連合軍への降伏内容とは何か?〜降伏対象は「全日本軍」・日清日露第一次世界大戦と「負けたこと」がなかった日本〜|日本の降伏文書1・第二次世界大戦と戦後

前回は「無条件降伏とは何か?〜無条件降伏の対象は「日本」ではなく「日本軍」・大人しめの連合軍要求・超異常事態への昭和天皇の決断〜」の話でした。

目次

日清・日露・第一次世界大戦と「負けたこと」がなかった日本

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玉音放送を聞いて泣き崩れる日本国民(Wikipedia)

1945年8月14日、大日本帝国政府は、連合国に対し、正式にポツダム宣言を受諾しました。

その翌日の8月15日、昭和天皇が「ポツダム宣言受諾」を大日本帝国の国民に直接伝える玉音放送をしました。

以下は、大日本帝国を日本と呼びます。

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昭和天皇(Wikipedia)
昭和天皇

耐ヘ難キヲ耐ヘ
忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・

後世の視点から考えれば、「降伏するのが当然」の状況でしたが、当時の日本人にとっては違いました。

まず、当時の一般的な日本人は、当時の日本の状況を正確に知りませんでした。

大本営が発表する「大本営発表」によって、多数の人は「日本が勝っている」と思っていたのでした。

さらに、明治維新後、日清・日露・第一次世界大戦と「勝利し続けていた」日本。

「負けること」を一切知らなかった、体験したことがなかったこともまた、極めて大きな点です。

日付出来事
7月26日連合国、日本政府へポツダム宣言通告
7月28日日本政府、ポツダム宣言を「黙殺」と発表
8月6日広島へ原爆投下
8月8日ソ連、日ソ不可侵条約の一方的破棄を日本へ通告
8月9日長崎へ原爆投下
ソ連軍、日本へ侵攻開始
8月14日日本政府、連合国へポツダム宣言正式受諾通知
8月15日昭和天皇、玉音放送で国民に降伏告知
9月2日ミズーリ号で連合国、日本の間で降伏調印
1945年:敗戦(終戦)前後の状況

1945年7月26日以降の、主な歴史を時系列で並べると上のようになります。

上の歴史は「表の歴史」です。

実は、この前後には、政府と軍部の間、軍部内部、で無数のやり取りがあった「裏の歴史」があります。

日本の連合軍への降伏内容文書の具体的内容:降伏対象は「全日本軍」

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ミズーリ号で、日本の降伏調印に臨むマッカーサー連合国軍最高司令官(Wikipedia)

日本では、玉音放送が行われた「8月15日を終戦の日」としています。

対して、西欧諸国では、ミズーリ号における降伏調印した「9月2日を勝利(終戦)の日」としています。

降伏文書(国立公文書館アジア歴史資料センターによる翻訳)

降伏文書

我々はここに、アメリカ合衆国、中華民国およびグレート=ブリテ ンの政府首班が 1945 年 7月26日ポツダムにおいて発し、後にソヴィエト社会主義共和国連邦が参加した宣言の条項を、日本国天皇、日本国政府および日本帝国大本営の命により、かつこれに代わり受諾する。右 4 国は以下ではこれを連合国と称する。

我々はここに、日本帝国大本営ならびにいずれの位置にあるかを問わず全ての日本国軍隊および日本国の支配下にある全ての軍隊の連合国に対する無条件降伏を布告する。

我々はここに、いずれの位置にあるかを問わず全ての日本国軍隊および日本国臣民に対し、敵対行為を直ちに停止すること、全ての船舶・航空機・軍用および非軍用財産を保存し、これの毀損を防止すること、また連合国軍最高司令官またはその指示に基づき日本国政府の諸機関が課す全ての要求に応じることを命じる。

我々はここに、いずれの位置にあるかを問わず、全ての日本国軍隊および日本の支配下にある全ての軍隊の指揮官に対し、自身およびその支配下にある全ての軍隊が無条件に降伏するよう命令を直ちに発することを、日本帝国大本営に命じる。

我々はここに、全ての官庁・陸軍・海軍の職員に対し、連合国軍最高司令官がこの降伏実施のために適当だと認めて自ら発する、またはその委任に基づき発させる全ての布告・命令・指示を遵守し、かつこれを施行することを命じる。

同時に連合国軍最高司令官により、またはその委任に基づき特に任務を解かれない限り、右職員が各自の地位にとどまり、引き続き各自の非戦闘的任務を行うことを命じる。

我々はここに、ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること、ならびに右宣言を実施するために連合国軍最高司令官またはその他特定の連合国代表者が要求する全ての命令を発し、かつそのような全ての措置を執ることを天皇、日本国政府およびその後継者のために約束する。

我々はここに、日本帝国政府および日本帝国大本営に対し、現在日本国の支配下にある全ての連合国捕虜および被抑留者を直ちに解放すること、ならびにその保護、手当、給養および指示された場所への即時輸送のための措置をとることを命じる。

天皇および日本国政府の国家統治の権限は、この降伏条項を実施するため、適当と認める措置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれるものとする。

1945年 9月 2日午前 9 時 4 分、日本国東京湾上にて署名する。

重光葵

大日本帝国天皇陛下および日本国政府の命により、かつその名において。

梅津美治郎

日本帝国大本営の命により、かつその名において。          

前回、ポツダム宣言の際に「連合軍が求めた降伏対象は、日本軍」とご紹介しました。

今回は、降伏文書の中の、「降伏対象の具体的内容」に注目します。

上の降伏文書の冒頭において、「大本営」と「日本国軍隊および日本国の支配下にある全ての軍隊」です。

「大本営」は、日本の軍部の総指導部でした。

つまり、「日本軍に関わる総指導部及び各地の司令部の全ての軍隊」が対象です。

これは、一言「日本国軍隊」と呼称しても良いのですが、細かく規定しています。

その理由は、当時、日本は広大な領土を支配下にしていたことでした。

日本国軍隊以外にも、「日本の支配下の領土等」において、日本軍に協力する軍隊もいました。

そのことも想定した上で、連合国は「日本統治下の全ての軍隊」を明確に規定しました。

いずれにしても、連合国が求めた無条件降伏の対象は、「日本軍」です。

「無条件降伏」は、日本軍のみに対して適用されています。

ポツダム宣言同様、降伏したのは全日本軍であり、日本国及び日本国民は「無条件降伏していない」です。

そもそも、日本国及び日本国民は「無条件降伏を求められていない」のが事実でした。

正確には、下記が降伏内容となります。

日本の連合国への降伏

日本国軍隊及び日本国支配下の全軍隊は、連合軍に対し無条件降伏を受け入れ、日本国及び日本政府は、連合国に降伏した。

この「降伏に対する解釈」は、様々な意見があります。

まず、「降伏文書の内容」を読んでおくことが、日本人として大事な姿勢と考えます。

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