前回は「「事変」と「戦争」の違い〜宣戦布告の有無と日本語の解釈・対米英戦の大日本帝国の詔勅=宣戦布告文・天皇から国民への宣言〜」の話でした。
「近代的だった新政府軍」vs「旧体制的だった徳川幕府」の図式と事実

明治維新によって、一気に近代国家に生まれ変わった大日本帝国。
この「一気に近代国家へ」には、様々な意見や見方があります。


我が徳川はフランス式の
軍制を取り入れる!
「近代的だった新政府軍」vs「旧体制的だった徳川幕府」という図式で語られることが多い幕末。
実際には、徳川幕府もまた、近代化を急速に推し進めていたのが実態です。
当時、飛び抜けた科学技術力を有していた薩摩藩や佐賀藩などの雄藩がありました。



薩摩や佐賀が優れた技術を
持っていることは認めよう・・・



だが、我が徳川も
負けてはおらんぞ!
その一方で、当時の日本という国家は、どこから見ても「徳川幕府がトップ」であり、



我が徳川こそが、
日本の主なのだ!
「最後の将軍」となった徳川慶喜は、大政奉還後もこう考えていたでしょう。
「国学のメッカ」水戸藩に生まれた徳川(一橋)慶喜。
若い頃から、頭脳明晰の評判高かった慶喜は、国学を中心に一生懸命様々な学問を学んでいました。



我が徳川は、最先端の
学問を学ぶ蕃書調所も設立した!
当時、蘭学を学ぶ中心地として蕃書調所(ばんしょしらべしょ)を1856年に設立した徳川幕府。


蕃書調所は後に開成所(かいせいじょ )につながり、現代の東大・東京外国語大学に変化します。
「全てが遅れていた悪しき存在」であるかのように、語られることもある徳川幕府。
実は、徳川幕府は最先端教育に対して、かなり力を入れて世界に目を向けていたのでした。
長崎にオランダ国旗を立て続けた日本:オランダから日本への好意





Hello!
Japan(日本)の皆さん!
1853年、ペリーが浦賀にやってきて、日本に通商を求めました。



我がUnited States(米国)と
協定を結びましょう!
米国の提督であったペリーは、はるばる米国から日本に艦隊を引き連れてきました。
この「ペリー来航=黒船来航」は、「突然の出来事」だったのではありませんでした。





徳川幕府の
みなさん・・・



United States(米国)が
Mexico(メキシコ)と戦争して勝利しました。



そして、California(カリフォルニア)を得て、
どんどん西に向かっています・・・



そのうち、Japanに
やってくるでしょう・・・
長崎において、「正式に交易していた数少ない国」の一国であったオランダ。
オランダは「オランダ通詞(つうじ)」という通訳担当の官僚を長崎に置いていました。
「オランダ通詞」は通訳を超えて、外交官にも準じる役目を果たしていました。
現代、「それほど近い存在ではない」オランダと日本。
日本において、オランダが話題になることは、ほとんどありません。
一方で、欧米は「オランダを中心」として考えていたのが当時の日本及び徳川幕府でした。


この「オランダ中心」は、徳川幕府の「特殊すぎる政策」鎖国によるものでした。
1.長崎・出島:徳川幕府の公式窓口(オランダ・中国)
2.対馬・宗氏:徳川幕府が公認・間接的関与(朝鮮)
3.蝦夷・松前氏:徳川幕府が半公認・間接的関与(蝦夷及びアイヌ)
4.薩摩・島津氏:徳川幕府は非公認・事実上黙認(琉球・中国・東南アジア)
鎖国に関する社会の記述問題の話を、上記リンクでご紹介しています。
当時は、明らかに西洋が時代の最先端を走っていました。
そして、その後ろをゆくアジアの地域は、どんどん欧米の植民地となっていた時代でした。
オランダもまた東南アジアに巨大な植民地を持っていて、「植民地国家の一つ」でした。



我々、The Neherland(オランダ)は
Japanに好感を持っている・・・
実は、この頃のオランダは、日本に対して「大いなる好感」を持っていました。





全Europe(欧州)を
我が手に!
1800年頃、欧州ではナポレオン率いるフランス軍が暴れまくり、フランス帝国を築きました。
圧倒的に強力であったフランス軍に、周囲の国家はどんどん併呑されました
そして、オランダもまたフランスに併呑されてしまいました。



我がThe Neherlandが
France(フランス)に占領された時・・・



Japanは、Nagasaki(長崎)に
我が国の国旗を立て続けてくれた・・・
オランダがフランスに敗北し、一時的とはいえ「国家がなくなった」ことを知っていた当時の徳川幕府。



オランダが
フランスに併呑されてしまったか・・・
ここで、幕府は「ちょっとした男気」をオランダに見せました。



オランダとは
長い付き合いだし・・・



今は、オランダという
国家が消滅してしまったが・・・



長崎にオランダの国旗は
立て続けよう・・・


「オランダとの長年の付き合い」を重視して、幕府は長崎にオランダ国旗を立て続けました。



我が国がFranceに
敗北して消滅したが・・・



我がThe Netherland(オランダ)の
国旗がNagasakiでは翻っている・・・
「国家が消滅した」オランダ人にとって、長崎で翻っていたオランダ国旗は「精神の拠り所」となりました。



おお・・・
我がThe Netherland(オランダ)よ・・・



Tokugawaには
多大な恩義を感じる・・・
このこともあり、オランダは積極的に「欧州発の海外情報」を幕府に提供し続けていたのでした。



Tokugawaには、
世界の情報を教えてあげよう・・・
現代も当時も、「世界における重要な情報」は、すべての国家にとって極めて重要です。
「ペリー来航」という幕府にとって「驚天動地の事態」もまた、



来年あたり、
米提督が来ますよ・・・



そうですか・・・
う〜む・・・
オランダから、徳川幕府に事前にハッキリと知らされていたのでした。