前回は「授業中に起きた武蔵中「刃渡り1cmのミニカッター」の事件〜武蔵らしい「自由でのびのび」の良い点と悪い点・中高生をどう管理するか?〜」の話でした。
真相不明の「切りつけ事件」:不明の「なぜ授業中に?」

2025年11月28日の昼、武蔵中学校・高校内で「中学一年生の切りつけ」事件が発生しました。
筆者は、武蔵中学校・高校の卒業生であり、この事件には大きな衝撃を受けました。
直後から大きな報道となりましたが、その後は報道がほとんどありません。
事件発生から10日ほど経過し、「全治一週間」の被害者は無事に退院したのかどうか。
この事件の異常さは、中学生が「カッター」という刃物を使用して相手に「切りつけた」ことでした。
米国ならば、少年による銃撃事件が度々起きています。
「銃撃」と比較すれば、「ミニ・カッター」は、大したことがないようにも思えます。
ところが、平和な日本において、中高生が「カッターで人に切りつける」というのは異例でした。
・事件があったのは英語の個別テスト中、2人は待機のため控え場所になっている教室にいた。
・他にも30人以上の生徒がいたが、教員はいなかった。
・2人は「何らかの理由」で口論になり、一方がカッターナイフを取り出した。
・傷は首の左側の1カ所で、15cmほど切られた。
・傷は軽傷であり、全治1週間程度。
・カッターは刃渡り1cm程度のミニ・カッター。
・事件発生時は、4時間目の授業中で教師は不在。
・英語の1対1のスピーキング・テストの最中で、大勢の生徒が同じ教室にいた。
これまでに報道が出ているのは、上のような事実です。
他にも筆者が把握していない事実があるかも知れませんが、概ね上記の内容です。
ここで、不思議な点が水色の二行です。
なぜ、休み時間や放課後ではなく、授業中にこのような事件が起きたのか?
なぜ、教員が不在だったのか?
武蔵中高が、このあたりの説明を補足し、対応策が早急に公表されることを期待していました。
ところが、2025年12月8日12時時点で「真相はうやむやのまま」となりました。
小学校での「基本教育の習得」:「喧嘩に刃物は絶対禁止」という基本

このあたりの「曖昧さ」は、加害者少年が中学一年生という「未成年である」からかも知れません。
確かに、「少年法で守られるべき」年齢であり、過度の報道は避けるべきです。
今回の事件は、「武蔵中高という学校に原因があるのではない」と筆者は考えています。
むしろ、「偶発的に起きてしまった、現代の少年の事件」と考えております。
これは、筆者が武蔵中学校・高校卒業だから、武蔵中学校・高校を擁護しているのではありません。
仮に「学校の教育が原因」であれば、事件の様相はもう少し違ったものになっていたと考えます。
この点では、今回のような事件は、今後「どの中学・高校でも起こりうる」ことを示唆しています。
当初、「首を15cm切られる」という報道に、驚きを感じた多くの日本人。
特に、同年代の子どもを持つ親にとっては、大きな衝撃を感じたと思われます。
その後、学校側の説明によって「ミニ・カッター」と判明しました。
父親Aミニ・カッターで
良かった、かも知れないけど・・・



やはり、刃物は
良くない・・・



というよりも、
「喧嘩に刃物は絶対ダメ」でなければ・・・
「争いごとや喧嘩に刃物は絶対禁止」は、中高生の教育ではなく、小学生で習得するべき基本です。
この点では、加害者側の少年に何らかの問題があったとしても、「小学教育の範疇」の問題となります。
すると、ここで問題となるのは「中学受験」への視点が出てきます。



中学受験生は、
勉強・勉強ばかりで良くない・・・
このような意見も、今後出てくるかも知れません。
ここで、大事なことは「一つ・一人の事柄」を「全体または全員」に当てはめない姿勢です。
「中学受験生だから問題があった」のではない、という認識が大事です。
「小学生の間に学ぶべきこと」を、しっかり習得していなかった今回の加害者側中学一年生。



テストばかりやっているから、
「人間としての基本」が疎かになる・・・
その一方で、2010年頃から「加熱気味」と言われる中学受験。
そして、ネット世代で、小学生の頃からパソコンやスマホ片手に情報空間に浸り続ける子どもたち。
どんなに知識が豊富であっても、大人も子どもも「人間としての基本常識」が最も大事です。
今回の事件は、日本全体の小学〜中学教育を再考すべき契機、かも知れません。

