安倍源基「昭和動乱の真相」が明らかにするポツダム宣言〜鈴木内閣「ノーコメント+発表小さく」と決定・廣田とマリクの交渉〜|ポツダム宣言から敗戦の真相12

前回は「ポツダム宣言「拒絶」と米軍の爆撃・砲撃強化〜二十四時間間断ない波状攻撃・鈴木侍従長の脳裏に焼きついた「銃撃」・「二・二六」標的の大物たちの運命〜」の話でした。

目次

安倍源基「昭和動乱の真相」が明らかにするポツダム宣言

New Educational Voyage
鈴木貫太郎 内閣総理大臣(国立国会図書館)

1945年7月26日のポツダム宣言に対して、2日後の7月28日、鈴木首相は、

鈴木貫太郎

ポツダム宣言に関しては、
これを黙殺する。

鈴木貫太郎

あくまで戦争遂行に
邁進する。

このように「黙殺+戦争邁進」と発言した、と伝えられています。

New Educational Voyage
侍従長の回想(藤田尚徳著、新教育紀行)
侍従長の回想

あるいは情報局で不用意にこれを
付記したのかも分からぬ。

侍従長の回想

その真相は不明であるが、
およそ首相の真意とは程遠い談話であった。

この鈴木首相の談話は、昭和天皇最側近の一人、藤田侍従長は「真相不明」と明言しています。

New Educational Voyage
「終戦の表情」(鈴木貫太郎、新教育紀行)

その一方で、鈴木首相自身が、敗戦翌年に述べている「終戦の表情」において、

鈴木貫太郎

この宣言は重視する
要なきものと思う。

こう言った、と記録しています。

これらの大きく異なる発言に関して、もう少し調べてみましょう。

New Educational Voyage
「昭和動乱の真相」(安倍源基著、新教育紀行)

安倍源基(あべ げんき)が著した「昭和動乱の真相」には、この頃の話が詳細に記録されています。

「源基」という名前は極めて稀で、筆者は歴史上或いは人生において、この名前の人を他に知りません。

New Educational Voyage
安倍源基 内務大臣(Wikipedia)

当時、鈴木内閣において内務大臣であった安倍源基もまた、当時の真相を知る人物の一人です。

名前生年役職
鈴木貫太郎1868年内閣総理大臣
米内光政1880年海軍大臣
梅津美治郎1882年参謀総長(大本営)
東郷茂徳1882年外務大臣
豊田副武1885年軍令部総長(大本営)
阿南惟幾1887年陸軍大臣
安倍源基1894年内務大臣
迫水久常1902年内閣書記官長
鈴木内閣と軍部の大幹部たち(1945年7月26日時点)

鈴木内閣の中では、比較的若手であった安倍内相は、縦横無尽に働いていました。

現代、内務大臣は日本においては廃止されました。

その一方、諸外国には内務大臣に相当する長官等がいることが多いです。

務」省に対する「務」省は「国内の主要事項」を取り扱う強力な省庁でした。

特に、戦前は強力な権限を有していた警察を傘下に収める内務大臣は、極めて重要な立場でした。

戦後は大蔵大臣の立場が強くなりましたが、戦前は大蔵大臣の立場はそれほど強くありませんでした。

新教育紀行
内務卿 大久保利通(国立国会図書館)

明治初期、「事実上の首相」であった大久保利通もまた、内務卿(内務大臣)でした。

大久保の頃の内務卿は、戦時中の内務大臣よりも更に巨大な権限を握っていました。

大久保は内務卿に就任し、明治政府の巨大な権限を握りました。

この事実からも、内務卿・内務大臣の重要性が分かります。

警察を所管する安倍内相は、かなり多くの情報を握っていました。

鈴木内閣「ノーコメント+発表小さく」と決定:廣田とマリクの交渉

New Educational Voyage
「昭和動乱の真相」(安倍源基著、新教育紀行)

「昭和動乱の真相」は、1977年に出版されました。

「真相」を語るだけに、戦後ある程度の時間が経過してから、出版されたと考えます。

ポツダム宣言発令の部分から、「昭和動乱の真相」を読んでみましょう。

昭和動乱の真相

翌七月二十七日、わが外務省は
ポツダム宣言の内容を知ったが・・・

昭和動乱の真相

同日の定例閣議で東郷外相から
報告があって、どのように対処するかが論議された。

昭和動乱の真相

この時外相は、初めて廣田・マリク会談以来の
対ソ交渉の経過を簡単に報告し・・・

New Educational Voyage
廣田弘毅 元内閣総理大臣(国立国会図書館)

「廣田」とは、廣田弘毅 元内閣総理大臣のことです。

New Educational Voyage
ヤコフ・マリク ソ連駐日大使(Wikipedia)

「マリク」とは、当時のヤコフ・マリク・ソ連駐日大使のことです。

ソ連に「降伏の仲介役」を頼んでいた日本政府は、廣田元首相がマリク大使に接触していました。

この重大な事実を、閣僚に対して東郷外相は、「ポツダム宣言後初めて」報告しました。

昭和動乱の真相

最近の国際情勢を述べるとともに、
ポツダム宣言を解説し・・・

東郷茂徳

今しばらくソ連の出方を
見た上で、日本の態度を決定すべきである。

昭和動乱の真相


主張した。

昭和動乱の真相

一同外相の意見に同意したが、
新聞発表の形式と内容については・・・

昭和動乱の真相

相当議論が
あった。

鈴木首相含め閣僚一同「しばらく様子見る」に同意しましたが、発表の方法が大問題でした。

安倍源基

新聞発表の形式と内容については
相当議論があった。

なにか発表しなければなりませんが、「相当議論があった」ことを、安倍内相は明らかにしています。

昭和動乱の真相

結局政府としては、
次のように決定した。

昭和動乱の真相

①宣言に対しては何らの
意思表示をしない(ノーコメント)

昭和動乱の真相

②新聞については、なるべく小さく取り扱う
よう情報局で指導すること

「ポツダムへの対応」は、「ノーコメント+発表を小さく」と決定した政府。

現代と異なり言論統制が厳しかった当時は、新聞などのメディアに対し、政府・情報局が指導していました。

指導に従わなかった場合は、その新聞・メディアは弾圧されるため、新聞・メディアは指導に従っていました。

こうして、鈴木総理+全閣僚である鈴木内閣一同の共通の認識は、まとまりました。

この流れが事実であったならば、「黙殺+戦争邁進」という表現になるはずがないようにも感じます。

次回も、「昭和動乱の真相」を読み進めてゆきます。

New Educational Voyage

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次