前回は「昭和天皇「わたしのことは、どうなってもかまわない」〜「実に忍び難い」・昭和天皇が指摘した「本土決戦と防備の現実」・帝国陸海軍への不信感表明〜」の話でした。
連合国に追加条件・甲案提示へ:平沼議長「天皇と国体」不適当論

昭和天皇わたしのことは、
どうなってもかまわない。



耐え難いこと、忍び難いことではあるが、
この戦争をやめる決心をした。
昭和天皇は、1945年8月10日、午前2時20分に、明確に「敗戦を決定」しました。



すべては、陛下のお言葉によって
決まった。



時に、十日の
午前二時二十分であった。



この後、参列者は
居残って、甲案をもって・・・



最高戦争指導会議の
決定とすることを決議した。
甲案:七月二十六日付三国共同宣言に挙げられた条件の中には、天皇の国法上の地位を変更する要求を包含しおらざることの了解のもとに日本政府は、これを受諾す。
乙案:七月二十六日付三国共同宣言につき、連合国において、
(一)日本皇室の国法上の地位の変更に関する要求は、右宣言の条件中に包含しないものとする。
(二)在外日本軍隊はすみやかに自主的撤退をなしたる上、復員す。
(三)戦争犯罪人は、国内において処理する。
(四)保障占領はしないものとする
との了解に同意するにおいては、日本政府は戦争の終結に同意す。
ポツダム宣言における「連合国の諸条件」に対して、「大日本帝国の追加条件」は甲案と決まりました。
連合国・米国が「即拒否」するのが間違いない乙案は「引っ込めた」のでした。



わたしは、甲案に最高戦争指導会議構成員の
花押(かおう・一種のサイン)を求めた。



この時、平沼枢密院議長から
重大な発言が行われた。





この文書の中にある”天皇の国法上の地位”という
表現は、我が国の国体に照らし合わせて・・・



たいへん
不適当である。
本来、最高戦争指導者会議の構成員では「ない」平沼枢密院議長。
その場にいたのは、迫水内閣書記官長の「枢密院への配慮」でした。
・天皇の最高諮問機関
・条約、緊急勅令など重要国務を審議
条約などに関して「審議する」権限を持っていた枢密院を代表する立場だった平沼議長。
ここで、細かな「条約締結に向ける文言」をチェックし始めたのでした。
吉積局長を一喝した阿南惟幾陸相:揺れる陸軍内部の動向vs帝国政府方針





天皇の地位は、神ながらに昔から
決まっているのであって・・・



憲法によって
定められたものではない。



憲法は、ただ神ながらの天皇の地位を
記しただけのものだから・・・



この表現には
反対である。



一体、誰が
起草したのか。
超緊急事態の中、平沼議長は、強い口調で「起草者」を攻めました。



これには、
経緯があった。



御前会議が始まる前の会合で、
東郷外相は、



この部分を「天皇の身位」と
表現した方が良い。



と主張したが、わたしは、身位と言えば、
天皇個人の立場のような響きがあるので・・・



もう少し公法的な感じを出すために
「天皇の国法上の地位」としてはどうか。



という
対案を出した。



・・・・・



東郷外相は、いかにも気が進まない、
という様子だったが・・・



終局的には
同意した。



従って、この平沼枢密院議長の
発言について・・・



わたしは、そうよってくるところを
詳しく説明したが・・・



どうしても
聞き入れなかった。
| 名前 | 生年 | 役職 |
| 平沼騏一郎 | 1867年 | 枢密院議長・元内閣総理大臣 |
| 鈴木貫太郎 | 1868年 | 内閣総理大臣 |
| 米内光政 | 1880年 | 海軍大臣 |
| 梅津美治郎 | 1882年 | 参謀総長(大本営) |
| 東郷茂徳 | 1882年 | 外務大臣 |
| 豊田副武 | 1885年 | 軍令部総長(大本営) |
| 阿南惟幾 | 1887年 | 陸軍大臣 |
| 昭和天皇 | 1901年 | 天皇 |
| 迫水久常 | 1902年 | 内閣書記官長 |
元首相であり、最高年齢であった平沼騏一郎が強く反論しては、抑えられる人は連絡会議にはいませんでした。



仕方がないので、
わたしは鈴木総理の裁断を仰ぐことにした。



総理は、
こう言った。



平沼さんの
いう通りにしよう。
二発の原爆が投下された中、鈴木首相は、



細かな文言は、
どちらでも良い・・・
この気持ちが「本音」だったと考えます。
そもそも、「連合国が許容してくれる」ことが最優先でした。
条約に関しては、当時は「内閣総理大臣よりも枢密院議長の方が権限が上」の様な不思議な状況でした。



私は改めて平沼議長に意見を求め、彼の言う
「天皇の国家統治の大権」という表現に書き改めた。



総理も
賛成であった。



一同が退出して、
防空壕の入り口に差し掛かった時、



陸軍省の吉積軍務局長が
人々をかき分けるようにして、



先頭の鈴木総理に近づいて、
叫んだ。



総理、これでは
約束が違うではありませんか!



!!!



鈴木総理が、吉積局長の方を
振り向いた時、



傍を歩いていた阿南陸相が
吉積局長の体を押しやるようにして、



鋭い口調で
たしなめた。





吉積っ!!
もう良いではないかっ!!!
ここで、吉積局長が鈴木首相に言った「約束」に関して、迫水は触れていません。
おそらく、迫水内閣書記官長も「完全には把握していなかった事」だったと推測します。
「何らかの方針」を確定していたであろう陸軍内部。
以下は、筆者の推測です。
おそらく、その「何らかの方針」を阿南陸相が「鈴木総理と約束した」ことになっていたのでしょう。
そして、阿南陸相は、軍部を抑えるために吉積局長に「約束」を伝えていたのでしょう。
その結果、



阿南陸相と鈴木総理の間で
「交わした約束」と全然違う!
「約束と全然違う!」と、吉積局長は憤慨したのでしょう。
その「約束の形跡」が、「大日本帝国最後の四か月」に後ほど登場します。
いずれにしても、ようやく軍部も納得し、宣言受諾に向けて連合国と協議となりました。
果たして、連合国は「大日本帝国の国体護持の要請」を認めるのでしょうか。

