前回は「参議農商務卿西郷従道の説得に応じた浩〜現代の「皇族に近い」明治時代の「参議」・譲歩に譲歩重ねた浩〜」の話でした。

明治から昭和初期までの日本人の結婚観:「結婚の場で初対面」も

江戸時代から明治時代になり、日本の世の中は「一変」を超えて「激変」しました。
封建制度が打破されて、士農工商の階級社会が大幅に緩和されました。
それでも、現代とは大きく異なり、華族・士族などがある「階級社会」でした。
上のように、江戸時代では「あり得なかった洋装」で鹿鳴館を踊る人たちも登場した明治時代。
まだ「封建制度の香り」が残存していた明治時代は、現代から150年ほど前です。
今年2026年の150年前は、1876年であり「西南戦争前」となります。
150年前は、とてつもなく大昔な気もしますが、少し長く生きてみると実感できます。
1977年生まれの筆者は、「もうすぐ生まれて50年」なので、3倍すれば150年となります。
物事は「3倍程度」ならば、考えることが可能で、何となくイメージ出来ます。
明治から昭和初期の頃の結婚観は、現代とは全く異なっていました。
現代よりも遥かに「お見合い」が多く、「親などが結婚相手を決める」ことも多かった当時。
陸軍士官A僕は軍人だから、
お国を守るために、毎日必死だ!



とにかく、一生懸命勉強して、
体を鍛錬させて・・・



戦略も戦術も、武術も馬術も、
何もかも会得して、国家を守る!
明治初期から、正式に整備された陸海軍軍人の養成機関・陸軍士官学校(陸士)や海軍兵学校(海兵)。
これらの陸士・海兵を出たエリート軍人たちは、「何もかも会得する」ことに毎日必死でした。



とにかく、「国家を守ること」だけが
私の生き様であり・・・



結婚はしますが、お母様が
決めた女性で良いです!
昭和初期まで、このように「結婚は親まかせ」の軍人も実際に存在しました。
結婚式の日に初めて結婚する女性と対面し、女性もまた初めて男性と初対面、のケースもありました。



どうも初めまして、
〜と申します・・・



〜と申します。
よろしくお願い申し上げます・・・
現代では考えられない状況ですが、実際に「結婚式の前は写真のみ」という人もいた時代でした。
特に軍人には、このような「結婚に淡白」な男性も多数いました。
非薩長「-100点」と将来性+留学経験「100点越え」:ギリギリ及第





さて・・・
咲子にどう伝えるか・・・
西郷従道 参議・農商務卿と「咲子に大山巌との結婚話を伝える」約束をした浩。
現代よりも「周囲が決める」ことが多かった結婚では、「客観的条件」がより重要でした。
A.もともとそれなりの名家出身で将来有望なエリート
B.留学した咲子の生き方や考え方を尊重する理解ある人物
C.薩摩と長州は絶対に不可
浩が考えていた「3つの条件」は、全ては困難でしたが、それなりに求めていた浩。
| 咲子の結婚相手の条件 | 人物P | 人物Q(非薩長) |
| A | 70 | 70 |
| B | 70 | 50 |
| C | 70 | 100 |
| 合計点 | 210 | 220 |
条件は、一般的に「概ね全部70点」が望ましいことが多いです。
試験において、「だいたい全部70点」取れば、ほぼ確実に合格します。
この点では、上の表の「人物P」が最適ですが、



Cの非薩長は最重要項目
なのだ・・・



非薩長であれば、問答無用で
100点と言っても良い。
| 咲子の結婚相手の条件 | C |
| 非薩長 | 100 |
| 長州 | 30 |
| 薩摩 | 0 |
とにかく「非薩長」であれば、Cは100点となり、他の項目が劣る「人物Q」もOKです。



非薩長だが、長州ならば
ギリギリ良いのだが・・・


最初から「敵であった」長州は、「時の流れ」としてやむを得ない面があります。



おのれっ!
薩賊会奸めが!
幕末、長州から「薩摩が賊、会津が奸物」と「薩摩とセットで悪」で扱われる存在となった会津。
「奸物」とは全く穏やかではありませんが、「賊よりは遥かにマシ」でした。



まあ、長州ならば、
Cは30点か・・・
そのため、「長年の仇敵」ですが、「武士の世界」故、長州ならば30点であり、



薩摩であれば、
Cは0点・・・
「絶対許せない」存在の薩摩は、Cは0点となります。
3つの試験がある時、一つの試験で0点がつくと、途端に「合格は厳しい」状況となります。
このため、「咲子結婚相手の点数化」をすれば、「薩摩は即NG」となります。



ただでさえ、薩摩は
0点なのに、大山参議・・・
| 名前 | 生年 | 1882年時点の状況 |
| 西郷吉之助(隆盛) | 1828 | 戦死(1877,西南戦争) |
| 西郷吉二郎 | 1833 | 戦死(1868,戊辰戦争) |
| 大山巌 | 1842 | 参議・陸軍卿 |
| 西郷信吾(従道) | 1843 | 参議・農商務卿 |
| 西郷小兵衛 | 1847 | 戦死(1877,西南戦争) |
西郷隆盛の従兄弟であり、「薩摩ど真ん中」の西郷参議は、「0点以下」となります。



う〜む・・・
大山参議は、Cは-100点か・・・
もはや「-100点を付けたい」くらいの存在であった、大山参議・陸軍卿。
その一方、「大山家」は元は名家ではないですが、当時は名家であり、AとBの条件は抜群でした。
「将来有望」ではなく「既に超有望で国家の中枢」の人物だった大山。



おいどんは、
フランスに留学しました!
AとBは「まさかの100点越え」となります、
さらに、フランス留学経験がある大山巌は、



米国流の私の発想の
尊重して欲しい・・・
咲子にとっては「完全予想外」の好条件であり、Bは200点でも良いくらいです。
ただし、「若い青年」を想定していたので、「年齢」と「二度目」は減点となります。
| 咲子の結婚相手の条件 | 人物P | 人物Q(非薩長) | 大山巌 |
| A | 70 | 70 | 150 |
| B | 70 | 50 | 200 |
| C | 70 | 100 | -100 |
| 年齢 | – | – | -20 |
| 再婚 | – | – | -30 |
| 合計点 | 210 | 220 | 200 |
あえて、大山巌を「咲子の相手の点数化」に入れると、上の表のようになります。
「想定外」であった「年齢」と「再婚・二度目」もまた、減点となります。
Cが-100点ですが、A,Bが「100点を大きく越える」ため、合計すると何とか及第点となった大山。



まあ、こんな感じで、
ギリギリ及第か・・・
「参議に対して点数を付ける」こと。
それは、皇族に準じる存在であった参議に対しては「不敬に当たる」可能性があります。
ところが、不敬に当たろうが何であろうが、「可愛い咲子のため」ならばやむ得ません。
ところが、「100点越え」と「0点以下」が共存する意味不明な状況となりました。



「100点越え」と「0点以下」、さらに
マイナスを加味して・・・



合計点は・・・・
平均的な200点、か・・・
このように「自分自身は何とか納得させた」浩。



・・・・・



あとは咲子が
どう考えるか、か・・・
いよいよ、気持ちを固めて咲子に話に向かおうとする浩でした。
次回は上記リンクです。


