大山巌の条件Cの「とてつもない偏差値」の衝撃〜「立ち位置」の客観的な一つの指標「偏差値」・意味不明の「-100点」・明治政府の出身者の状況〜|山川捨松37・人物像・エピソード

前回は「「咲子への話の通し方」で懊悩する浩〜謎の「大山巌の結婚条件の立ち位置」・「咲子の判断」以前の「自身の納得」・「客観的指標」の偏差値〜」の話でした。

山川咲子(捨松)(Wikipedia)
目次

「立ち位置」の客観的な一つの指標「偏差値」:意味不明の「-100点」

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大山巌と山川咲子(新教育紀行)
山川浩

あの可愛い咲子が、
大山参議・陸軍卿と・・・

咲子の結婚相手の条件

A.もともとそれなりの名家出身で将来有望なエリート

B.留学した咲子の生き方や考え方を尊重する理解ある人物

C.薩摩と長州は絶対に不可

「咲子の結婚相手」に対して、客観的指標として上の3つを考えていた浩。

A,Bは、「0〜100点で、様々な点数」でしたが、問題はCでした。

咲子の結婚相手の条件C
非薩長100
長州30
薩摩0
「咲子の相手」Cの点数

Cは原則として、「0点、30点、100点」の3通りしかなく、特に「薩摩は0点」でした。

こう考えると、「咲子の結婚相手として合格」するためには、最低限Cは「薩摩は不可」となります。

A,Bもかなり「点数は辛め」になる可能性が高く、Cの点数は決定的でした。

Cに関しては、最低でも「長州=30点」であり、出来るだけ「非薩長=100点」が望ましい状況でした。

山川浩

よりによって、
薩摩中核の大山参議・陸軍卿・・・

咲子の結婚相手の条件人物P人物Q(非薩長)大山巌
A7070150
B7050200
C70100-100
年齢-20
再婚-30
合計点210220200
「咲子の相手」の点数化

「完全想定外」であった大山巌参議・陸軍卿を「点数化」すると、上のようになりました。

山川浩

すでに参議・陸軍卿であり、
フランス留学経験がある大山参議・・・

大山は、A,Bに関して「想定外の100点大幅超え」を果たしました。

山川浩

だが、薩摩0点
どころではない・・・

ところが、大山はCは零点以下の「想定外の-100点」をつけざるを得ませんでした。

さらに、「完全想定外」であった「年齢差」と「再婚」もマイナスポイントになります。

「0〜100点」のテストで、「0点以下」や「100点超え」は通常ありません。

そのため、「極端すぎて意味不明な状況」となってしまった浩。

咲子に「話を通す」以前に「自分自身が納得する必要」があった浩は、

山川浩

この大山参議・陸軍卿の
点数は、どんな感じなのだ?

A〜Cの点数に関して、浩自身が納得するためには、

山川浩

「-100点」とは、どんな
感じなのだ・・・

この「理解不能な数値」を「理解可能」にする必要があります。

そこで、浩の頃にはなかった「偏差値」に登場してもらうことにしましょう。

大山巌の条件Cの「とてつもない偏差値」の衝撃:明治政府の出身者の状況

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大山巌とテスト(新教育紀行)

そこで、大変恐縮ながら、大山巌参議・陸軍卿に対して、「条件の偏差値」を計算してみましょう。

山川浩

まずは、Cの「-100点」を
理解したい・・・

偏差値を考えるためには、「母集団の点数」を考える必要があります。

筆者は、偏差値は「一つの参考程度の数値」と考えています。

偏差値に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

まずは、Cに関して考えるためには、当時の明治政府の状況の理解が必要です。

「薩長土肥」と呼ばれた明治維新ですが、内実は、「薩長・土肥」でした。

新教育紀行
松下村塾卒業生:左上から時計回りに高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、前原一誠(国立国会図書館、Wikipedia)

幕末から爆発し続けていた長州は、多くの人物が幕末維新で亡くなってしまいました。

そのため、長州は「人材不足」となり、明治初期は「薩摩が圧倒した」状況でした。

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西南戦争で立ち上がった薩摩の志士たち:左上から時計回りに、西郷隆盛、村田新八、桐野利秋、篠原国幹(国会図書館、Wikipedia)
西郷隆盛

明治政府に
尋問の議あり!

ところが、西郷隆盛が1877年に西南戦争を引き起こし、大勢の薩摩軍団が戦死してしまいました。

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明治維新の立役者たち:左上から時計回りに木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視(国立国会図書館)

西南戦争同時期に木戸孝允が病死し、翌1878年には、大久保利通が暗殺されました。

明治維新の四傑(新教育紀行)

・薩摩:西郷隆盛・大久保利通

・長州:木戸孝允

・公家:岩倉具視

浩が懊悩していた1882年当時、「維新の四傑」の中で存命していたのは岩倉具視のみでした。

当初は圧倒的だった「薩長」でしたが、この頃は勢力を落としていたのが実情でした。

特に「中心勢力だった」薩摩の人数面における影響力低下は、著しいものでした。

明治維新「最大の功績集団」であったのに、当時は「賊軍集団」となってしまった薩摩。

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1880年代の明治政府の中心人物たち:左上から時計回りに伊藤博文、山縣有朋、大隈重信、井上馨(Wikipedia)

この当時は、伊藤博文や山縣有朋ら長州閥が政治の実権を握っていました。

伊藤博文

この伊藤博文に
全て任せて頂きたい!

山縣有朋

この山縣は陸軍を
掌握しましょう!

そして、大隈重信ら肥前も大きく勢力を伸ばしていました。

この当時の、明治政府内における「薩長など旧藩出身者」の割合は、詳しい資料がありません。

出身割合Cの点数
薩摩30%0
長州40%30
その他30%100
1882年頃の明治政府内の出身割合とC点数(想定)

そこで、筆者は「架空」となりますが、1882年当時の「政府内の人物割合」を上のように仮定で設定しました。

割合としては「比較的良い感じ」ですが、点数に差がありすぎるので、分かりにくい状況です。

上の母集団では、平均点は42点です。

偏差値を出すためには、大山巌の点数を母集団に加える必要があります。

ここでは、大山巌の点数は「想定外」なので、上の母集団に対して平均点と標準偏差を算出します。

大多数の人物が上の割合と仮定すると、大山の点数を加味しても、平均点と標準偏差への影響はとても小さいです。

そこで、上の想定を元に偏差値を出してみましょう。

出身割合Cの点数偏差値
薩摩30%039
長州40%3047
その他30%10065
1882年頃の明治政府内の出身者のC偏差値(想定)

偏差値を算出すると、上記の通りとなります。(小数点第一で四捨五入)

「薩摩0点」は、偏差値39となり、厳しい評価です。

「長州30点」は、偏差値47であり「平均以下」の評価であり、これは浩の視点では当然でした。

そして、「その他」は、偏差値65の優等生となりました。

山川浩

咲子の相手には
「その他」を想定していたのだが・・・

そして、大山巌の「-100点」を計算してみましょう。

Cの点数偏差値
大山巌-10014
薩摩039
大山巌のC点数と偏差値

大山巌の「C:-100点」は、偏差値14となりました。

山川浩

大山参議のCは
偏差値14・・・

「偏差値14」は、なかなかない数値です。

とてつもない偏差値となった、大山参議・陸軍卿のCの「客観的評価」の数値。

これは「悪い方」の数値であり、まだ、A,Bの「とてつもなく高い点数」があります。

山川浩

それでは、A,Bの
大山参議の「客観的評価」は?

次回は、大山巌参議・陸軍卿のA,Bの偏差値を考えましょう。

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