前回は「長崎への二発目の原爆投下と彷徨う政府〜ポツダム受諾と枢密院・侃侃諤諤で方針が決まらない帝国政府・決定権がない内閣総理大臣〜」の話でした。
最高戦争指導会議メンバー「偶数から奇数」へ:平沼議長への根回し

「どのような条件の基に降伏するか」で、議論が続いていた大日本帝国政府。
閣議で議論の最中に、二発目の原子爆弾が長崎に投下されました。

当時、内閣書記官長(内閣官房長官)だった迫水久常は、当時の状況を克明に記しています。

太田耕造閣内の不統一もはっきりしているので、
筋道からいって内閣は総辞職すべきではないだろうか。
「一刻も早く結論を」という状況において、「内閣総辞職論」を言い出した太田文相。
現在の視点から考えれば、「いかにもズレた」発想でした。



首相官邸へ帰ってきた総理は、
太田文相を使者として平沼邸へ走らせ・・・



皇居へ向かう車の中で、
この間の事情をよく説明するよう命じた。


「ポツダム宣言受諾=降伏」は、「一種の条約締結」とも考えられました。
・天皇の最高諮問機関
・条約、緊急勅令など重要国務を審議
そのため、「平沼枢密院議長に根回し」するために、鈴木首相は太田文相を走らせました。
この発想は、いかにも日本らしく「根回し」は、英語で「Nemawashi」という単語があります。
「Nemawashi」という「特別な単語がある」ということは、欧米では「根回しという概念がない」ことを示します。
しかも、わざわざ「ズレた発言をした」太田文相を「走らせた」点も興味深いです。



皇居の地下防空壕の一室で御前会議が
始まったのは、十日の午前0時少し前だった。
まさに真夜中、長崎原爆投下の8月9日の午前0時(10日になる時刻)に開始した御前会議。





形式は、陛下の親臨を仰いで、最高戦争指導会議を
開くということであり・・・



特に通常の構成員六人に平沼枢密院議長を加えた
七人が正式のメンバーである。
・帝国政府:鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相
・大本営:梅津参謀総長、豊田軍令部総長
・枢密院:平沼議長(特例)
通常、「政府から4名+大本営から2名」の合計6名の最高戦争指導会議は7名となりました。
ここで、「偶数から奇数」が特徴です。
「偶数」では、お互いが挙手した場合、「半分の3対3で意見が決定できない」可能性があります。
それが「奇数ならば、必ず結論が出る」ことになります。
迫水書記官長は、



奇数の七名にすれば、
最高戦争指導会議で結論が出るだろう・・・
このようにも考えていた、と推測します。
三国共同宣言条件への追加条件「甲案と乙案」:絶対条件「国体護持」


7名となった最高戦争指導会議でしたが、それでも「7名中4名が軍部」でした。
つまり、平沼議長を加えても「過半数は軍部」でした。
それだけ、軍部の力が強かったのが大日本帝国政府でした。



これに最高戦争指導会議の幹事を
務めていた陸軍省の吉積正雄軍務局長・・・



海軍省の保科善四郎軍務局長、
池田純久内閣総合計画長官に・・・



内閣書記官長の私の四人が
出席した。



蓮沼侍従武官長も
同席した。
さらに四名が「幹事役=脇役」として参加しました。
陸海軍の軍務局長は、当時、軍部の中枢にあり、極めて強い権限を持っていた職でした。



会議室のテーブルの上には、
あらかじめ、ポツダム宣言の訳文全文と・・・



甲案、乙案と書かれた
二種類の文書が配布されていた。
甲案:七月二十六日付三国共同宣言に挙げられた条件の中には、天皇の国法上の地位を変更する要求を包含しおらざることの了解のもとに日本政府は、これを受諾す。
乙案:七月二十六日付三国共同宣言につき、連合国において、
(一)日本皇室の国法上の地位の変更に関する要求は、右宣言の条件中に包含しないものとする。
(二)在外日本軍隊はすみやかに自主的撤退をなしたる上、復員す。
(三)戦争犯罪人は、国内において処理する。
(四)保障占領はしないものとする
との了解に同意するにおいては、日本政府は戦争の終結に同意す。
甲案、乙案は、上の二案でした。
つまり、ポツダム宣言に対しては、「何らかの条件を少なくとも一つ付ける」ことが議題でした。
ここで重要なのは、甲案に「七月二十六日付三国共同宣言に挙げられた条件」と記載されている点です。
当時の大日本帝国政府・大本営大幹部たちは、「ポツダム宣言=有条件降伏の提起」と見ていたのでした。
これは文章を読めば当然のことであり、「ポツダム宣言受諾=有条件降伏」でした。
この「有条件」に対して、日本側から「さらに条件を追加」が議題でした。
乙案では「七月二十六日付三国共同宣言につき」と「条件」とは書かず、あっさり書いています。
その一方で、乙案は「どう考えても連合国・米国が認めない」案でした。
これを乙案に記載しなかったのは、「乙案がかなり強い要求である」ことが理由と考えます。
甲案、乙案の第一項は「天皇の国法上の地位を変更する要求を包含しない」ことでした。



・・・・・
いずれにしても、「追加条件提示」は、現実としては「なかなか難しい」ことでした。
甲案は「国体の護持」であり、当時の日本人にとっては、「存在の根幹」でした。
「国体」がなくなってしまったら、当時の日本人は「日本人ではなくなる」事態でした。
そのため、なんとしても、この「国体の護持」だけは「連合国に要求しなければならない」のでした。



・・・・・
原爆が「二発落とされた」という事実は、「三発目があるかもしれない」ことを示していました。
日本語には「二度あることは、三度ある」という言葉があります。
「三度目は絶対あってはならない」中、「甲案か乙案か」の議論が続きました。
敗戦=終戦へ適切に導くために、粛々と会議は続きました。

