前回は「なぜ、靖国神社の前身・東京招魂社が明治2年に設立されたのか?〜「歴史の変革期」の狭間を理解して記述対策・生誕155年ほどの靖国神社〜」の話でした。
時代の変革の象徴となった靖国神社

靖国神社は、元々「東京招魂社」という名称で、1869年に設立されました。
1869年は「明治2年」であり、新たな時代に変わってから2年目でした。

江戸城明け渡しによって、アッサリ新政府軍に降伏してしまった徳川幕府。
「徳川のボス」であった将軍・徳川慶喜が降伏したことで、「トップ不在」となった徳川幕府。
ところが、直前までは対内的にも対外的にも「日本政府」であった徳川幕府。
徳川幕府には、まだまだ多数の優れた政治家・官僚・軍人がいました。
優れた軍人+官僚だった榎本武揚

その極めて優れた幕臣の一人が、榎本武揚でした。
当時、オランダに留学経験もあり、極めて優秀だった幕臣・榎本武揚。

私は、幕臣の
榎本武揚だ!



私は、むざむざと
徳川の時代を終わらせぬ!
若い頃から超優等生だった榎本は、当時の日本で、最新の物理や科学を理解した数少ない一人でした。
名前 | 生年 |
川路 聖謨 | 1801年 |
勝 海舟(麟太郎) | 1823年 |
小栗 忠順 | 1827年 |
榎本 武揚(釜次郎) | 1836年 |
1836年生まれの榎本釜二郎。
名前 | 生年 | 所属 |
大村 益次郎 | 1825 | 長州 |
西郷 隆盛 | 1827 | 薩摩 |
大久保 利通 | 1830 | 薩摩 |
木戸 孝允 | 1833 | 長州 |
坂本 龍馬 | 1835 | 土佐 |
中岡 慎太郎 | 1838 | 土佐 |
高杉 晋作 | 1839 | 長州 |
久坂 玄瑞 | 1840 | 長州 |
討幕側の志士たちと比較して、「かなり若い」存在でした。
1868年当時、まだ32歳ころで「バリバリの青年」だった榎本は、



慶喜様が降伏した、
だと・・・



ならば、我ら思いを
同じくする同士で、新たな国家を作る!





まっ、海軍に関しては、
私は「日の本一」だろうな・・・
当時、徳川幕府の海軍奉行並(海軍大臣同等)だった勝海舟は、「海軍の魁(さきがけ)」でした。
勝も優秀な人物でしたが、具体的な理論などは、榎本の方が遥かに理解していたでしょう。
勝より13歳年下の榎本は、ちょうど時代の変革期にあって「新たな海軍」を学び続け、優れた軍人+官僚でした。



確かに、釜次郎(榎本)の
海軍や軍艦の知識や能力は別格だな・・・



彼の操艦(軍艦を動かすこと)、
砲撃に関する造詣は卓越している・・・
すでに、「薩長と徳川の間」に立つ存在だった勝は、



だが、だがだ・・・
「徳川の時代は終わり」で良いだろう・・・
「良い塩梅での解決」に動いていました。
榎本にとっては、逆らうことが出来ない「大先輩」であった勝でしたが、



勝総裁は、新政府に降伏して、
全ての軍艦を渡すと決めたらしいが・・・



私は、最新鋭の軍艦を
率いて、蝦夷へ向かう!
そして、当時は「遠い存在」だった、現在の北海道=蝦夷で、最後の戦いに挑みました。



蝦夷共和国を
設立したのだ!
記述の解答例から学ぶこと:「徳川から明治へ」の理解と記述力アップ


「独立政権」である蝦夷共和国を設立し、選挙で総裁に選ばれた榎本。
ここで、重要なのは「封建制度を生きてきた幕臣」である榎本が「選挙をした」事実です。



蝦夷の榎本たちを
潰すのだ!



徳川の残党を
全て消すのだ!
新政府は総力を上げて「最後の決戦」に挑み、蝦夷に大軍勢を送り込みました。
そして、函館周辺の地で、大戦争が繰り広げられました。



我らの軍艦も多数
沈んでしまった・・・



やむを得ん・・・
降伏しよう・・・
衆寡敵せず、降伏した榎本総裁。
榎本率いる蝦夷共和国が降伏・投降したのは、1869年6月27日(グレゴリオ暦)のことでした。
そして、その二日後の1869年6月29日に東京招魂社が設立されました。



もうすぐ、函館が
片付くな・・・



うむ・・・維新で亡くなった人たちの
鎮魂の場を作ろう・・・



「新たな時代の象徴」にも
なるな・・・
そして、「鎮魂の場」であり、時代の変革の象徴として、満を持して作られた究極の神社。
さらに、明治2年6月という、「まだ箱館戦争中だったのに、創設が進められた」異質の神社。
それが、東京招魂社でした。
靖国神社の前身・東京招魂社が明治2年に設立されましたが、なぜ明治2年に設立されたのでしょうか?
上のような問題を、記述式で答えてみましょう。
・徳川時代とは大きく異なったことを示す必要性
・国家元首となった明治天皇が主体である、新たな施設づくり
これら重要ポイントに対して、いくつかの字数タイプで解答例を考えます。
解答例A:徳川時代とは大きく異なったことを、明治新政府が示す必要性があったから。(30〜40字)
解答例B:徳川将軍に代わって新たに国家元首となった明治天皇が主体である、新施設を作る必要を明治新政府が感じたから。(50〜60字)
重要ポイントは筆者の考えですが、二つの重要ポイントをもとに、二タイプの文字数で考えてみました。
これらの時に「国家元首となった明治天皇」に対して、時代の変化を盛り込んだのが解答例Bです。
解答例Bでは、「徳川将軍に代わって新たに」という言葉を入れて、12文字増やしています。
この説明は、「徳川(江戸)時代→明治時代」の説明では大事なので、このような説明を適宜加えると良いでしょう。
解答例C:徳川時代とは大きく異なったことを示す必要性を感じた明治新政府は、早期に徳川将軍に代わって新たに国家元首となった明治天皇が主体である新施設を作ることに決めたから。(80字程度)
解答例A+解答例Bとしたのが、解答例Cです。
ここで、重要なポイントがあります。
それは、解答例Cは「単純に文章を繋げた」だけでなく、少し説明を追加していることです。
具体的には、明治新政府が「早期に作ることに決めた」と単語を増やして説明と文字を増やしています。
必要な字数が、もう少し多ければ、時代の流れを加味してして追記しても良いでしょう。
解答例以外にも、いくつかの答えが考えられます。
当時の時代の変化を理解して、新政府大幹部たちの思惑を想像して考えて、書いてみると良いでしょう。
記述力アップの最短の道は、「自分で書いてみる」ことです。
「解答例を読む・見る」だけでは、記述力は絶対にアップしません。
とにかく、まずは書いてみましょう。