連合国の回答第一電「日本の申し入れ拒否」傍受に愕然とした迫水久常・東郷外相とマリク大使の「言葉の戦争」・日ソの「どちらが正しい」か〜|ポツダム宣言から敗戦の真相35

前回は「東郷外相「ソ連外交は笑止千万」〜「今更聞きたくない」宣戦布告・「全く会いたくない」ソ連マリク大使・連合国四カ国の一つソ連〜」の話でした。

目次

東郷外相とマリク大使の「言葉の戦争」:日ソの「どちらが正しい」か

新教育紀行
東郷茂徳 外務大臣(Wikipedia)

1945年8月10日、連合国に対して「国体護持」の条件を照会した帝国政府。

ポツダム宣言受諾への連合国への確認(条件提示):1945年8月10日

帝国政府においては、常に世界平和の促進を願い給い、今次戦争の継続によりもたらされる惨禍より人類をまぬが占めるため、速やかなる戦争の終結を記念し給う天皇陛下の大御心に従い、数週間前、当時、中立の関係にあったソビエト連邦政府に対し、敵国との平和回復のため、斡旋を依頼したが、不幸にして、この帝国政府の平和招来に対する努力は実を結ばなかった。

ここにおいて、帝国政府は、天皇陛下の一般的な平和克服についての御祈念に基づき、戦争の惨禍を出来る限り速やかに終止させたいと思い、次の通り決定した。

帝国政府は、昭和二十年七月二十六日、ポツダムにおいて、米英支三国首脳により発表せられ、その後、ソ連邦政府の参加をみた共同宣言に挙げられた条件の中を、右の宣言は天皇の国家統治の大権を変更する要求を含んでいないことを了解の基に受諾する。

帝国政府は、このように了解して誤りないことを信じ、本件に関する明らかな意向が速やかに表示せられるよう希望している。

後世の視点から見れば、玉音放送まで、あと5日です。

ただし、当時は、「連合国の返答次第では、戦争継続もありうる」状況でした。

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ヤコフ・マリク ソ連駐日大使(Wikipedia)

その中、マリク大使が「宣戦布告の外相通告」のために、やってきました。

「会う価値がない+会いたくない」東郷外相ですが、外交儀礼上、やむなく会いました。

東郷茂徳

笑止千万、東洋における将来の事態よりして、
甚だ遺憾に耐えない。

東郷茂徳

これは、やがて世界の歴史が正しく
判断してくれると思われるので、

東郷茂徳

これ以上申し上げることは
差し控える。

日頃温厚であり、「笑止千万」などという言葉は使わなかったであろう、東郷外相。

怒り心頭の中、マリク大使に「笑止千万」とハッキリ伝えました。

大日本帝国最後の四か月

東郷外相は、マリク大使に対して、
陛下が平和について、

大日本帝国最後の四か月

平和について大変強い気持ちを持って
おられることを特に強調した。

大日本帝国最後の四か月

マリク大使は、
東郷外相が、

東郷茂徳

今度、ソ連の取った措置は、
世界の歴史が正しく判断するだろう。

大日本帝国最後の四か月

と言ったことに
腹を立てたらしく、すぐに、

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ヤコフ・マリク ソ連駐日大使(Wikipedia)
マリク

歴史は公平な
審判者である。

大日本帝国最後の四か月

と、オウム返しに
答えた。更に、

マリク

日本がポツダム宣言を拒否した、ということは、
原子爆弾の使用について、

マリク

トルーマン大統領の
声明の中にもある。

大日本帝国最後の四か月

と言って、
東郷外相の舌鋒をかわした。

大日本帝国最後の四か月

最後に東郷外相は、
厳しい言葉で、ソ連の背信を責めた。

東郷茂徳

これまで友好関係にあった
両国が、まだ話し合いをしている途中なのに、

東郷茂徳

一片の回答もしないで、アメリカやイギリスなど
両国にとっては第三者に当たるものとの関係を、

東郷茂徳

引き合いに出して、宣戦を布告するのは、
どう考えても理解に苦しむ。

マリク

・・・・・

大日本帝国最後の四か月

余程身にこたえたのか、
マリク大使は黙り込んでしまった。

大日本帝国最後の四か月

これ以上、長居をする必要はないと思ったのか、
次のような言葉を残して、外務省を後にした。

マリク

ポツダム宣言受諾の件は本国に伝達するが、
私にも一言だけ言わせて欲しい。

マリク

歴史は、いかにソ連が平和の強化に貢献しているもので
あるかを立証するだろう、

マリク

ということを
申しあげておきたい。

そして、東郷外相とマリク大使の会見は終了しました。

「言葉の戦争」と表現しても良いような、両者にとって「なんとも言えない」会見となりました。

連合国の回答第一電「日本の申し入れ拒否」傍受に愕然とした迫水久常

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「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常著、新教育紀行)
大日本帝国最後の四か月

事態は大詰めに
きた。

大日本帝国最後の四か月

日本の政府が了解事項を附して、
ポツダム宣言を受諾するという通告したのに対し、

大日本帝国最後の四か月

連合国が、どんな反応を示し、
回答してくれるか、

大日本帝国最後の四か月

政府や軍の関係者たちは、
首を長くして待っていた。

この頃、鈴木首相、迫水書記官長たちにとって、「一時間が、とてつもなく長い」と感じられたでしょう。

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敗戦時の陸海軍首脳たち:左上から時計回りに阿南惟幾 陸軍大臣、米内光政 海軍大臣、豊田副武 軍令部総長、梅津美治郎 参謀総長(国立国会図書館,Wikipedia)

そして、「連合国の返答」次第では、「戦争続行もありうる」中、

梅津美治郎

・・・・・

軍部もまた、「連合国回答は、どうなるのか」ひたすら待っていました。

大日本帝国最後の四か月

まる一日たったが、
連合国側からは、何の音沙汰もない。

大日本帝国最後の四か月

ただ、十一日になってから、
一度も空襲警報のサイレンが聞かれなかった。

大日本帝国最後の四か月

人々の
中には、

当時の日本人

空襲警報がないのは、
不思議なことね・・・

大日本帝国最後の四か月

という人もいたが、私たちは連合国側が
何らかの協議をしているのだろうと想像した。

「空襲警報がないのは不思議」というのは、現代の感覚からすると、凄まじい状況でした。

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左上から時計回りに、トルーマン米大統領、チャーチル英首相、スターリン書記長、蒋介石総統(Wikipedia)
トルーマン

Japanから、ポツダム宣言への
回答が来た、だと・・・

トルーマン

そこに、「天皇の大権」に関する
照会事項がある、だと・・・

トルーマン

・・・・・

トルーマン

ここは、慎重な検討が必要だから、
しばらく空襲は中止!

おそらく、トルーマン大統領が、このように「空襲中止」を指令したのでしょう。

大日本帝国最後の四か月

五月二十五日の空襲で、
官舎を焼き払われた私は、

大日本帝国最後の四か月

仮住まいの首相官邸内
内閣書記官長室で、ほんのひとときまどろんだ。

大日本帝国最後の四か月

十二日の午前〇時四十五分、
外務省のラジオ室が、

大日本帝国最後の四か月

サンフランシスコ放送を
キャッチした、という情報が入ってきた。

大日本帝国最後の四か月

続いて、同盟通信社も
傍受したらしい。

ここで、ソ連の対日参戦を傍受した同盟通信社が再登場しました。

同盟通信社

・1936年設立の社団法人通信社で半官半民(極めて官に近い)

・新聞社へ記事や写真を配信する通信社で、政府主導のニュース映画などを制作

・日本に関するニュース、大日本帝国政府の主張を4か国語で毎日配信

・連合国の通信や電報を受信・傍受して翻訳・解読

・1945年にGHQの命令で解散し、共同通信社・時事通信社・電通に分割(戦争末期は5,500人の社員)

大日本帝国最後の四か月

同社の長谷川才次外信部長は、
私の年来の友で、ことあるごとに助けてくれた。

大日本帝国最後の四か月

この時、長谷川くんが伝えてくれた
最初のAP電によると、

長谷川才次

連合国は、日本の申し入れを
拒否するらしいです。

迫水久常

!!!!!!!!!

大日本帝国最後の四か月

とのことだった。
私はガッカリした。

「国体護持の追加条件」に対して、連合国が「拒否した」という一報でした。

これでは、帝国政府・大本営で苦心してまとめた「降伏への道程」の根幹が崩れてしまいます。

迫水久常

拒否、
か・・・・・

迫水久常

・・・・・

この時、迫水書記官長は「地獄の底に叩き落とされた」ような気持ちになったでしょう。

迫水久常

・・・・・

脳裏に「戦争継続」の文字が、チラリと浮かんだ迫水書記官長でした。

次回は上記リンクです。

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