前回は「聖断!昭和天皇「私の意見は外務大臣の意見に同意」〜号泣!政府トップたち・前代未聞の「天皇の意思判断伺い」へ・形式的だった御前会議〜」の話でした。
昭和天皇が指摘した「本土決戦と防備の現実」:帝国陸海軍への不信感表明

昭和天皇それならば、
私の意見を述べよう。



私の意見は、
外務大臣の意見に同意である。
後世の視点から見れば、「当然」であった昭和天皇の意見。
ところが、当時の大日本帝国政府・大本営トップにとっては「意外」と感じる人が多かったのでした。



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・



ううっ・・・
大日本帝国政府・大本営トップたちが号泣する中、



念のために
言っておく。
昭和天皇は、「とぎれ、とぎれ」に言葉を続けました。



大東亜戦争が始まってから、
陸海軍のしてきたことをみると・・・



どうも予定と結果とが大変違う
場合が多い。



今、陸軍、海軍では、先ほども
大臣、総長が申したように・・・



本土決戦の準備をしており、勝つ自信があると
申しているが・・・



わたしは、その点について
心配している。



先日、参謀総長から九十九里浜の
防備について話を聞いたが・・・



実は、その後、侍従武官が現地を見てきての話では、
総長の話とは大変違っていて・・・



防備はほとんど
出来ていない様である。



また、先日、編成を終わった師団の装備について、
参謀総長から完了した旨の話を聞いたが・・・



実は、兵士に銃剣すら行き渡っていない
ありさまであることが分かった。
昭和天皇は、縷々と、的確に、簡潔に、陸海軍の実情を吐露しました。



このような状態で、本土決戦へ
突入したら、どうなるか。



私は非常に
心配である。



あるいは、日本民族はみんな死んでしまわなければ
ならなくなるのではなかろうかと思う。



そうなったら、どうして
この日本という国を子孫に伝えることができるか。



私の任務は、祖先から受け継いだ
この日本という国を子孫に伝えることである。
昭和天皇は、「天皇の任務」を明確に語りました。



今日となっては、一人でも
多くの日本国民に生き残ってもらい・・・



その人たちに将来再び起ち上がって
もらう他に・・・



この日本を子孫に伝える方法は
ないと思う。
昭和天皇は、「将来」「未来」を見続けていました。
昭和天皇「わたしのことは、どうなってもかまわない」:「実に忍び難い」


陸海軍の大元帥として、大日本帝国陸海軍を「統帥した」昭和天皇。



それに、このまま戦争を続けることは、
世界人類にとっても不幸なことである。



もちろん、忠勇なる軍隊の武装解除や
戦争責任者の処罰など・・・



それらの者は、みな忠誠を尽くした
人々で、それを思うと、実に忍び難いものがある。
梅津参謀総長、阿南陸相が語った通り、武装解除は極めて困難な道と感じられていました。


さらに、戦争責任者となるであろう様々な人々。
そして、彼らは皆、昭和天皇の視点から見れば「臣下=家臣」でした。
降伏後、彼らが「無事に済むはずがない」事実に対し、昭和天皇は「忍び難い」と語りました。



しかし、今日は、その忍び難きを
忍ばなければならない時だと考えている。



わたしは明治天皇の三国干渉の時の
お気持ちを考え・・・



わたしのことは、
どうなってもかまわない。



耐え難いこと、忍び難いことではあるが、
この戦争をやめる決心をした。
昭和天皇は、1945年8月10日午前2時20分、明確に「敗戦を決定」しました。


ここで、注目すべきことは「明治天皇の三国干渉の時のお気持ち」です。
日清戦争直後に、露仏独の「干渉」によって、遼東半島を「無理やり返還させられた」大日本帝国。
三国干渉に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
確かに、この三国干渉は、当時の大日本帝国にとって重大事件でした。
その一方で、現代の視点から、三国干渉と敗戦・降伏と比較すると、三国干渉の重大性は大きく劣ると感じます。
ところが、昭和の時代においては、三国干渉は「敗戦・降伏と同等」の扱いであったのでした。
そして、昭和天皇は、明確に帝国政府・大本営最高幹部たちに告げました。



わたしのことは、
どうなってもかまわない。
「自分はどうなっても良い」と。
当時、「最後の敗戦国」であった大日本帝国の「国家元首」であった昭和天皇。
枢軸国:大日本帝国、ドイツ帝国、イタリアなど
連合国:米国、大英帝国、中国、ソビエト連邦など
すでに、他の枢軸国だったドイツ帝国・イタリアは敗北し、降伏していました。
そして、ヒトラーは自殺、ムッソリーニはイタリア国民の手によって惨殺されていました。
敗戦後、昭和天皇に対して連合国・米国が「何らかの処罰をする」可能性が、この時点では極めて濃厚でした。
その可能性を十分過ぎるほど認識した上で、昭和天皇は、



わたしのことは、
どうなってもかまわない。
このように、自らの意思で、極めて強く、「自らの身のこと」を語ったのでした。


