前回は「八月十五日午前零時にとり終えた玉音放送〜大東亜戦争の終結・迫水久常「これからさき日本の国はどうなるか」・暗澹とした未来〜」の話でした。
終戦を告げる帝国政府「内閣告諭号外」全文:暗澹とした日本の未来

1945年8月15日の終戦(敗戦)を正式に迎えようとしていた、当時の大日本帝国。

阿南惟幾ムンッ!
阿南惟幾陸相は、1945年8月15日午前五時頃に、自決しました。





しかし、終戦を迎えて、これからさき
日本の国はどうなるのだろうか。



わたしは暗澹とした気持ちになり、
なかなか眠れなかった。



頭のなかに霧がかかったように
ボンヤリと時を過ごしていた。
ようやく正式な終戦が決定し、連合国に通告して、「大東亜戦争」(当時の大日本帝国の呼称)は終了しました。
戦争は終わったものの、この時点では「日本の未来」は暗澹としており、真っ暗な状況でした。



そこへ内閣嘱託の木原通雄君が
やってきた。



終戦の詔書が発布されれば、
それに引き続いて、内閣告諭なども出さなければならない。



わたしは終戦の詔書のことで手一杯だったので、
内閣告諭その他の原案を、



木原君につくってくれるよう
頼んでいた。



律儀なかれは、約束の時刻までに
原案を作成してきてくれたので、



わたしたちは協議をつづけ、
加筆したり、削除したりして、どうやら成案を得た。



それは次のような
内容のものであった。



この内閣告諭は、終戦の詔書が交付されると
同時に発せられたが、



一般の国民には十五日の夜、
ラジオで伝えられ、十六日の新聞に掲載された。
本日畏クモ大詔ヲ拜ス帝國ハ大東亞戰爭ニ從フコト實ニ四年ニ近ク而モ遂ニ 聖慮ヲ以テ非常ノ措置ニ依リ其ノ局ヲ結ブノ他途ナキニ至ル臣子トシテ恐懼謂フベキ所ヲ知ラザルナリ
顧ルニ開戰以降遠ク骨ヲ異域ニ暴セルノ將兵其ノ數ヲ知ラズ本土ノ被害無辜ノ犧牲亦玆ニ極マル思フテ此ニ至レバ痛憤限リナシ然ルニ戰爭ノ目的ヲ實現スルニ由ナク戰勢亦必ズシモ利アラズ遂ニ科學史上未曾有ノ破壞力ヲ有スル新爆彈ノ用ヒラルルニ至リテ戰爭ノ仕法ヲ一變セシメ次イデ「ソ」聯邦ハ去ル九日帝國ニ宣戰ヲ布吿シ帝國ハ正ニ未曾有ノ難關ニ逢著シタリ 聖德ノ宏大無邊ナル世界ノ和平ト臣民ノ康寧トヲ冀ハセ給ヒ玆ニ畏クモ大詔ヲ渙發セラル
聖斷旣ニ下ル赤子ノ率由スベキ方途ハ自ラ明カナリ
固ヨリ帝國ノ前途ハ之ニ依リ一層ノ困難ヲ加ヘ更ニ國民ノ忍苦ヲ求ムルニ至ルベシ然レドモ帝國ハ此ノ忍苦ノ結實ニ依リテ國家ノ運命ヲ將來ニ開拓セザルベカラズ本大臣ハ玆ニ萬斛ノ淚ヲ吞ミ敢テ此ノ難キヲ同胞ニ求メムト欲ス
今ヤ國民ノ齊シク嚮フベキ所ハ國體ノ護持ニアリ而シテ苟モ旣往ニ拘泥シテ同胞相猜シ內爭以テ他ノ乗ズル所トナリ或ハ情ニ激シテ輕擧妄動シ信義ヲ世界ニ失フガ如キコトアルベカラズ又特ニ戰死者戰災者ノ遺族及傷痍軍人ノ援護ニ付テハ國民悉ク力ヲ效スベシ
政府ハ國民ト共ニ承詔必謹刻苦奮勵常ニ大御心ニ歸一シ奉リ必ズ國威ヲ恢弘シ父祖ノ遺託ニ應ヘムコトヲ期ス
尙此ノ際特ニ一言スベキハ此ノ難局ニ處スベキ官吏ノ任務ナリ畏クモ至尊ハ爾臣民ノ衷情ハ朕善ク之ヲ知ルト宣ハセ給フ官吏ハ宜シク陛下ノ有司トシテ此ノ御仁慈ノ聖旨ヲ奉行シ以テ堅確ナル復興精神喚起ノ先達トナラムコトヲ期スベシ
昭和二十年八月十四日
內閣總理大臣 男爵 鈴木貫太郞
1945年8月15日未明「ダダ、ダダッ」機銃掃射の音:軍部の断末魔襲撃


当時、まだ43歳の若さで内閣書記官長を務めた迫水久常。
年配者であり、帝国政府・大本営の超大物たちを前に、一生懸命に「終戦手続き」を丁寧に、緻密に実施する、正に「帝国政府の要の存在」でした。



あとは、この草案を鈴木総理に
目を通してもらい、



閣僚の同意を
取りつければ良い。



だいぶ、夜も
ふけてきた。



わたしは、今度こそ深い眠りに
つこうと思い、



ふたたび、ベッドの上に
身を横たえた。



・・・・・
「机の上の戦争」のような状況が続いていた、帝国政府と大本営。
「机の上の戦争」は「本当の戦争」と異なり、「戦死はない」です。
ところが、



陸軍省の
者だが・・・



迫水書記官長だね。
君はまた我々の裏をかいたな。



これから、我々がどうするか、
覚えていろ!
こんな脅迫を軍部・陸軍省から、受けていた迫水書記官長は「死と隣り合わせ」の人生でした。



・・・・・



どのくらいの時間が
流れただろうか。



窓の外で、ダダ、ダダッという
連続音がした。



夏の夜は明けやすく、
すでに白みかけていた。



!!!



わたしは眠たい目を擦りながら、
きき耳を立てた。



連続音は、断続的に
響いてくる。



一瞬、敵機による機銃掃射の
音かとも耳を疑ったが、



まさか、米軍機の
攻撃か?



そんな
はずはない。



日本はすでにポツダム宣言を
受諾する旨、前日、



スウェーデンおよびスイスの両国を通じて
返答したばかりである。



敵機のはずがない、
ならば、何の音か?



敵機の機銃掃射にしては
おかしい。



意識がはっきりしてくると、
それが紛れもない機関銃の銃声であることが分かった。



!!!!!



そのとき、隣の部屋に寝ていた弟の
久良が激しい見幕で私の部屋のドアを押して入ってきた。



わたしは、とっさに
質問した。



おいっ、久良っ、
あの音はいったい何のなんだ!?



久良の顔は
引きつっている。



兄さん、外へ出たら
危ないよ。



日本の兵隊が
襲撃してきたんだ。



!!!!!!!



一瞬、わたしの頭の中を
一つの思い出が走った。



わたしは目の当たりに見た
二・二六事件の光景を記憶の中によみがえらせていた。



!!!!!!!



同時に、前夜、鈴木総理が私邸へ帰ったのは、
幸いだと思った。



わたし自身の命はどうなっても構わないが、
鈴木総理の身辺に大きな事故が起こったら、



国内は一大混乱に陥ること
必定である。



それでもわたしは、
この場から逃げ出したいと考えた。



軍部の襲撃か・・・
どうやって脱出する?



ムザムザと軍の連中に殺されるのは
バカらしいことだし、



捕えられるのは
なお辛い。



出来ることなら逃げ出して、
正午に迫っている終戦の大事業のお手伝いをしたいと念じた。



あともう少しで、
終戦の大事業が・・・



何とか、ここから逃げ出すには、
どうするのがベストか?
時は、1945年8月15日午前5時頃と思われます。
1945年8月15日正午の玉音放送まで、「残り7時間ほど」の時点で、軍部は首相官邸付近を襲撃に踏み切りました。



・・・・・





むうっ!!!
後に判明することですが、ちょうどこの頃、阿南陸相は自決していました。
玉音放送当日の当時の日本は、現在の感覚では考えられない「異常な世界」となっていたのでした。

