前回は「昭和天皇に「お許しを乞う」鈴木首相〜国家方針の決定権限と君臨・一生「先輩と後輩」の関係が続いた帝国陸海軍・梅津美治郎と米内光政〜」の話でした。
侃侃諤諤で方針が決まらない帝国政府:決定権がない内閣総理大臣

広島への原爆投下直後、帝国政府・大本営は、「国家の方針」を相談し続けていました。
ところが、「徹底抗戦派」と「降伏派」が、ほぼ半々の中、方針が定まりません。

当時の米・英・ソなどの列強であれば、
トルーマン皆が言いたいことは分かった。
ここは、Aだ!
最高意思決定者が必ずいて、その人が「AかBか」を決定すれば、「国家の方針の結論」は決定します。
ところが、「合議制」であり「最高意思決定者」であるはずの天皇は「裁可する」立場だった当時の日本。



前線で果たしてうまく実行されるかどうか、
はなはだ疑問である。



出来るだけ小範囲で、小兵力にしてもらい
時日も短くするよう相手方に申し入れるべきだ。



個々の問題は、その後の外交交渉によって
進めるべきだ。
本来、「大臣の中の最高立場」であるはずの、内閣総理大臣。
ところが、当時の内閣総理大臣は「決定権」がありませんでした。
この意味では、「他の大臣と同格だった」と言っても、「誤り」ではない総理大臣の立場。





ただ、
総理としては、



終戦論議が結論を得ない
場合には・・・



陛下のお助けを
願います。



と希望を述べ、
ご内諾を得ていた。
「原爆が一発落ちた」中、「次の原爆が落ちる」かもしれないのに、モタモタしていた帝国政府。
ところが、当事者たちにとっては、「当時の国家体制」において、必死に進めていたのでした。



閣議が
始まった。



総理が
まず発言して、



原子爆弾が出現し、あまつさえ、
ソ連の侵攻を受けるに至っては・・・



この際、速やかにポツダム宣言を
受諾する方法によって・・・



戦争を終結せしめることが
適当だと思う。



旨を荘重な口調で
述べた。
本来、「内閣総理大臣が決定」のはずが、「荘重な口調で述べる」ことが精一杯でした。
長崎への二発目の原爆投下と彷徨う政府:ポツダム受諾と枢密院


そうこうしている内に、長崎へ二発目の原爆が投下されました。



この閣議の最中に、長崎へ第二の原子爆弾が
投下されたというニュースが入ってきた。



・・・・・



総理は閣議の議席順に各大臣に
意見を述べさせた。



閣僚の皆さんの
ご意見を伺いたい。



太田耕造文相が、次のような発言をして
総辞職論を持ち出した。





政府の見通しは甘く、
誤っていた。



対ソ交渉が失敗したのは、
明らかに政府の責任であり・・・



閣内の不統一もはっきりしているので、
筋道からいって内閣は総辞職すべきではないだろうか。



総理の意見を
うかがいたい。



鈴木総理は、全閣僚の視線が
集中する中で、厳然として答えた。



自分としては、今
総辞職をする考えはない。



直面している重大問題を
この内閣で解決する決心でいる。



この言葉に対し、
太田文相は改めて意見を述べた。



総理がそのようなお考えならば、
私は国体問題を除いて、無条件受諾に賛成である。
8月6日に続き、わずか3日後の8月9日に投下された原子爆弾。
もはや、非常事態という言葉では表現できない、超非常事態でした。
確かに、「政府の責任・閣内不一致による総辞職論」は正論でした。
その一方で、超非常事態の中、「仮に鈴木内閣総辞職の後、どうなるのか?」は極めて不透明でした。
太田文相の「正論」は理解できなくはないですが、状況としては極めて異常な論理でした。



阿南陸相が終戦に正面から絶対反対したのと、
安倍内相が治安維持の点から若干終戦に難色を示した他は、



全閣僚は、
ポツダム宣言の受諾に賛成であった。





このまま終戦=敗戦、は
治安維持に若干の問題があるやも知れぬ・・・
ここで、国内の治安維持を統括する内務大臣であった安倍源基内務大臣は、懸念を表明しました。
後世の視点から見れば「遅すぎる」降伏論議でしたが、当時は「唐突」に感じる人が大勢いたのでした。



午後十時を過ぎても
閣議の結論は出なかった。



鈴木総理は立ち上がり、
次のように言い残して、皇居へ向かった。



これから参内して、陛下に奏上してくるので、
皆さんは、ここでしばらくの間待っていて欲しい。





鈴木総理は午後十時五十分過ぎから陛下に
お会いし、すぐ御前会議を開くことを決め・・・



その席に平沼騏一郎
枢密院議長を同席させるというお許しを得た。



平沼議長を参列させるについては、
一つの含みがあった。



ポツダム宣言の受諾は、形式の上で条約の締結になるので、
当時の憲法上の解釈から見て、枢密院にはかる必要がある。



時日が切迫しているので、
そんな余裕はない。



そこで平沼議長を枢密院の代表として
特に御前会議に参加させ・・・



後で問題がこじれないように
配慮したわけである。


現在は廃止された枢密院は、当時はかなり強力な権限を持っていました。
・天皇の最高諮問機関
・条約、緊急勅令など重要国務を審議
「天皇の最高諮問機関」だった枢密院は、分野によっては内閣をも上回る権限を持っていました。
特に、条約に関しては「枢密院の審議を経る」必要があった当時。



ポツダム宣言受諾は
条約手続きとも取れる・・・



その場合、枢密院の審議を
経なければならないが、そんな時間はない・・・



平沼枢密院議長を御前会議に同席させ、
「議長が納得していた」で押し通すしかない・・・
このような超非常事態においても、迫水内閣書記官長は、厳粛に手続きを進めていました。
丹念に、綿密に、全方位を見渡しながら、枢密院に対しては「議長納得で強行」の戦略でした。



・・・・・
そして、着々と、確実に進めていました。
大日本帝国政府として「100%確実である手続き」を。
玉音放送まで、あと6日。
原爆を二発も投下された状況の中、粛々と日本は敗戦=終戦へと向かっていました。

