前回は「阿蘭陀本草和解など漢訳洋書奨励した吉宗〜洋書厳禁→解禁まで約80年・「内向き思考」だった徳川幕府・島原の乱の激震とキリスト教の恐怖〜」の話でした。
「太平の世」江戸時代もたらした「超内向き思考」:鎖国と冬眠状態

| 幕軍 | キリスト教徒軍 | |
| 兵力 | 124,000名 | 37,000名 |
| 死傷者数 | 8,000名〜 | 全滅 |
島原の乱で、キリスト教徒・キリシタンの底力を「思い知らされた」徳川幕府。

徳川家光なんなんだ、一体・・・
なぜ、キリシタンはこんなに強いのだ・・・
12万名以上の幕軍を相手に、4万弱の武器が貧弱な農民主体の「キリスト教徒軍」が戦いました。
武器や装備がはるかに上だった幕軍。
1637年から1638年に勃発した島原の乱は、1615年の大坂夏の陣から22年余り経過していました。


つまり、太平の世とは言え、まだまだ「戦場で戦った経験者が多くいる」時代でした。
この視点から考えれば、「楽勝であるはず」だった幕軍は「キリスト教徒軍」相手に大苦戦しました。



一体、なぜ、こんなに
大苦戦したのだ・・・



こんな反乱は二度と
起こさせん!
そして、キリスト教の反乱を「絶対に未然に防ぐ」決意をした将軍・家光。



我が国は国を
鎖ざす!



もちろん、洋学や
洋書は禁止だ!
1.長崎・出島:徳川幕府の公式窓口(オランダ・中国)
2.対馬・宗氏:徳川幕府が公認・間接的関与(朝鮮)
3.蝦夷・松前氏:徳川幕府が半公認・間接的関与(蝦夷及びアイヌ)
4.薩摩・島津氏:徳川幕府は非公認・事実上黙認(琉球・中国・東南アジア)



我が徳川幕府の
公式窓口は、長崎のみ!
家光は、「国を鎖ざす」という世界史上、前代未聞の「大英断」に踏み切りました。
1800年代から、徐々に海外との折衝が増えた日本。
この家光の謎の「大英断」によって、150年以上は「冬眠状態」に陥ったのが日本でした。
鎖国によって、「内向き思考」となってしまった日本及び日本人。
その一方で、確かに鎖国によって、江戸時代の太平の世が実現されたことも事実でした。
ベトナムからゾウを呼んだ徳川吉宗:「日本初のゾウ」長崎から江戸へ





漢訳洋書も蘭書も蘭学も
解禁だ!
この「冬眠状態」を打破したのが、8代将軍・吉宗でした。



皆のもの、
この将軍吉宗の指令を直ちに実行せよ!
漢訳洋書・蘭書・蘭学の大幅解禁に、「将軍の特権」によって一気に踏み切った吉宗。





皆で洋学を学んで、
産業も農業も増強するのだ!



学問は楽しいぞ!
そして、実利もあるぞ!
「勉強大好き」だった吉宗は、旗本や武士たちに学問奨励するだけでなく、自らも大いに学びました。



な、なにっ!
外国にはゾウという巨大な動物がいる、だと?



それは面白い!
そのゾウとやらを、連れてきてくれ!
当時、日本にはいなかったゾウに大いに興味を持った吉宗。


吉宗の命令で、ベトナムからゾウが運ばれてきました。



ほぅ〜・・・
これがゾウか・・・
そして、江戸に連れて来させたゾウを見て、将軍吉宗は大いに興奮しました。


この「ベトナムから来たゾウ」の話は、「安南紀略藁(あんなんきりゃくこう)」という書籍にあります。
ベトナムから遥々船で運ばれて長崎にやってきたゾウ。



私が
ゾウさんです・・・
長崎から江戸も船で運ぶと思いきや、長崎から江戸までゾウは歩きました。



長崎から江戸まで
歩かされたんですよ・・・
この「ゾウを歩かせた」のは、おそらく将軍・吉宗の命令と思われます。



ゾウという生き物が
長崎に着いたか!



よしっ!
皆のものに、ゾウを見せよ!



見たことがない動物を
見れば、皆多いに興味が引かれるであろう!
こうして「日本初のゾウ」は、将軍吉宗によってもたらされました。
長崎から江戸まで、「ゾウが歩いて何日かかったのか」は大変興味ありますが、不明です。



ゾウが長崎から
江戸まで歩く間、ずっと警護しなければ・・・
ゾウを警護・護衛する「ゾウさん護衛兵」が、数名は付き従っていたはずです。



ゾウさんに歩調を
合わせねば・・・
役目とはいえ、「ゾウさん護衛兵」たちは、さぞかし大変だったでしょう。
「百聞は一見にしかず」を実行した将軍吉宗。



あれが
ゾウだって!



とてつもなく
大きい動物ね!
生まれて初めてゾウを見る当時の民衆は、大騒ぎだったでしょう。



皆のもの、世界には
いろいろな動物がいるのだ!
「学問好き」の将軍・吉宗によって、江戸時代の士農工商の全ての人は、大いに目を開くことになりました。
そして、吉宗による「漢訳洋書・蘭書・蘭学の大幅解禁」は、「歴史の扉を開いた」と言えるでしょう。
「徳川から明治への歴史の扉」を。


