前回は「三国共同宣言条件への追加条件「甲案と乙案」〜絶対条件「国体護持」・最高戦争指導会議メンバー「偶数から奇数」へ・平沼議長への根回し〜」の話でした。
「天皇に近侍」侍従長と「軍部と宮中のパイプ役」侍従武官長

1945年8月10日御前0時頃から開始した、戦争最高指導会議。
・帝国政府:鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相
・大本営:梅津参謀総長、豊田軍令部総長
・枢密院:平沼議長(特例)
・幹事:吉積陸軍軍務局長、保科海軍軍務局長、迫水内閣書記官長、蓮沼侍従武官長(幹事役)
ここで、議論されたのは「ポツダム宣言受諾への条件」でした。
甲案:七月二十六日付三国共同宣言に挙げられた条件の中には、天皇の国法上の地位を変更する要求を包含しおらざることの了解のもとに日本政府は、これを受諾す。
乙案:七月二十六日付三国共同宣言につき、連合国において、
(一)日本皇室の国法上の地位の変更に関する要求は、未美宣言の条件中に包含しないものとする。
(二)在外日本軍隊はすみやかに自主的撤退をなしたる上、復員す。
(三)戦争犯罪人は、国内において処理する。
(四)保障占領はしないものとする
との了解に同意するにおいては、日本政府は戦争の終結に同意す。
大日本帝国最後の四か月陛下は蓮沼侍従武官長を連れて、
お席の、後ろの入り口から入ってこられた。


藤田侍従長が表した「侍従長の回想」をご紹介しました。
当時の宮中には、侍従長と侍従武官長の二人がいました。
侍従武官長は、文字通り「武官=軍人」でしたが、侍従長は「武官でなくても良い」のが特徴です。
「どちらの権限が強いか」は諸説ありますが、「役割が違う」が正しいです。
戦時中、侍従長は軍人であることが多く、鈴木首相も「元侍従長」でした。
侍従長は「ある程度の年齢」であることが多いのに対し、侍従武官長は「バリバリの現役軍人」でした。
そして、「軍部と宮中のパイプ役」であったのが、侍従武官長でした。
侍従長:天皇に近侍する世話役。比較的高齢者が多い。
侍従武官長:軍部と宮中のパイプ役。比較的若手。
「軍部中心の議論」であったため、昭和天皇は「侍従長ではなく、侍従武官長とした」と考えます。
ちなみに、侍従長は現在廃止されましたが、侍従は現在も残っており重要な役職です。
「陛下の前で読むにたえない」ポツダム宣言:「皇国」だった我が国


怖い印象が強い帝国陸軍の中でも、侍従長になるだけあって、蓮沼侍従長は温厚な人物でした。



ご心痛の様子が
ありありとうかがわれた。



私は、陛下の髪の毛が乱れて、数本ひたいの
ところへ垂れ下がっていたのを覚えている。



・・・・・
昭和天皇は「ご心痛」であり、参加者は極めて疲弊していました。





議長の鈴木総理は、
私に、



ポツダム宣言の全文を
朗読せよ。



と
命じた。
皆が「完全に了解していたはず」である、ポツダム宣言が再度会議で朗読されました。
宣言
合衆国、中国および連合王国の政府首脳による宣言
一 我々、合衆国大統領と中華民国国民政府主席およびグレートブリテン首相は、我々の数億の国民を代表して協議を行い、日本にこの戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。
二 合衆国と大英帝国および中国の巨大な陸海空軍は、西方から自国の陸空軍による数倍の増強を受け、日本に対して最後の一撃を与える態勢を整えた。この軍事力は、日本が抵抗を停止するまで、対日戦争を遂行する全ての連合国の決意により支持され、また鼓舞されるものである。
三 覚醒した世界の自由な人々の力に対するドイツによる無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本国民に対する極めて明白な先例である。現在、日本に対し集結しつつある力は、ナチスの抵抗に対し適用され、必然的に全ドイツ国民の土地、産業および生活様式に荒廃をもたらしたそれとは比較できないほど強大である。我々の軍事力は我々の決意のもとで最大限に行使され、それは日本国軍隊の不可避かつ完全な壊滅と、同じく不可避的な日本国本土の完全な荒廃を意味することになる。
四 愚かな打算により日本帝国を消滅の寸前まで陥れた身勝手で軍国主義的な助言者らに支配され続けるのか、それとも理性による道を歩むのかを、日本が決定すべき時が来たのである。
五 我々の条件は次のとおりである。我々は、これらの条件を逸脱することはない。これらに代わる条件は存在しない。我々は、遅延を許容しない。
六 日本国民を騙して道を誤らせ、世界征服に乗り出させた者たちの権力および勢力は、永久に除去されなければならない。無責任な軍国主義が世界より駆逐されるのでなければ、平和と安全および正義の新秩序が生じ得ないことを、我々は主張するからである。
七 そのような新秩序が建設され、かつ日本の戦争遂行能力が破壊されたことについて確証を持つことができるまでは、連合国が指定する日本国領域内の諸地点は、占領されなければならない。我々がここで述べる基本的な目的の達成を確実とするためである。
八 カイロ宣言の条項は履行されなければならず、また、日本の主権は本州、北海道、九州および四国、ならびに我々の決定する諸小島に限定されなければならない。
九 日本国軍隊は、武装を完全に解除された後、各自の家庭に復帰して平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられなければならない。
十 我々は日本人を民族として奴隷化したり、国民として滅亡させる意図を有さないが、我々の捕虜に対して虐待を行った者を含む一切の戦争犯罪人には、厳格な処罰が下されなければならない。日本政府は、日本国民の間における民主主義指向の再生および強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立されなければならない。
十一 日本は、自国の経済を支え、正当な現物賠償の強制取立てを可能とするような産業の維持を許される。ただし、戦争のための再軍備を行うことを可能とするような産業の維持は許されない。この目的のため、原材料の統制とは異なる形で、原材料の入手を許されるものとする。日本は、将来的には世界貿易関係への参加を許されるものとする。
十二 これらの目的が達成され、日本国民の自由意思に基づき、平和指向かつ責任ある政府が樹立された場合は、連合国の占領軍は、直ちに日本から撤収するものとする。
十三 我々は、日本政府に対して、直ちに全日本軍隊の無条件降伏を宣言することを要求し、その行動における同政府の誠意について、適切かつ充分な保証を提供するよう要求する。日本にとって他の選択肢は、迅速かつ完全な破壊のみである。
ポツダムにて、1945年7月26日
ハリー・トルーマン
ウィンストン・チャーチル
中華民国政府主席



宣言の内容は、到底陛下の前で
読むにたえないものだった。



私は読み上げながら、
涙があふれ出てきて、どうすることも出来なかった。
明らかに「日本軍部に向けた挑戦状」であった「日本降伏」を提示したポツダム宣言。
その一方で、当時の日本人にとって「日本=皇国」であり、「完全無欠の我が国家」でした。
その「完全無欠の我が国家」に対して、恫喝してきたかのようなポツダム宣言を朗読すること。



・・・・・
それは当時の日本人にとって、極めて苦痛であり「堪え難い苦痛」でした。



読み終わった後、私はどのようにして読んだのか、
ほとんど覚えていなかった。
当時の軍人のみならず、日本政府から見ても「屈辱」以外の何者でもなかったポツダム宣言。
そして、「ポツダム受諾」に向けて、最終協議がいよいよ始まります。

