「開拓使」という名前だった北海道〜「薩摩」に表情がこわばった咲子・廃藩置県後の日本の国家像・「フランス語の達人」だった大山巌〜|山川捨松40・人物像・エピソード

前回は「「合いそうな結婚相手」に喜んだ咲子〜「藩=国家」の廃藩置県以前の時代・「義弟」となるかも知れない大山巌・「鳥羽伏見」以来の歴戦の超強者〜」の話でした。

山川咲子(捨松)(Wikipedia)
目次

「フランス語の達人」だった大山巌

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大山巌:佛文(フランス語)日記(国立国会図書館)
山川咲子

留学経験が
ある方なのね!

山川咲子

それは話が
合いそうね。

フランスに留学し、上のような達筆なフランス語を書くことが出来た大山巌。

現代日本においては、この程度のフランス語を書いたり話せる人は多数います。

上のフランス語は基本的内容ですが、当時フランス語で日記を書ける人物は「極めて少数」でした。

「極めて少数」というよりも、おそらく「十指に満たない」レベルの存在だったと思われます。

この点では、当時の大山巌は「フランス語の達人」と呼んで良い存在でした。

浩に「結婚相手選抜」を任せていた15歳年下の妹・咲子は、

山川咲子

留学経験がある方、
というのは意外・・・

当時、極めて希少な存在だった「留学経験者」であることに、大いに興味を持ちました。

山川浩

うむ・・・・
フランスに留学経験がある・・・

山川咲子

フランスに?
私のメリケン(米国)とは違うけど・・・

山川咲子

私はフランスも好きだから、
とっても良いわ!

山川浩

それは良かった・・・
そして、その人はフランス語が大分出来る・・・

山川咲子

私もフランス語は
少し出来るけど・・・

山川咲子

なら、私にフランス語を
教えてくれるかな?

「フランス語堪能」という「謎の結婚相手の可能性を持つ人物」に対して、おどけた咲子。

当時の日本において、「咲子に語学を教える存在」は「希少と」いうより「いない」はずでした。

山川咲子

私に語学を教える、というのは
以外ね・・・

むしろ、咲子は「語学を教える」立場の筆頭であり、この直前に明治政府から「教授」職を打診されました。

この時は、諸条件が合わないため、「断らざるを得なかった」咲子。

山川浩

ははは・・・
咲子に語学を教えるのは、面白いな・・・

淡い気持ちを抱く咲子に対して、浩もまた、こう軽口をたたいて、和やかな雰囲気でした。

山川浩

これは、思いの外
良い雰囲気だ・・・

山川浩

だが、だがだ・・・
どう「薩摩」を切り出す・・・

和やかな表情ながら、内心ビクビクしていた浩でした。

廃藩置県後の日本の国家像

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咲子の結婚相手へのイメージ(新教育紀行)
山川咲子

結婚に対して、
後ろ向きだったけど・・・

山川咲子

留学経験があって、
フランス語が堪能な方・・・

山川咲子

そういう方なら、
良いかも・・・

咲子にとって「想定外の良すぎる条件」に対して、結婚に大いに前向きになった咲子。

山川浩

うむ・・・
咲子がそう思ってくれれば嬉しい・・・

なんとなく良い雰囲気で、話が進んできました。

なんと言っても、咲子が「結婚に前向き」になったことだけでも、大きな前進です。

山川咲子

他に、その方に関する
ことは何かしら?

山川浩

・・・・・

ここで、浩は言葉に詰まってしまいました。

普通に考えれば、「結婚相手の国籍」は最重要項目です。

それぞれの人の個性や結婚観によって、「相手に求めること」の優先順位は大きく変わります。

結婚相手の条件

P.人柄や人間性

Q.経歴や学歴

R.容姿

S.家柄

T.国籍

男性でも女性でも、「結婚相手に求める条件」は必ずあるはずであり、上のような要素となります。

上の他にも色々とありますが、大きな項目は上の五項目となります。

この中で、「S.家柄」と「T.国籍」は、客観的条件であり、「T.国籍」の方が優先しそうです。

P,Q,Rの条件は、その人物の属性とも言え、Pが最も重要です。

ただし、Pは「主観」が思い切り入るので、本人が会ってみないと判断がつきません。

咲子にとって、「Q.経歴や学歴」は「想定外の良い条件」でした。

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廃藩置県後の日本(1872年、Wikipedia)

咲子と浩が話している1882年は、廃藩置県後11年が経過し、「藩の存在」は消滅していました。

廃藩置県後、それぞれの県は様々な合併や分割が行われましたが、1872年当時の地図が上です。

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廃藩置県後の日本:東北部(1872年、Wikipedia)

浩や咲子の出身の会津は、当時は、福島県・若松県・磐前県の三つに別れていました。

現代は、概ねこれら三県が合併して福島県となりました。

「薩摩」に表情がこわばった咲子:「開拓使」という名前だった北海道

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廃藩置県後の日本:北海道(1872年、Wikipedia)

現代の都道府県像とは、全く異なる構造だった廃藩置県当初の都道府県。

特徴的なのは、現在の北海道は「開拓使」と呼ばれていたことでした。

「開拓使」と呼ばれていた北海道は、1882年に札幌県・函館県・根室県の三つの県になりました。

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北海道開拓使の旗(Wikipedia)

この「開拓使」という名称は、「蝦夷地開拓のための特別官庁」が設置されたことが理由です。

太政官の外局組織であり、極めて独立性が高い組織が「開拓使」でした。

明治維新直後の1869年に設置され、13年ほど存在した開拓使。

そして、「北海道開拓」の端緒に目処が着いた1882年に解散となりました。

まさに、浩と咲子が話している年に、北海道は三つの県となり、まだ「北海道」の名称はありませんでした。

こうして、咲子と浩の時代は、「藩はなく、大日本帝国という統一国家」となりました。

とは言っても、もともと「会津藩という国家」の人間だった浩と咲子。

二人とも、「会津人」という認識を強く持っていました。

山川咲子

その方は、
どちらの出身なの?

山川浩

・・・・・

山川浩

もはや誤魔化す
状況にはない・・・

こう判断した浩は、思い切って言いました。

山川浩

実はだな、
咲子・・・

山川浩

・・・・・

決意したものの、表情が途端に険しくなり、引きつってしまった浩。

山川咲子

・・・・・

咲子も、浩の引きつった表情を見て、何かを感じました。

山川浩

・・・・・

そして、浩は思い切って言いました。

山川浩

実は、その方は
薩摩だ・・・

山川咲子

!!!!!

山川咲子

薩摩
・・・・・

山川咲子

薩摩・・・
なの・・・

夢見た「結婚相手」が「薩摩」であることに、表情が一気に強張ってしまった咲子でした。

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