前回は「「絶対NG」の薩摩・大山巌参議陸軍卿からの「結婚の意思」〜明治政府の超大物+浩「直属の最上司」・困難極めた「咲子の結婚相手探し」・奔走し続けた浩〜」の話でした。

「男性超優位」だった明治の家庭像:名家と廃藩置県で生まれた華族

山川浩咲子に相応しい
結婚相手を、私が探そう・・・



咲子の夢である私塾・学校設立
構想を潰した責任もある・・・
1882年に米国留学から帰国した咲子から、「山川塾設立」の相談を受けた浩。
浩は、諸事情を考慮して、この相談に対して「No」の回答をしました。



結婚して
幸せになって欲しい・・・



うん・・・
分かったわ・・・
そして、「結婚に後ろ向き」だった咲子を、「結婚に前向き」に変化させた浩。
A.もともとそれなりの名家出身で将来有望なエリート
B.留学した咲子の生き方や考え方を尊重する理解ある人物
C.薩摩と長州は絶対に不可
相手の人間性、咲子との相性が最も重要ですが、客観的条件であった上の三つのA,B,C。
ところが、咲子の結婚相手の「異常に高い」ハードルを満たす人物は、なかなか見つかりませんでした。
Aの「名家出身」は、山川家が旧幕府時代の徳川家に連なる松平家の家老だったことが理由です。



名家出身は沢山いるが、
「将来有望」はなかなか・・・
Aの条件ひとつとっても「結構難しい」条件でした。
そもそも「何をもって有望とするか?」は、人によって様々でした。
さらにBとなると、男性側がかなり進歩的な発想を持っていて、望ましくは留学経験があることが大事です。
封建制度の香りが強く残存していた当時、結婚においては「男性側が超優位」でした。



お前には
暇を与える!
例えば、夫が妻に「暇を与える」と言えば、一発で離婚が成立する時代でした。
現代の女性の視点から見れば「信じられない」を超えて、「異常な世界」が明治期の夫婦の世界でした。
現代ならば、何らかの形で「夫婦双方の納得」が必要である離婚が「夫次第」だった当時。
それほど、妻は「夫よりも身分が低い」尋常ならざる世界が続いていました。



米国の発想をした
咲子の考え方を理解する男性・・・
当時、夫婦関係において、かなり現在に近い発想だった「米国流発想」の咲子にとって、



Bの条件は
かなり厳しい・・・
そもそも、「A:名家」は、廃藩置県によって華族となった旧大名層が中心です。
1882年の11年前まで「殿様」だった名家においては、



私は
偉いのだ!
このような思想が一般的であり、「妻の立場」が高い可能性は低いです。
つまり、「AかつB」の条件に当てはまる人物は、「皆無に近い」状況でした。
薩摩に裏切られ徹底的に潰された会津の悲憤:「大山」縁談潰す決意の浩


「AかつB」だけでも極めて困難であるのに加え、絶対条件であったC。



AとBを満たすのは
難しいが、Cは絶対だ!


幕末、若かりし頃の山川浩は、山川大蔵という名前で藩主・松平容保の側近でした。
そのため、幕末風雲の「会津を取り巻く情勢」は全て把握していました。



山川どん・・・
一緒に長州を倒しましょう!



西郷さん、
一緒に長州と戦いましょう!


1864年に勃発した禁門の変(蛤御門の変)では、一緒に長州を撃滅した薩摩と会津。



おのれっ!
薩賊会奸めが!
その結果、長州から「薩摩が賊、会津が奸物」と「薩摩とセットで悪」で扱われる存在となった会津。
この頃は、会津と薩摩は一緒に仲良くしていました。
ところが、



徳川幕府を
ぶっ潰す!



会津は徹底的に
潰すごわす!
「仲良くしていた」はずだった薩摩が、敵にまわり、会津を攻撃してきました。



西郷の奴・・・
突然変わって、会津を敵視した・・・
これは、会津・山川大蔵の視点から見れば「完全なる裏切り行為」以外の何者でもありませんでした。




挙句の果てに、「新官軍の憎悪」を全て注ぎ込まれる事態に陥り、徹底的に潰された会津。


そして、会津藩主・松平容保が降伏に向かった先には、薩摩の桐野利秋(中村半次郎)がいました。


剣の達人であり「人斬り半次郎」と恐れられた桐野は、当時は中村半次郎と呼ばれました。
「西郷の弟子」を自認していた桐野は、西郷の護衛としていつも付き従っていたため、



幕末によく会っていた中村に
容保様は降伏した・・・
つい4年前まで、「遥か下」だった中村に対して、土下座同然の扱いを受けた松平容保。


さらに、その後、桐野利秋とは、西南戦争でも戦いました。
西南戦争では、「戊辰の恨み」を果たすことになった会津でしたが、多数の死者が出ました。



薩摩のせいで、
会津人が何人亡くなったことか・・・



そして、薩摩によって
会津がどんな屈辱的な目にあわされたか・・・
この歴史を考えれば、「薩長NG」でしたが、「薩摩は絶対NG」でした。





ぜひ、山川咲子さんと
結婚したいごわす!
そこに登場したのが、「薩摩出身」であり当時の明治政府の巨頭の一人、大山巌でした。
再婚となる大山に対して、初婚だった咲子。
現代の感覚では、「再婚」と「初婚」では条件が大きく違いますが、当時は「男性優位」でした。
そのため、「再婚かどうか」よりも「男性側の条件」が大きく、その点は問題ありませんでした。



咲子と薩摩の大山陸軍卿が
結婚・・・
浩にとっては「最高位の上司」であり、「政府の超大物」であった大山の要望は「断れない」でした。



こ、これは
断るのは難しい・・・



だが、
だがだ・・・



なんとしても
この話は潰さねば!
よりによって「最悪の展開」となった、咲子の結婚話。
浩が「大山の要望を潰す」のは浩の視線からすれば当然でしたが、浩自身も確実に「返り血」を浴びます。



私は、私は
どうなっても良い・・・
とにかく、この「大山+咲子」の縁談話は、「絶対潰すしかない」立場の浩でした。
次回は上記リンクです。


