前回は「迫水久常「大日本帝国最後の四か月」が明らかにする降伏への過程〜スターリン書記長とモロトフ外相頼った日本・「ムダだった」対ソ外交〜」の話でした。
軍部に指示する権限ゼロの鈴木首相:本土決戦「やる気満々」の軍部

敗戦時、内閣書記官長(内閣官房長官)であった迫水久常が著した「大日本帝国最後の四か月」。
本書は、鈴木総理大臣の「最側近」として、「迫水しか知らないこと」も記載されています。
1945年4月7日に成立した鈴木貫太郎首相率いる鈴木内閣。

日本憲政歴史上、史上最高齢の77歳で内閣総理大臣に就任した鈴木貫太郎。
鈴木貫太郎の内閣総理大臣就任は、「昭和天皇が心の底から望んだ人事」と言われています。
上の写真の通り、皆が俯いた感じで、元気がありません。
それもそのはずで、当時は東京大空襲の約一月後で、日本全土は壊滅状態にありました。
そして、まもなく同盟国ドイツは、ヒトラー総統が同年4月30日に自殺し、ドイツは降伏する状況でした。
この状況の中、「元気になれるはずがない」のが、鈴木首相始めとする内閣全員の本音でした。

阿南惟幾我が帝国陸軍は
本土決戦の準備がある!



その通り!
最後の最後、本土で戦うのだ!



海軍も最後の
渾身の力を振り絞りましょう!



本土決戦など、
やったら、我が国は滅亡する!
その中、帝国陸海軍大幹部の四名のうち、三名はまだまだ「やる気満々」でした。
「降伏すべき」という姿勢を明らかにしていたのは、米内光政海相のみでした。
阿南惟幾陸相・梅津美治郎参謀総長・豊田副武軍令部総長の「やる気満々」の真意は諸説あります。
いずれにしても、少なくとも表面上は「最後の最後まで本土決戦」を主張していたのが陸海軍でした。
佐田岬半島にある「本土決戦の爪痕」に関する話を、上記リンクでご紹介しています。



・・・・・
当時、大日本帝国以外の連合国・枢軸国の強国においては、「国家元首が全権を握っていた」状況でした。
ところが、昭和天皇が国家元首であり、総理大臣の権限は極めて弱い状況だったのでした。
その一方で、昭和天皇の権限もまた不明瞭な点があったのが、当時の大日本帝国政府でした。


元海軍軍人であった鈴木首相でしたが、鈴木首相は「軍部に何も言えない立場」だったのでした。
東郷外相「無条件降伏を求めたものではない」:正式通告前の海外放送


この複雑極まりない、危険極まりない状況の中、若き迫水久常内閣書記官長は奮闘しました。
1945年7月26日、連合国の米国・大英帝国・中華民国からポツダム宣言が発せられました。



外務省のラジオ室は、七月二十七日の朝早く
海外からの放送によって・・・



ポツダム宣言を
キャッチした。
どうやら、ポツダム宣言は、「日本政府への正式通告より海外放送のキャッチが先」だったようです。



鈴木俊一事務次官は局長級の首脳陣を集め、
詳しくその内容を検討したのち・・・



東郷外相へ
報告した。
この記事では、主に中学生・高校生向けに、小学生にも分かりやすく、当時の状況をご紹介します。
大人ならば知っていることですが、ここで、事務次官・局長の説明をします。
「事務次官」とは、各省庁の「大臣・副大臣・政務官に次ぐ」立場であり、官僚トップです。
いわゆる「事務方トップ」と呼ばれ、「事務次官」という名称ですが、通常「次官」と略して呼びます。
「外務省局長級」とは、次官に次ぐ「政府高官」であり、かなり強力な権限があります。
局長が何かを話せば、「政府高官によると・・・」とニュースになるレベルの立場です。





な、なに?!
我が帝国に対する降伏勧告、だと?!



こ、これは
大変な事態だ・・・
「自国への降伏勧告」であるポツダム宣言を、海外放送で聞いて、初めて知った外務省。
この状況もまた、当時の日本の状況を表しており、多少滑稽な感じも受けます。
そして、この「日本への通告より先に海外放送」は、トルーマン米大統領の意思だったでしょう。
おそらく、当時、東郷茂徳外相は、「海外放送キャッチ」と同時にポツダム宣言に目を通したでしょう。





その時の模様を東郷外相は「時代の一面」という
著書の中にこう書きつけている。
「大日本帝国最後の四ヶ月」に記載された「時代の一面」は、「東郷茂徳外交手記」です。


「真珠湾奇襲攻撃」の時も外務大臣を務めた東郷茂徳外相。
いわば、「ほぼ全てのことを知っていた」人物の一人でした。
東京裁判で「禁錮二十年」の刑を受け、収監された東郷茂徳。
獄中、回想録を書いた東郷は「時代の一面」と名付け、まとめたのが「東郷茂徳外交手記」です。



余は、米国放送による
本宣言を通読して第一に感じたのは・・・



これが我らの条件左の如しとして
書いてあるから・・・



無条件降伏を求めたものにあらざることは
明瞭であって・・・



これは大御心が米英にも伝わった結果、
その態度をいくぶん緩和し得たのではないかとの印象を受け・・・



また、日本の経済的な立場には、相当の注意を
加えられていると認めた。
この後も、東郷外相の回想は続きますが、最も肝心なことを最初に明確に示しています。
それは、「無条件降伏を求めたものにあらざることは明瞭」と、東郷外相が書いていることです。
さらに、その理由を「大御心が米英にも伝わった結果」と推測している東郷外相。


「大御心」とは、「昭和天皇のお気持ち」を意味します。
「御心」だけでも、「普通の立場の人間の心ではない」ことを示します。
当時、天皇は「別格の神」であったため、「大御心(おおみこころ)」と表現しました。
次回は、東郷外相の「東郷茂徳外交手記-時代の一面」を読み進めます。
次回は上記リンクです。



