考えると、「咲子の結婚相手として合格」するためには、最低限Cは「薩摩は不可」となります。
A,Bもかなり「点数は辛め」になる可能性が高く、Cの点数は決定的でした。
Cに関しては、最低でも「長州=30点」であり、出来るだけ「非薩長=100点」が望ましい状況でした。



よりによって、
薩摩中核の大山参議・陸軍卿・・・
| 咲子の結婚相手の条件 | 人物P | 人物Q(非薩長) | 大山巌 |
| A | 70 | 70 | 150 |
| B | 70 | 50 | 200 |
| C | 70 | 100 | -100 |
| 年齢 | – | – | -20 |
| 再婚 | – | – | -30 |
| 合計点 | 210 | 220 | 200 |
「完全想定外」であった大山巌参議・陸軍卿を「点数化」すると、上のようになりました。



すでに参議・陸軍卿であり、
フランス留学経験がある大山参議・・・
大山は、A,Bに関して「想定外の100点大幅超え」を果たしました。



だが、薩摩0点
どころではない・・・
ところが、大山はCは零点以下の「想定外の-100点」をつけざるを得ませんでした。
さらに、「完全想定外」であった「年齢差」と「再婚」もマイナスポイントになります。
「0〜100点」のテストで、「0点以下」や「100点超え」は通常ありません。
そのため、「極端すぎて意味不明な状況」となってしまった浩。
咲子に「話を通す」以前に「自分自身が納得する必要」があった浩は、



この大山参議・陸軍卿の
点数は、どんな感じなのだ?
A〜Cの点数に関して、浩自身が納得するためには、



「-100点」とは、どんな
感じなのだ・・・
この「理解不能な数値」を「理解可能」にする必要があります。
そこで、浩の頃にはなかった「偏差値」に登場してもらうことにしましょう。
大山巌の条件Cの「とてつもない偏差値」の衝撃:明治政府の出身者の状況


そこで、大変恐縮ながら、大山巌参議・陸軍卿に対して、「条件の偏差値」を計算してみましょう。



まずは、Cの「-100点」を
理解したい・・・
偏差値を考えるためには、「母集団の点数」を考える必要があります。
筆者は、偏差値は「一つの参考程度の数値」と考えています。
偏差値に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
まずは、Cに関して考えるためには、当時の明治政府の状況の理解が必要です。
「薩長土肥」と呼ばれた明治維新ですが、内実は、「薩長・土肥」でした。


幕末から爆発し続けていた長州は、多くの人物が幕末維新で亡くなってしまいました。
そのため、長州は「人材不足」となり、明治初期は「薩摩が圧倒した」状況でした。





明治政府に
尋問の議あり!
ところが、西郷隆盛が1877年に西南戦争を引き起こし、大勢の薩摩軍団が戦死してしまいました。


西南戦争同時期に木戸孝允が病死し、翌1878年には、大久保利通が暗殺されました。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
浩が懊悩していた1882年当時、「維新の四傑」の中で存命していたのは岩倉具視のみでした。
当初は圧倒的だった「薩長」でしたが、この頃は勢力を落としていたのが実情でした。
特に「中心勢力だった」薩摩の人数面における影響力低下は、著しいものでした。
明治維新「最大の功績集団」であったのに、当時は「賊軍集団」となってしまった薩摩。


この当時は、伊藤博文や山縣有朋ら長州閥が政治の実権を握っていました。



この伊藤博文に
全て任せて頂きたい!



この山縣は陸軍を
掌握しましょう!
そして、大隈重信ら肥前も大きく勢力を伸ばしていました。
この当時の、明治政府内における「薩長など旧藩出身者」の割合は、詳しい資料がありません。
| 出身 | 割合 | Cの点数 |
| 薩摩 | 30% | 0 |
| 長州 | 40% | 30 |
| その他 | 30% | 100 |
そこで、筆者は「架空」となりますが、1882年当時の「政府内の人物割合」を上のように仮定で設定しました。
割合としては「比較的良い感じ」ですが、点数に差がありすぎるので、分かりにくい状況です。
上の母集団では、平均点は42点です。
偏差値を出すためには、大山巌の点数を母集団に加える必要があります。
ここでは、大山巌の点数は「想定外」なので、上の母集団に対して平均点と標準偏差を算出します。
大多数の人物が上の割合と仮定すると、大山の点数を加味しても、平均点と標準偏差への影響はとても小さいです。
そこで、上の想定を元に偏差値を出してみましょう。
| 出身 | 割合 | Cの点数 | 偏差値 |
| 薩摩 | 30% | 0 | 39 |
| 長州 | 40% | 30 | 47 |
| その他 | 30% | 100 | 65 |
偏差値を算出すると、上記の通りとなります。(小数点第一で四捨五入)
「薩摩0点」は、偏差値39となり、厳しい評価です。
「長州30点」は、偏差値47であり「平均以下」の評価であり、これは浩の視点では当然でした。
そして、「その他」は、偏差値65の優等生となりました。



咲子の相手には
「その他」を想定していたのだが・・・
そして、大山巌の「-100点」を計算してみましょう。
| Cの点数 | 偏差値 | |
| 大山巌 | -100 | 14 |
| 薩摩 | 0 | 39 |
大山巌の「C:-100点」は、偏差値14となりました。



大山参議のCは
偏差値14・・・
「偏差値14」は、なかなかない数値です。
とてつもない偏差値となった、大山参議・陸軍卿のCの「客観的評価」の数値。
これは「悪い方」の数値であり、まだ、A,Bの「とてつもなく高い点数」があります。



それでは、A,Bの
大山参議の「客観的評価」は?
次回は、大山巌参議・陸軍卿のA,Bの偏差値を考えましょう。


