前回は「合理的な米国流発想「日本主権の島の順序」〜「面積」と「北から」・「超ベテランの風格」鈴木貫太郎首相・ポツダム宣言の条件と意図〜」の話でした。
「降伏の仲介役」模索した日本:「日露仲介者」ルーズベルト大統領

1945年7月26日、連合国から大日本帝国に対してポツダム宣言が発令されました。
当時、大日本帝国と呼ばれた我が国を、日本と呼びます。
当時、日本側は必死で、連合国への降伏を様々な路線で模索していました。
現在の視点から考えれば、日本にとっては「連合国=米国」だったので、
日本人A降伏を模索するなら、
米国に打診するのが最も早いのでは・・・
このように「米国に直接打診」が最も良く・早いのが、当然の論理です。
ところが、日露戦争の時に米国に「日露の間の仲介をしてもらった」記憶が濃厚だった日本。





ま〜ま〜、Russia(ロシア)と
Japan(日本)のみなさん・・・



いかがでしょう、
このあたりで、講和をしてみては・・・



そして、戦争をもう
やめませんか・・・



我がUnited States(米国)が、
間に入りましょう・・・
ルーズベルト米大統領が、当時の日露の間に割って入って、仲立ちしました。



それとも、私の提案を無視して、
United States(米国)を敵に回します?
強面のルーズベルト大統領が上手く仲介してくれたおかげで、日露戦争は上手く終わりました。


セオドア・ルーズベルト大統領は、第二次世界大戦のフランクリン・ルーズベルト大統領の親戚です。
この「セオドア・ルーズベルト大統領のような仲介者」を期待していたのが、1945年の日本でした。
ポツダム宣言「黙殺」がもたらしたもの:「半同盟国」ソ連頼った日本外交


そして、「セオドア・ルーズベルト」の代わりに、当時の日本が頼ったのがソ連でした。
| 国家 | 国家元首 | 就任年・月 |
| 米国 | ルーズベルト 大統領 | 1933年3月 |
| トルーマン 大統領 | 1945年4月 | |
| 大英帝国 | チャーチル 首相 | 1940年5月 |
| アトリー 首相 | 1945年7月 | |
| 大日本帝国 | 東條英機 首相 | 1941年10月 |
| 小磯國昭 首相 | 1944年7月 | |
| 鈴木貫太郎 首相 | 1945年4月 | |
| ソビエト連邦 | スターリン書記長 | 1929年 |
当時の国家元首の中で、圧倒的に長期政権を担っていたスターリン書記長。
さらに、日ソ中立条約によって、「日本とソ連は半同盟国」でした。
とはいっても実は、「1946年に終了予定」だった日ソ中立条約に関して、



我がソ連は、
日本と条約を延長しません・・・



だから、来年には
日ソ中立条約は失効しますよ・・・
ソ連は「条約の延長を拒否」する姿勢を明確にしており、明確に距離を置いていました。
それにも関わらず、ソ連を頼った日本外交は、「致命的大失策」を推進したのでした。
宣言
合衆国、中国および連合王国の政府首脳による宣言
一 我々、合衆国大統領と中華民国国民政府主席およびグレートブリテン首相は、我々の数億の国民を代表して協議を行い、日本にこの戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。
二 合衆国と大英帝国および中国の巨大な陸海空軍は、西方から自国の陸空軍による数倍の増強を受け、日本に対して最後の一撃を与える態勢を整えた。この軍事力は、日本が抵抗を停止するまで、対日戦争を遂行する全ての連合国の決意により支持され、また鼓舞されるものである。
三 覚醒した世界の自由な人々の力に対するドイツによる無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本国民に対する極めて明白な先例である。現在、日本に対し集結しつつある力は、ナチスの抵抗に対し適用され、必然的に全ドイツ国民の土地、産業および生活様式に荒廃をもたらしたそれとは比較できないほど強大である。我々の軍事力は我々の決意のもとで最大限に行使され、それは日本国軍隊の不可避かつ完全な壊滅と、同じく不可避的な日本国本土の完全な荒廃を意味することになる。
四 愚かな打算により日本帝国を消滅の寸前まで陥れた身勝手で軍国主義的な助言者らに支配され続けるのか、それとも理性による道を歩むのかを、日本が決定すべき時が来たのである。
五 我々の条件は次のとおりである。我々は、これらの条件を逸脱することはない。これらに代わる条件は存在しない。我々は、遅延を許容しない。
六 日本国民を騙して道を誤らせ、世界征服に乗り出させた者たちの権力および勢力は、永久に除去されなければならない。無責任な軍国主義が世界より駆逐されるのでなければ、平和と安全および正義の新秩序が生じ得ないことを、我々は主張するからである。
七 そのような新秩序が建設され、かつ日本の戦争遂行能力が破壊されたことについて確証を持つことができるまでは、連合国が指定する日本国領域内の諸地点は、占領されなければならない。我々がここで述べる基本的な目的の達成を確実とするためである。
八 カイロ宣言の条項は履行されなければならず、また、日本の主権は本州、北海道、九州および四国、ならびに我々の決定する諸小島に限定されなければならない。
九 日本国軍隊は、武装を完全に解除された後、各自の家庭に復帰して平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられなければならない。
十 我々は日本人を民族として奴隷化したり、国民として滅亡させる意図を有さないが、我々の捕虜に対して虐待を行った者を含む一切の戦争犯罪人には、厳格な処罰が下されなければならない。日本政府は、日本国民の間における民主主義指向の再生および強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は確立されなければならない。
十一 日本は、自国の経済を支え、正当な現物賠償の強制取立てを可能とするような産業の維持を許される。ただし、戦争のための再軍備を行うことを可能とするような産業の維持は許されない。この目的のため、原材料の統制とは異なる形で、原材料の入手を許されるものとする。日本は、将来的には世界貿易関係への参加を許されるものとする。
十二 これらの目的が達成され、日本国民の自由意思に基づき、平和指向かつ責任ある政府が樹立された場合は、連合国の占領軍は、直ちに日本から撤収するものとする。
十三 我々は、日本政府に対して、直ちに全日本軍隊の無条件降伏を宣言することを要求し、その行動における同政府の誠意について、適切かつ充分な保証を提供するよう要求する。日本にとって他の選択肢は、迅速かつ完全な破壊のみである。
ポツダムにて、1945年7月26日
ハリー・トルーマン
ウィンストン・チャーチル
中華民国政府主席
「降伏模索」の中、連合国から「事実上の最後通牒」として突きつけられたのがポツダム宣言でした。





全日本軍隊は
抹殺する!



日本は降伏して、占領された後、
しばらくしたら、我らは撤収する!
「とにかく明確」であったポツダム宣言は、米国主導で発令されました。
ポツダム宣言発令の1945年7月26日の時点では、ソ連は「発令側」に入っていませんでした。
そして、ポツダム宣言に対して「黙殺」と公表した日本政府。
この「黙殺」の表現の公表に関しては、諸説あります。





ポツダム宣言を
黙殺します・・・
現在、当時の鈴木貫太郎首相が「黙殺する」と発言した映像等は残っていません。
おそらく、「発言した映像は存在しない」と考えます。
「黙殺」は、当時の日本政府が公表した「公式声明」でした。
この「黙殺」は、鈴木首相の「真意ではなかった」説もあり、「何者かが作った」説もあります。
| 日付 | 出来事 |
| 7月26日 | 連合国、日本政府へポツダム宣言通告 |
| 7月28日 | 日本政府、ポツダム宣言を「黙殺」と発表 |
| 8月6日 | 広島へ原爆投下 |
| 8月8日 | ソ連、日ソ不可侵条約の一方的破棄を日本へ通告 |
| 8月9日 | 長崎へ原爆投下 |
| ソ連軍、日本へ侵攻開始 | |
| 8月14日 | 日本政府、連合国へポツダム宣言正式受諾通知 |
| 8月15日 | 昭和天皇、玉音放送で国民に降伏告知 |
| 9月2日 | ミズーリ号で連合国、日本の間で降伏調印 |
そして、上の歴史の事実から「ポツダム宣言『黙殺』がもたらしたもの」は明らかです。
いずれにしても、この「黙殺」は致命的な悪影響をもたらしました。
当時の日本、未来の日本、そして、現代の日本、に対して。

