前回は「涙を拭いさとすように話した昭和天皇〜「自分の身はどうなってもよいから、国民のいのちを助けたいと思う」「わたしにできることならなんでもする」「復興という光明をつかむ」〜」の話でした。
帝国政府と大本営大幹部全員を諭した昭和天皇:「現人神」の巨大決断

事実上、大日本帝国最後の御前会議が、1945年8月14日に開催されました。
これが「最後」であることは、列席者全員が理解していました。
どんなことでも「最後」というのは、関連する全ての人間にとって「極めて思い入れが強い」です。
例えば、小学校の卒業式、中学校の卒業式、高校の卒業式、など。
中高一貫校にいる人にとっては、「中学校の卒業式」は、それほど大きなイベントではないです。
「中学から高校へ継続」ため、あまり「区切り」というイメージがないからです。
そして、大学以降になると、人によりますが、卒業式などの区切りに慣れてきます。
後になって考えてみれば、「大したことがない」こともありますが、小学校から高校の卒業式は、それぞれの人生にとって、極めて大きなイベントです。
そして、この時、「大日本帝国最後」となる御前会議では、大日本帝国最高位の天皇が諭すように語りました。
昭和天皇これ以上、戦争を続けるのは
無理だと思っている。



国民はさらに苦痛を
なめなければならない。



わたしは、そんな惨状を目の当たりに
するわけにはいかない。



わたし自身も国民と共に
努力する覚悟である。



ことに陸海軍の将兵の動揺は大きく、
陸海軍の大臣は彼らの気持ちをなだめるのに



相当の困難を感ずるだろうが、
必要があるなら、わたしはどこへでも出掛けて行って、



親しく
説きさとしても良い。
現代の視点から考えると、天皇自身が「出向いて説きさとす」ことは、それほど重大には感じられません。
昭和天皇以降、現代の私たちは、平成時代の天皇、令和時代の天皇を知っています。
いずれの天皇も、「国民と近く、親しく」という姿勢であり、「国家元首」ではなく「象徴」でありながら、事実上「日本国の中心」であられる天皇陛下。
現代の日本において「天皇陛下」と発言すると、「天皇中心主義」あるいは「右翼」と考えられる可能性があります。
その一方で、筆者は、現代において、「天皇」という表現よりも「天皇陛下」という表現が正しいと考えます。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄(交戦権否定) |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | いない(自衛隊) |
そして、戦前の天皇陛下は「まさしく現人神」であり、その「神であった昭和天皇」は誠に思い切ったことを発言しました。


「超越的な神」であり「大日本帝国の主権者」であり、「神聖不可侵の元首」の「大元帥」だった昭和天皇。
その昭和天皇が、誠に、実に思い切った発言をすることで、帝国政府・大本営大幹部全員を諭しました。
「終戦に関する詔書の準備をして欲しい」:陸海軍三元帥に服従命じた天皇


この敗戦・終戦時の大日本帝国の状況を記録に残した書籍は多数あります。
それらの文献・書籍を、筆者は多数読みましたが、「大日本帝国最後の四か月」は最も分かりやすく、読みやすい記録と考えます。



みんな
泣いていた。



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・
昭和天皇の発言により、帝国政府・帝国陸海軍は正式に「終了」となりました。



誰もが大きな声を張り上げて、
思い切り泣きたかったに違いないが、



陛下の前なので、
声を押えていた。



嗚咽が大きな波のうねりのように
湧き上がり、消えかけては、また湧き上がっていた。
官僚から書記官長、後には郵政大臣などを務めた迫水久常の描写は、実に文学的であり、詩的です。



陛下は最後に
こうつけ加えられた。



内閣は、これからすぐ
終戦に関する詔書の準備をして欲しい。



陛下のお言葉が終わると、
鈴木総理が起ち上がって、お詫びを申し上げた。



我々の力が足りないばかりに
陛下には何度も御聖断をわずらわし、



大変、申し訳ないと
思っています。



臣下として、これ以上の罪はありませんが、
いま、陛下のお言葉を承り、



日本の進むべき方向が
ハッキリしました。



この上は、陛下の御心を体して、日本の
再建に励みたいと決意しております。



・・・・・



陛下は蓮沼侍従武官長の合図によって、
静かに退席された。



一同は、泣きじゃくりながら最敬礼し、
陛下をお送りした。



・・・・・



・・・・・



・・・・・



・・・・・



・・・・・



・・・・・



・・・・・
昭和天皇は、最後まで「終戦」という言葉をお使いになって、「終戦へ向けての処理」を指示しました。
この時の昭和天皇の立場であれば「命令」となりますが、昭和天皇は「準備をして欲しい」と、かなり柔らかい表現で伝えました。
この表現には、昭和天皇の「正直な気持ち」が含まれていると考えます。



和平実現のために陛下がどんなに心を
痛められ、積極的に動かれたかについては、



他にも色々な
話がある。



この御前会議が開かれる直前に、
陛下は、杉山元、畑俊六の陸軍二元帥と、



海軍の永野修身元帥の
三人を特にお召しになり、



終戦の決意を
伝えられた。
この時、大日本帝国陸海軍には、それぞれ帝国陸軍に二人の元帥、帝国海軍に一人の元帥がいました。


Wikipedia)



軍部、特陸軍が徹底抗戦を唱えていたので、
陛下としては、陸海軍の最高責任者であるこれら三元帥に対し、



軍が服従するように
命ぜられていたわけである。
とにかく、慎重に、万全を期して「終戦へ導いた」昭和天皇。
大日本帝国における、ほとんど全ての国民・臣民が「終戦」に対して、納得いかない中、昭和天皇は圧倒的な力で、全国民・全臣民たちを納得させようとしていました。
それほど、「超越的存在」であったのが昭和天皇でした。
そして、当時の大日本帝国は、昭和天皇の「超越的パワー」によって、「終戦=敗戦」へと向かっていったのでした。

