戦地で戦う将兵たちの「魂の叫び」遺書〜戦争の現実・世界中で戦った大日本帝国・戦死した将兵たちの慰霊碑〜|戦後の日本と世界2・写真と資料が映す歴史4

前回は「各地に残る「第二次世界大戦の慰霊の場」〜戦争の爪痕・終戦(敗戦)後80年の節目の年・敗戦後の日本政府の事業〜」の話でした。

目次

世界中で戦った大日本帝国:戦死した将兵たちの慰霊碑

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

第二次世界大戦で、日本(大日本帝国)軍が実際に戦ったのは東アジア・太平洋です。

「世界の一部で戦闘を行った」のが日本ですが、感覚的には「世界中で戦った」のが現実でした。

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左上から時計回りに、チャーチル英首相、ヒトラー独総統、東條英機首相、ルーズベルト米大統領(Wikipedia)

日独伊三国(軍事)同盟を締結した大日本帝国は、米英中と戦争を繰り広げました。

ドイツは主に欧州およびアフリカで、大日本帝国は主に東アジアと太平洋で戦争しました。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

終戦(敗戦)後、日本政府は各地で異例の場を建立し、将兵を鎮魂しています。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

ニューギニアでは、127,600名の戦死者が出ました。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

硫黄島では、21,900名の戦死者が出ました。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

フィリピンでは、518,000名の戦死者が出ました。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

ミャンマー(ビルマ)では、137,000名の戦死者が出ました。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

マリアナ諸島周辺は、110,300名の戦死者が出ました。

これらの「慰霊の碑」は、アジア・太平洋に広がる碑の一部です。

戦地で戦う将兵たちの「魂の叫び」遺書:戦争の現実

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

この展示では、戦場に赴いた将兵たちの遺書も展示されています。

このように、公開される遺書は「将兵」の中で、実際に最前線で戦う「兵」の遺書が多いです。

指揮官である「将」も遺書を遺すことがありますが、「兵」の方が「先に戦死する」可能性が高いです。

米軍将校S

第二次世界大戦では、
Japanの兵は、実に勇敢だった・・・

米軍将校S

最も優れて居たのは、
最前線の将兵と下士官たち・・・

米軍将校S

ダメだったのは、最上部の
将校たちだな・・・

エリートであった将校たちも懸命に奮戦した例もあり、将校も兵も一括りには出来ません。

その一方で、米軍将校からこのように評価されたのは「一つの真実」を表しています。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

上の写真は、生まれる我が子を見ることが出来ずに、戦死してしまった兵の遺書です。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

戦場に赴く将兵たちは、戦争末期には「極めて劣勢である」ことも、ある程度認識していたでしょう。

そもそも、国内情勢がかなり厳しい状況であり、「食べる物」すら限定されて居たのが当時の日本でした。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

様々な戦地から出されて手紙には、将兵たちの「魂の叫び」が如実に表れています。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

ガダルカナル島の砂鉄で作成された日本刀も展示されていました。

日米戦の超激戦地となったガダルカナル島。

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靖国神社・遊就館「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展(新教育紀行)

ガダルカナル島は、太平洋の南東の端の方にある、小さな小さな島です。

戦時中は食糧も武器も枯渇した中、大日本帝国の将兵はガ島で戦い続けました。

食べ物もない異常事態のなか、ガ島はいつしか「飢(き)の島」となりました。

そして、飢の意味とダルカナル島から、「)島(がとう)」と呼ばれるようになりました。

この地で、大日本帝国軍と米軍は死闘を繰り広げ、多数の方が亡くなりました。

遊就館「「終戦80年戦跡写真展 今も残る英霊の足蹟」展は、本日2025年12月7日(日)まで開催です。

特に、歴史に興味がある中高生にお勧めしますが、大人も大学生も小学生もぜひ。

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