前回は「「黙殺=拒否」と受け取った米国と連合国〜「意思表示しない」東郷外相・「首相の真意とは程遠い」談話・「メディア次第」の報道〜」の話でした。
昭和天皇に常に近侍した侍従長:「朝廷」のような存在だった宮中

鈴木貫太郎ポツダム宣言に関しては、
これを黙殺する。



あくまで戦争遂行に
邁進する。
後世の視点から見れば、「即刻受諾」しか選択肢がなかったポツダム宣言。
ところが、鈴木首相は「黙殺」し、更に「戦争遂行邁進」と発表しました。


これに対し、藤田尚徳侍従長は、1961年発刊の「侍従長の回想」において、



その真相は不明であるが、
およそ首相の真意とは程遠い談話であった。
「真相不明」と語っています。
侍従長は、天皇の最側近であり、首相よりもはるかに昭和天皇と接する機会が多い立場でした。
更に、天皇が「国家元首であり神」であった戦前は、宮中の権限は極めて強い状況でした。
| 大日本帝国憲法 | 日本国憲法 | |
| 公布 | 1889年(戦前・明治時代) | 1946年(戦後・昭和時代) |
| 主権 | 天皇 | 国民 |
| 天皇 | 神聖不可侵の元首 | 日本国民統合の象徴 |
| 戦争 | 天皇が陸海軍を率いる | 戦争を放棄 |
| 軍隊 | 国民に兵役義務 | 交戦権否定 |
現代も宮内庁がありますが、当時は宮内省でした。
宮内省がある当時の天皇周辺の権力は絶大であり、政府を上回っていたかのようでした。
いわば、平安時代から室町時代の頃までの「朝廷」に似たような機構だった戦前の宮中。
「侍従長と内閣総理大臣の権限」は、「機構が異なる」ため比較は不可能です。
ある観点から見れば、「内閣総理大臣の権限」に引けを取らないとも言えるほど、強力な存在だった侍従長。


侍従長は、常に昭和天皇の近くに近侍し、「昭和天皇と誰かが話すこと」を「ほぼ全て聞き取る」立場でした。
そのため、内閣・軍部・宮内省内の全ての最高情報を把握し得たのが、侍従長という立場でした。


この頃は、木戸幸一内大臣が「昭和天皇最側近」と呼ぶのに最も相応しい人物でした。


1941年10月18日、近衛文麿内閣総理大臣は、内閣を「投げ出す」形で総辞職しました。



もはや、私では
日米交渉をまとめられません・・・
「真珠湾」まで2ヶ月を切っていた時期に、内閣総辞職となった緊急非常事態に対し、



次期総理大臣は、
東條がよろしいかと・・・



そうか・・・
東條か・・・・
木戸内大臣は、近衛内閣で陸相であった東條英機を、次期内閣総理大臣に推薦しました。





・・・・・



東條を
呼べ・・・
このように、昭和天皇に「東條内閣を進言」し、東條内閣「生みの親」が木戸内大臣でした。
この点においては、木戸内大臣は、戦前の日本の運命に決定的な影響を及ぼしました。
木戸内大臣ほど「何かを進言する」ほどの権限は、藤田侍従長は持っていませんでした。
その一方で、「真相を知りうる」立場・権限においては、木戸内大臣を上回る存在でした。
鈴木貫太郎「終戦の表情」が明かす真相:「重視する要なきもの」


そこで、「黙殺」の真相を鈴木貫太郎首相自身に語ってもらいましょう。
上の「終戦の表情」(鈴木貫太郎述)は、多数の書籍において引用されている貴重な資料です。


敗戦(終戦)と同時に、内閣総辞職した鈴木貫太郎首相。
敗戦(終戦)翌年の1946年に、「終戦の表情」において、終戦の状況を様々語っています。



かかる中に我が方注目のポツダム宣言が、
米英支の名の下に対日宣言として発表された。
現代の視点では「米英中」となりますが、当時、日本では中国を「支那」と呼称していました。
「宣戦布告なし」日中戦争の正式名称は、「支那事変」です。



これは一読、対日降伏の最後条件であることが
明らかに判った。



時は
七月二十六日である。



一読、対日降伏の最後条件であることが
明らかに判った。
一目見て、「対日降伏の最後条件」と判断した鈴木首相。
鈴木首相の陳述もまた、「ポツダム宣言受諾による、日本の無条件降伏」という点とは明確に反します。



帝国政府は、この内容を
直ちに検討したが・・・



その内容は連合国が日本に対して、最後的攻撃を
開始する前触れとしての条件をも提示していたものと伝えられた。



そして、この宣言は明らかに太平洋戦争の
終止符としての役割を・・・



持たせるかのような
感じがしたのである。



だが、一億玉砕を呼号している
軍部では・・・



これらの宣言は、
問題にする価値もないもの!



として、本土迎撃の準備を
着々進めることを提案した。



この結果、この宣言に対しては、
意思表示をしないことに決定し・・・



新聞紙にも帝国政府該宣言を黙殺するという
意味を報道したのであるが・・・



国内の輿論、
軍部の強硬派は



むしろかかる宣言に対しては、
逆に徹底的反発を加え・・・



戦意昂揚に
資すべきである!



であることを
余に迫り・・・



何らかの公式声明を為さずして、
事態を推移させることは、徒に国民の疑惑を招く!



と極論する者すら
出て来る有様であった。



そこで、余は心ならずも、
七月二十八日の内閣記者団に会見に於いて・・・



この宣言は重視する
要なきものと思う。



との意味を
答弁したのである。
鈴木貫太郎自身の回想によって、鈴木首相が「ポツダム宣言に対して発言した事実」が明らかにしました。
ところが、「黙殺」ではなく「重視する要なきもの」と答弁した、と述べている鈴木貫太郎。
「発言した」事実は、本人によって確認されましたが、「発言内容が異なる」点が注目です。
次回も、「終戦の表情」を読み進めます。

