前回は「ウクライナ戦争と日露戦争の関係〜歴史から時事問題を考える姿勢〜」の話でした。
問題3(3)(4)
ウクライナ戦争とロシアと日本:日露戦争と第二次世界大戦と北方領土
非常に痛ましい事態であるウクライナ戦争。
日本のメディアでは、あまり悲惨な映像・画像が流れませんが、非常に多くの方が亡くなっています。
まさに「目を疑う」事態が起きているのです。
ロシアがウクライナへ侵攻した2022年2月から、長期戦の様相を呈しています。
当初は、欧州各国が停戦に様々介入し、「一時停戦」の動きがなくもありませんでした。
それは、ロシアとウクライナ双方の主張が「完全な平行線」だからです。
ロシア・ウクライナ当事国以外では、米国・英国・フランス・中国・トルコ・インドなどが苦心の外交を続けています。
残念ながら、ウクライナ戦争において、日本は影が薄い状況です。
日本にとって、ロシアというと「北方領土問題」があります。
日本側の論理では「言語道断」なのですが、ロシア側の論理では「米国との約束(密約)で正当」なのです。
そして、「北方領土問題」もまた「解決の兆し」すら見えない状況が続き、間もなく80年となります。
そして、ウクライナ戦争を考えるとき、ロシアと日本が死闘を繰り広げた日露戦争は、非常に大事な歴史です。
バルチック艦隊をモスクワ近海から出動させたロシア。
実は、日露戦争は「突発的」でもなんでもなく、「日露双方が予期していた」事態でした。
しかし、当時は「日本よりも圧倒的にロシアの方が強かった」のです。
実際に、中国東北部などの権益(支配)などをめぐり、ずっと日露は衝突を続けていたのです。
ロシアが横暴なのは、
分かる。
しかし、
ロシアと戦って勝てるわけがないだろう!
当時、元老として日本の政界でトップレベルの影響力を持っていた伊藤博文 元内閣総理大臣。
ロシア側は、日本が「ロシアとの戦争」を具体的に検討している事実を知っていました。
それを知っていて、日露戦争前に日本に来た、あるロシア高官は、
日露間で戦争が起こる
可能性があるのは、分かっている。
その場合、我がロシア軍は
瞬く間にTokyoまで侵攻するだろう。
と非常に高飛車な姿勢を見せます。
つまり、
お前たち日本人ごときが、
我がロシアと戦うなど、とんでもないこと。
我がロシアは強大な力を持ち、
Tokyoを陥落させてしまうよ。
と恫喝してきたのです。
とても頼もしい同盟国誕生:強力な切り札・日英同盟
日本側もまた、ロシアとの戦いに準備しており、開戦2年前に英国(大英帝国)と日英同盟を結びます。
(3)の答え-大英帝国です。
英国の位置は(ケ)です。
今も大国として非常に影響力が強い英国。
当時の大英帝国は下の図のような広大な領土を持っていました。
米国が台頭し始めたとは言え、1902年時点では「世界一の強国」だった大英帝国。
この大英帝国との日英同盟こそが、日本の生命線でした。
日露戦争が開戦し、ロシア側は「すぐに日本を倒せる」と考えていました。
しかし、「ロシア側の想定外」の事態が起こり、日本軍が善戦し続けます。
こうなったら、
「とっておき」が出撃だ!
ロシア軍の「とっておき」こそバルチック艦隊でした。
バルチック艦隊で、
日本海軍の息の根を止めよ!
「大国としての面子」を傷つけられたロシアは、一気に勝負に出てきます。
はるばる「ほぼ世界一周」して、日本に攻め込んできたバルチック艦隊。
半年以上かけて日本にやってきた艦隊もありました。
長い航海を続けるには、非常に大事なことがあります。
それは、艦船のメンテナンスや補給のために、ルート上で港に寄る(寄港)をしたいです。
ロシアは、当時広大な領土を有した大英帝国に要望します。
バルチック艦隊が
貴国領に寄ることを許可して欲しい。
ダメ!
英国は日英同盟を盾に、バルチック艦隊の「英国領への寄港」を一切許可しません。
この野郎!
覚えてろよ!
ほう。我が大英帝国に、
そんな口を聞いて後悔するのは、お前らだ!
こうして、大事なメンテナンスをする機会をロシアから奪った大英帝国。
さらには、「国際法上許されるギリギリ」の圧力をロシアにかけ続けます。
おのれ・・・
ロシアは悔しがりますが、どうにもなりません。
日本近海で待ち受けた日本海軍
対して、日本海軍は「迎撃する側」です。
戦争・合戦では、基本的に「防御する側」が有利です。
それは、防御するエリアを知り尽くし、対策を練られるからです。
そして、将兵でも艦船でも「適切な休養・メンテナンス」は極めて重要です。
日本海軍は、砲撃の大訓練などを続けて、バルチック艦隊の来襲を待ちます。
(4)-東郷平八郎です。
バルチック艦隊には古い艦船もありましたが、非常に大きなダメージはメンテナンス不足でした。
対して、日本海軍は「メンテナンスばっちり」で「これ以上ない良好な状況」で待ち受けます。
この時、「日本海軍以来の頭脳」と言われた秋山真之 第一艦隊参謀が作戦を練りました。
当時、日本海軍にとって最も懸案事項がありました。
それは、バルチック艦隊が「対馬海峡から日本海に来る」のか「太平洋側に抜ける」のか、でした。
ロシアは、どこから
攻め込んでくるのか・・・
後の歴史から見ると、バルチック艦隊が「日本海に来襲」したのは、必然な気もします。
ところが、日本海軍=連合艦隊が総出で日本海側にいた当時、太平洋側は「ガラ空き」だったのです。
太平洋側には首都 東京があります。
日本海で待ち受けても、バルチック艦隊が太平洋側に回って「東京を砲撃する」可能性がありました。
そうなったら、「大事」では済まなく、日本敗北に繋がります。
バルチック艦隊が「対馬海峡に来るか」「太平洋を抜けて、津軽海峡から来るか」で全然迎撃体制が異なります。
ここで、連合艦隊司令部は
津軽海峡に向かうのが
良いのでは・・・
という方向に傾きつつありました。
もう一日、情報を待って
検討すべき。
ロシアは、対馬海峡に
くるのではないか。
そして、日本海海戦で日本は大勝利をおさめることが出来たのです。
連合艦隊旗艦であった戦艦三笠は「大英帝国製」でした。
あらゆる意味で大英帝国の協力なくして、日本がロシアに勝つ見込みは非常に薄かったのです。
(3)日英同盟
(4)東郷平八郎