前回は「「陛下の前で読むにたえない」ポツダム宣言〜「皇国」だった我が国・「天皇に近侍」侍従長と「軍部と宮中のパイプ役」侍従武官長〜」の話でした。
帝国政府・大本営が最後までこだわった「国体」:戦前の国体とは何か


現在の2026年から81年前である1945年、原子爆弾が立て続けに二発、日本に投下されました。
この時、事実上「日本一国で世界中を敵に回して戦っていた」状態でした。
現代の発想で考えれば、「原爆前に即時降伏」以外は、選択肢がない状況でした。
ところが、当時の列強国では考えられないほど、当時の日本=大日本帝国の意思決定機構は複雑でした。

この時、43歳の若き内閣書記官長(内閣官房長官)だった迫水久常。

戦後に迫水が表した「大日本帝国最後の四か月」において、いよいよ敗戦=終戦が近づいてきました。
大日本帝国最後の四か月宣言の内容は、到底陛下の前で
読むにたえないものだった。



私は読み上げながら、
涙があふれ出てきて、どうすることも出来なかった。



読み終わった後、私はどのようにして読んだのか、
ほとんど覚えていなかった。
現代の視点から見ると、ポツダム宣言は「普通の降伏勧告文」に見えます。
ところが、当時の軍人にとってはもちろん、政治家にとってもまた「読むに耐えない」文章でした。
「万死に値する屈辱」以外の何者でもなかった、ポツダム宣言。
当時の大日本帝国の国民(臣民)にとっては「到底受け入れ難いもの」でした。



この後、鈴木総理の氏名によって、東郷外相
が立ち上がって、一応の経過を説明した。





この際、戦争を終結させる
もっともよい機会であると思います。



そのためには、天皇陛下の地位、すなわち、
国体に変化がないことを前提として・・・



ポツダム宣言を無条件に
受け入れるのがよいと思われます。
ここで、東郷外相は再び、「天皇陛下の地位=国体」に触れました。
現在では「ない」とも言える、「国体」という不思議な言葉。
この「国体」に、帝国政府・大本営は最後までこだわったのでした。
それでは「国体」とは、一体なんなのでしょうか。
昔の日本・日本国民の根幹「国体」:陸軍「乙案連合国受諾」なら受諾


「国体」とは、文字通りに解釈すると「国の体」です。
つまり、「国家の形式」又は「国家の状況・状態」のように感じられます。
・大日本帝国の国家体制の根幹
・万世一系の天皇が日本を統治・君臨し、臣民(国民)は天皇に忠孝を尽くす
・天皇は大日本帝国を永久に統治する「不可侵の、絶対的存在」
「戦前の国体とは何か?」というのは難しいですが、簡潔に表現すると上の通りです。


とにかく「天皇の存在が絶対」であった戦前。
戦前の大日本帝国の国民は、「臣民」であり、「全員が天皇陛下の家臣」でした。
現在では信じられない状況ですが、当時、大日本帝国臣民にとって「天皇は神」でした。



そのためには、天皇陛下の地位、すなわち、
国体に変化がないことを前提として・・・



ポツダム宣言を無条件に
受け入れるのがよいと思われます。
東郷外相は、少し不思議な言い回しをしました。
「天皇陛下の地位=国体」に「変化がない前提で無条件受諾」を主張した東郷外相。
言葉の上では「無条件受諾」でしたが、明確に「天皇陛下の地位、国体の変化なし」という条件付でした。
ここで、軽く「条件」を「前提」と言い換えたのは、意図がありました。
「天皇陛下の地位=国体に変化がない」ことは、明らかに大日本帝国の「追加条件」でした。
連合国・米国に対して「条件」とは「言えない」ので、「前提」という言葉にしたと考えます。



ついで、阿南陸相が
指名された。





わたしは、外務大臣の意見には
反対であります。



今日、なお、我が軍の戦力は
絶滅したわけではありません。



敵が本土へ
攻め込んでくるなら・・・



それを契機にして大打撃を与えるのは、
まだ可能であります。



その際、また、終戦の機会が
与えられると思います。



したがって、今は死中に活を求める
気迫を持って進まなければいけないと考えます。



ただ、ここにある乙案によって
戦争を終結させることができるならば・・・



賛成してもよいと
考えています。
甲案:七月二十六日付三国共同宣言に挙げられた条件の中には、天皇の国法上の地位を変更する要求を包含しおらざることの了解のもとに日本政府は、これを受諾す。
乙案:七月二十六日付三国共同宣言につき、連合国において、
(一)日本皇室の国法上の地位の変更に関する要求は、未美宣言の条件中に包含しないものとする。
(二)在外日本軍隊はすみやかに自主的撤退をなしたる上、復員す。
(三)戦争犯罪人は、国内において処理する。
(四)保障占領はしないものとする
との了解に同意するにおいては、日本政府は戦争の終結に同意す。
「本土決戦」を強く主張していた阿南陸相でしたが、「乙案を連合国が呑むならよい」と言いました。
ところが、乙案は「連合国が到底承認しない」案でした。
つまり、阿南陸相は「事実上、戦争続行し本土決戦」を強く主張したのでした。
時は、1945年8月10日の真夜中。
| 日付 | 出来事 |
| 7月26日 | 連合国、日本政府へポツダム宣言通告 |
| 7月28日 | 日本政府、ポツダム宣言を「黙殺」と発表 |
| 8月6日 | 広島へ原爆投下 |
| 8月8日 | ソ連、日ソ不可侵条約の一方的破棄を日本へ通告 |
| 8月9日 | 長崎へ原爆投下 |
| ソ連軍、日本へ侵攻開始 | |
| 8月14日 | 日本政府、連合国へポツダム宣言正式受諾通知 |
| 8月15日 | 昭和天皇、玉音放送で国民に降伏告知 |
| 9月2日 | ミズーリ号で連合国、日本の間で降伏調印 |
帝国政府は、前日の「長崎原爆投下+ソ連参戦」においてもなお、論争を続けていました。
その一方で、着実に「日本の条件付降伏」の音は聞こえていたのでした。

