前回は「御前会議と「終戦の御詔書」の行方〜陸軍省からの「覚えていろ」電話・大日本帝国「最後の御前会議」・禁断の策「昭和天皇自ら御前会議召集」〜」の話でした。
大日本帝国最後の御前会議:迫水久常「からだ全体が耳のように」

昭和天皇直ちに宮中へ
参内せよ。
いよいよ大日本帝国最後の御前会議に向けて、準備が本格化しました。





八月十四日の午前に開かれた
最後の御前会議は、



和平への
クライマックスだった。



いつもは最高戦争指導会議の
六人の構成員と、



事務方である我々四幹事の十人しか
集まらないので、



列席者の前には、長い机が
置かれていた。



この日は、全閣僚と平沼枢密院議長なども
加わるので、総勢二十数名になる。



あまり広い部屋ではないので、
列席者の前の長机は取り除かれ、



その代わりに
椅子が三列に並べられていた。
通常は「昭和天皇+侍従武官+十名」だった御前会議。
最後の御前会議は、その倍以上の「昭和天皇+侍従武官+二十名〜」で開催されることになりました。



陛下のお席から見て、
第一列の左端に鈴木総理が席を占め、



その隣に、
平沼枢密院議長が座った。



反対側の右端には、梅津陸軍参謀総長と
豊田海軍軍令部総長が並んで腰をおろした。



閣僚たちは、そのほかの椅子に座ったわけだが、
順不同というわけではない。



当時は、まだ、宮中席次というものがあったので、
従ってそれぞれの席についたわけである。



我々四幹事だけは、最後列に並んで
腰をかけた。



待つほどもなく、陛下のお姿が
見えた。
そして、当時の大日本帝国の主権者であった昭和天皇が登場しました。



・・・・・



後ろには、この前の通り
蓮沼侍従武官長が従っていた。



和平、敗戦という思いがそれぞれの胸中に
流れていたのか、誰もがうなだれていた。



・・・・・



・・・・・



・・・・・
・帝国政府:鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相、その他の閣僚たち
・大本営:梅津参謀総長、豊田軍令部総長
・枢密院:平沼議長
・幹事:吉積陸軍軍務局長、保科海軍軍務局長、迫水内閣書記官長、蓮沼侍従武官長



陛下がお席につかれると、
みんなも静かに腰をおろした。



一瞬、狭い部屋の中に
重苦しい空気が流れた。



私は内閣書記官長として、この重大な御前会議の模様を
記録しておかねばならない立場にあったので、



目をサラのようにしてみひらき、
陛下のお言葉はもちろんのこと、



出席者一人一人の一挙手、一投足を
見守っていた。



まるでからだ全体が耳のように
なっていた。
迫水書記官長は「まるでからだ全体が耳のようになって」見守りました。
大日本帝国の、正真正銘最後の御前会議を。
昭和天皇「わたしの意見に賛成してほしい」:反対意見封殺の鈴木首相





鈴木総理が立ち上がって
最敬礼をし、



九日の御前会議以後の経過を
極めて要領よく説明申し上げたのち、



次のように
付け加えた。



閣議では、八割以上のものが
連合国側からの回答に賛成しておりますが、



まだ、全員一致の意見が
打ち出されるまでには至っておりません。



こんなことで、陛下の御心を煩わせるのは、
臣下として大変罪深いことと存じ、



深く
お詫び申し上げます。
現在の日本では、想像もできませんが、総理大臣の立場ながら「臣下として大変罪深い」と語った鈴木総理。
とにかく、戦前の大日本帝国では、全ての国民は臣民であり、総理大臣などの大臣は「臣下」でした。
大日本帝国から日本という国家に変わった現在でも、残存している「大臣」という職務。
確かに「大臣」とは「大きな臣」であり、戦前は厳格に「臣下」でした。



しかし、ことは重大で、かつ
緊急を要しますので、



反対の意見を持っている者が、この席で
意見を申しのべますので、



親しくお聞き取り願い、その上で
重ねて陛下のご聖断を仰ぎたいと存じます。



言い終わった鈴木総理は、
まず、阿南陸相を指名した。



それでは、
まず阿南陸相、お願いします。



阿南陸相は、いささか背を丸めるような
姿勢で立ち、



陛下に対して、
自分の意見を述べた。



内容には、これといった
新しいものはない。



再照会論が
骨子になっていた。





もし、このまま終戦を迎えるような
ことになりましたら、



国体の護持について、大きな
不安がありますので、



もう一度連合国側に詳しく
照会してみるべきだと考えております。



それによって、連合国側が我々の
意見を受け入れてくれる様でしたら、



わたしは、今政府が行なっている
終戦の手続きには反対しない所存で御座います。



もし、万一、相手方が承知してくれなければ、
この際、死中に活を求め、



戦争を続けるほかは
ないと考えております。



うむ・・・
うむ・・・



陛下はいちいちうなずかれ、
阿南陸相の話を聞いておられた。



続いて、鈴木総理は
梅津陸軍参謀総長を名指しした。



それでは、
梅津参謀総長、お願いします。



私も阿南陸相と同様に、
再照会に賛成です。



梅津総長の話も
だいたい阿南陸相のそれと同じだった。



三番目に指名を受けたのは、
豊田海軍軍令部総長である。



それでは、
豊田軍令部総長、お願いします。



海軍全体が和平への傾きを見せていたので、
豊田総長はそんなにきつい反対論は述べなかった。



ただ、陸軍への思いやりを
込めて、



このままの状態で
和平を迎えるのには反対である。



と
言った。



他にも
反対論者がいた。



私のすぐ前に腰掛けていた
安倍内相などもその一人である。





・・・・・
内相であり、当時の警察など「治安維持のトップ」だった安倍源基内相。



安倍内相は、陸軍の考え方に賛成の意向を持ち、
陛下の前でも何か発言しようと考えていたようで、



手に原稿らしいものを
持っていた。



あらかじめ準備していたフシもあるが、
豊田総長が意見を述べ終わった後、



鈴木総理が間髪を
入れないで、



反対の意見を述べるのは、
これだけで御座います。



と言ってしまったので、
安倍内相は自分の意見を開陳するきっかけを失った。



・・・・・
内心、安倍内相は複雑な心境だったでしょう。
普通の閣議であれば、割って入ってでも、自分の意見を言ったでしょうが、ここは御前でした。
戦前の「天皇=神の前」である「御前」は、神聖な空間であり、そういうことは出来ない空間でした。
いわば、反対意見を封殺した鈴木首相。



反対意見は少なめに
早く和平へ持ってゆくのだ!
ここで、最長老であった鈴木首相は、半ば強引に御前会議を主導しました。
| 名前 | 生年 | 役職 | 連合国通告への姿勢 |
| 鈴木貫太郎 | 1868年 | 内閣総理大臣 | 受諾 |
| 米内光政 | 1880年 | 海軍大臣 | 受諾 |
| 梅津美治郎 | 1882年 | 参謀総長(大本営) | 反対 |
| 東郷茂徳 | 1882年 | 外務大臣 | 受諾 |
| 豊田副武 | 1885年 | 軍令部総長(大本営) | 反対 |
| 阿南惟幾 | 1887年 | 陸軍大臣 | 反対 |
| 安倍源基 | 1894年 | 内務大臣 | 反対 |
| 昭和天皇 | 1901年 | 天皇 | ? |
| 迫水久常 | 1902年 | 内閣書記官長 | 受諾 |
この点は、確かに「年齢に物を言わせる」意味で、終戦内閣の総理大臣が鈴木貫太郎だったのは適切でした。
鈴木首相は、26歳年下の安倍源基内相が言おうとした意見を、「黙らせた」のでした。



三人の陸海軍の首脳が反対の意見を
述べている間、



うむ・・・
うむ・・・



陛下はうなずいておられたが、
やがて口を開かれ、まずこう言われた。



他に意見がない様だから、
これから、わたしの意見を述べる。



皆のものは、
わたしの意見に賛成してほしい。



ここまで発言されたが、
そのお言葉は、とぎれとぎれで、



腹の底からしぼり出される様な
お声だった。
そして、いよいよ昭和天皇が「自らの意見」を述べます。

