曖昧な「天皇の国家統治の大権」に悩む欧米首脳〜「組織」か「地位」か・帝国政府の「遠回りな外交戦略」・スイスとスウェーデンの仲介頼み〜|ポツダム宣言から敗戦の真相33

前回は「帝国政府が死守めざした「国体=天皇の国家統治大権」〜英文正文と日本語訳文・控えめな表現「誤りないことを信じ」・大急ぎの加瀬スウェーデン公使〜」の話でした。

目次

帝国政府の「遠回りな外交戦略」:スイスとスウェーデンの仲介頼み

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)

迫水久常「大日本帝国最後の四か月」において、ポツダム宣言に対する回答が記載されています。

ポツダム宣言受諾への連合国への確認(条件提示):第二電(正式文)

帝国政府においては、常に世界平和の促進を願い給い、今次戦争の継続によりもたらされる惨禍より人類をまぬが占めるため、速やかなる戦争の終結を記念し給う天皇陛下の大御心に従い、数週間前、当時、中立の関係にあったソビエト連邦政府に対し、敵国との平和回復のため、斡旋を依頼したが、不幸にして、この帝国政府の平和招来に対する努力は実を結ばなかった。

ここにおいて、帝国政府は、天皇陛下の一般的な平和克服についての御祈念に基づき、戦争の惨禍を出来る限り速やかに終止させたいと思い、次の通り決定した。

帝国政府は、昭和二十年七月二十六日、ポツダムにおいて、米英支三国首脳により発表せられ、その後、ソ連邦政府の参加をみた共同宣言に挙げられた条件の中を、右の宣言は天皇の国家統治の大権を変更する要求を含んでいないことを了解の基に受諾する。

帝国政府は、このように了解して誤りないことを信じ、本件に関する明らかな意向が速やかに表示せられるよう希望している。

帝国政府・大本営大幹部全員が「絶対に護持」とした「国体」。

天皇に関して触れていなかったポツダム宣言に対して、帝国政府は連合国に上のような照会しました。

大日本帝国最後の四か月

この電報を受け取った
加瀬公使は、

大日本帝国最後の四か月

十日の午後六時、スイス政府に、
米、華両国政府へ伝達方を頼み、

大日本帝国最後の四か月

岡本公使は、同じ日の午後八時、
スウェーデン政府に英、ソ両国へ伝達するよう

大日本帝国最後の四か月

この英文の成分を頼んだとの
電報が折り返し舞い込んだ。

伝達依頼国伝達先
スイス米、華(中国)
スウェーデン英、ソ
連合国への返答伝達依頼国と伝達先国

帝国政府は、「米国・連合国へ直接返信」ではなく、スイス・スウェーデンの両国を頼りました。

しかも、間に挟んだ国家は一つではなく、二つに分け、それぞれに二つの国を伝達先国としました。

おそらく、国家・政府同士の関係を睨んだ上で「要求が通るように仲介する」ことを望んだと考えます。

それにしても、この緊急時において、「やや遠回りな外交戦略」に出た帝国政府でした。

曖昧な「天皇の国家統治の大権」に悩む欧米首脳:「組織」か「地位」か

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クリスチャン・ギュンター スウェーデン外相(Wikipedia)

当時、帝国政府と比較的関係が良好だったスウェーデン政府のクリスチャン・ギュンター外相。

大日本帝国最後の四か月

ところが、スウェーデンの
外相は、

ギュンター

参考のため、聞きたいが、
天皇の国家統治の大権を変更しない、

ギュンター

というくだりは、国家の統治組織を
意味するのか、

ギュンター

または、天皇の御一身上の地位に
変更がないことを意味するのか?

大日本帝国最後の四か月

と質問してきた。
岡本公使は、

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加瀬俊一 スイス公使(Wikipedia)
加瀬俊一

訓令の中には、
何らの説明もないが、

加瀬俊一

両者を共に含む意味だと
解釈している。

大日本帝国最後の四か月

旨を
答えた。

大日本帝国最後の四か月

これは、平沼枢密院議長の
強い主張による修正であったが、

大日本帝国最後の四か月

天皇の国家統治の大権という
表現は、

大日本帝国最後の四か月

外国人には、やはり、分かりにくい文句が
あったらしく、

ギュンター

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

このようにスウェーデン外相に
疑義を抱かせたばかりでなく、

大日本帝国最後の四か月

その後、この電文を受け取った
連合国の間でも問題になった点である。

外国人にとって、「理解し難い」というよりも「理解出来ない」存在だった、当時の日本の天皇。

ギュンター

・・・・・

ギュンター

「天皇の国家統治の大権を変更しない」とは、
Japanの統治機構が不変、ということか?

ギュンター

それは、流石に
どう考えても難しい、だろう・・・

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左上から時計回りに、トルーマン米大統領、チャーチル英首相、スターリン書記長、蒋介石総統(Wikipedia)

とにかく、連合国もまた、

トルーマン

「天皇の国家統治の
大権」とは、一体何なのだ?

このように、「大権」という「何を示しているのか不明な日本語」に対して、いささか混乱しました。

大日本帝国最後の四か月

八月九日、箱根に疎開していた
駐日ソ連大使マリクは、

大日本帝国最後の四か月

東郷外相に
会見を求めてきた。

東郷茂徳(架空)

お会いしても、
お話しすることはありません。

大日本帝国最後の四か月

用向きは既に分かっているので、
東郷外相は、一応断り、

大日本帝国最後の四か月

十日の午前十一時から
会おうと約束した。

ここで、マリク・ソ連大使が東郷外相に会いに来ることになりました。

当時の帝国政府にとっては「怒り心頭」だったソ連政府。

マリク・ソ連大使は、日本で「直接交渉に当たっていた当事者」でした。

東郷茂徳(架空)

会って、言われることは
分かっている・・・

東郷茂徳(架空)

だが、ポツダム宣言に加わった
ソ連を無碍にも出来ん・・・

連合国に「国体護持の照会・確認」の返答を待つ一方、様々な手続きが必要な帝国政府でした。

時は、1945年8月10日。

大日本帝国は、着実に、少しずつ降伏に向かっていました。

当時の帝国政府関係者が奮闘し、なんとか少しでも日本にとって有利である、「有条件」降伏へ、と。

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