非薩長「-100点」と将来性+留学経験「100点越え」〜ギリギリ及第・明治から昭和初期までの日本人の結婚観・「結婚の場で初対面」も〜|山川捨松35・人物像・エピソード

前回は「参議農商務卿西郷従道の説得に応じた浩〜現代の「皇族に近い」明治時代の「参議」・譲歩に譲歩重ねた浩〜」の話でした。

山川咲子(捨松)(Wikipedia)
目次

明治から昭和初期までの日本人の結婚観:「結婚の場で初対面」も

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鹿鳴館の洋装女性(毎日グラフ別冊 にっぽん女性100年 毎日新聞社)

江戸時代から明治時代になり、日本の世の中は「一変」を超えて「激変」しました。

封建制度が打破されて、士農工商の階級社会が大幅に緩和されました。

それでも、現代とは大きく異なり、華族・士族などがある「階級社会」でした。

上のように、江戸時代では「あり得なかった洋装」で鹿鳴館を踊る人たちも登場した明治時代。

まだ「封建制度の香り」が残存していた明治時代は、現代から150年ほど前です。

今年2026年の150年前は、1876年であり「西南戦争前」となります。

150年前は、とてつもなく大昔な気もしますが、少し長く生きてみると実感できます。

1977年生まれの筆者は、「もうすぐ生まれて50年」なので、3倍すれば150年となります。

物事は「3倍程度」ならば、考えることが可能で、何となくイメージ出来ます。

明治から昭和初期の頃の結婚観は、現代とは全く異なっていました。

現代よりも遥かに「お見合い」が多く、「親などが結婚相手を決める」ことも多かった当時。

陸軍士官A

僕は軍人だから、
お国を守るために、毎日必死だ!

陸軍士官A

とにかく、一生懸命勉強して、
体を鍛錬させて・・・

陸軍士官A

戦略も戦術も、武術も馬術も、
何もかも会得して、国家を守る!

明治初期から、正式に整備された陸海軍軍人の養成機関・陸軍士官学校(陸士)や海軍兵学校(海兵)。

これらの陸士・海兵を出たエリート軍人たちは、「何もかも会得する」ことに毎日必死でした。

陸軍士官A

とにかく、「国家を守ること」だけが
私の生き様であり・・・

陸軍士官A

結婚はしますが、お母様が
決めた女性で良いです!

昭和初期まで、このように「結婚は親まかせ」の軍人も実際に存在しました。

結婚式の日に初めて結婚する女性と対面し、女性もまた初めて男性と初対面、のケースもありました。

陸軍士官A

どうも初めまして、
〜と申します・・・

花嫁M

〜と申します。
よろしくお願い申し上げます・・・

現代では考えられない状況ですが、実際に「結婚式の前は写真のみ」という人もいた時代でした。

特に軍人には、このような「結婚に淡白」な男性も多数いました。

非薩長「-100点」と将来性+留学経験「100点越え」:ギリギリ及第

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左上から時計回りに、山川咲子、大山巌、西郷従道、山川浩(国立国会図書館、Wikipedia)
山川浩

さて・・・
咲子にどう伝えるか・・・

西郷従道 参議・農商務卿と「咲子に大山巌との結婚話を伝える」約束をした浩。

現代よりも「周囲が決める」ことが多かった結婚では、「客観的条件」がより重要でした。

咲子の結婚相手の条件

A.もともとそれなりの名家出身で将来有望なエリート

B.留学した咲子の生き方や考え方を尊重する理解ある人物

C.薩摩と長州は絶対に不可

浩が考えていた「3つの条件」は、全ては困難でしたが、それなりに求めていた浩。

咲子の結婚相手の条件人物P人物Q(非薩長)
A7070
B7050
C70100
合計点210220
「咲子の相手」の点数化

条件は、一般的に「概ね全部70点」が望ましいことが多いです。

試験において、「だいたい全部70点」取れば、ほぼ確実に合格します。

この点では、上の表の「人物P」が最適ですが、

山川浩

Cの非薩長は最重要項目
なのだ・・・

山川浩

非薩長であれば、問答無用で
100点と言っても良い。

咲子の結婚相手の条件C
非薩長100
長州30
薩摩0
「咲子の相手」Cの点数

とにかく「非薩長」であれば、Cは100点となり、他の項目が劣る「人物Q」もOKです。

山川浩

非薩長だが、長州ならば
ギリギリ良いのだが・・・

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会津と薩長:左上から時計回りに、松平容保、西郷隆盛、木戸孝允、山川浩(大蔵)(国立国会図書館、Wikipedia)

最初から「敵であった」長州は、「時の流れ」としてやむを得ない面があります。

長州人A

おのれっ!
薩賊会奸めが!

幕末、長州から「摩が津が物」と「薩摩とセットで悪」で扱われる存在となった会津。

「奸物」とは全く穏やかではありませんが、「賊よりは遥かにマシ」でした。

山川浩

まあ、長州ならば、
Cは30点か・・・

そのため、「長年の仇敵」ですが、「武士の世界」故、長州ならば30点であり、

山川浩

薩摩であれば、
Cは0点・・・

「絶対許せない」存在の薩摩は、Cは0点となります。

3つの試験がある時、一つの試験で0点がつくと、途端に「合格は厳しい」状況となります。

このため、「咲子結婚相手の点数化」をすれば、「薩摩は即NG」となります。

山川浩

ただでさえ、薩摩は
0点なのに、大山参議・・・

名前生年1882年時点の状況
西郷吉之助(隆盛)1828戦死(1877,西南戦争)
西郷吉二郎1833戦死(1868,戊辰戦争)
大山巌1842参議・陸軍卿
西郷信吾(従道)1843参議・農商務卿
西郷小兵衛1847戦死(1877,西南戦争)
西郷兄弟と大山巌

西郷隆盛の従兄弟であり、「薩摩ど真ん中」の西郷参議は、「0点以下」となります。

山川浩

う〜む・・・
大山参議は、Cは-100点か・・・

もはや「-100点を付けたい」くらいの存在であった、大山参議・陸軍卿。

その一方、「大山家」は元は名家ではないですが、当時は名家であり、AとBの条件は抜群でした。

「将来有望」ではなく「既に超有望で国家の中枢」の人物だった大山。

大山巌

おいどんは、
フランスに留学しました!

AとBは「まさかの100点越え」となります、

さらに、フランス留学経験がある大山巌は、

山川咲子

米国流の私の発想の
尊重して欲しい・・・

咲子にとっては「完全予想外」の好条件であり、Bは200点でも良いくらいです。

ただし、「若い青年」を想定していたので、「年齢」と「二度目」は減点となります。

咲子の結婚相手の条件人物P人物Q(非薩長)大山巌
A7070150
B7050200
C70100-100
年齢-20
再婚-30
合計点210220200
「咲子の相手」の点数化

あえて、大山巌を「咲子の相手の点数化」に入れると、上の表のようになります。

「想定外」であった「年齢」と「再婚・二度目」もまた、減点となります。

Cが-100点ですが、A,Bが「100点を大きく越える」ため、合計すると何とか及第点となった大山。

山川浩

まあ、こんな感じで、
ギリギリ及第か・・・

「参議に対して点数を付ける」こと。

それは、皇族に準じる存在であった参議に対しては「不敬に当たる」可能性があります。

ところが、不敬に当たろうが何であろうが、「可愛い咲子のため」ならばやむ得ません。

ところが、「100点越え」と「0点以下」が共存する意味不明な状況となりました。

山川浩

「100点越え」と「0点以下」、さらに
マイナスを加味して・・・

山川浩

合計点は・・・・
平均的な200点、か・・・

このように「自分自身は何とか納得させた」浩。

山川浩

・・・・・

山川浩

あとは咲子が
どう考えるか、か・・・

いよいよ、気持ちを固めて咲子に話に向かおうとする浩でした。

次回は上記リンクです。

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