寡黙で強い芯を持っていた西郷少年〜挫折をバネに・12歳で大怪我・右腕の大きな負傷・武術剣術の無念の断念・マイナスをプラスへ転化・発想転換して「出来ること=学び」を懸命に〜|西郷隆盛10・人物像・武術・学問

前回は「西郷隆盛が基礎を固めた若き日々〜郷中教育と造士館・基礎を固める大事さ・基礎から生まれる応用力・頭の良さと勉強・西郷と大久保と木戸の比較〜」の話でした。

西郷 隆盛(国立国会図書館)
目次

寡黙で強い芯を持っていた西郷少年

寺子屋(Wikipedia)

郷中教育に加えて、造士館でも学び、まじめに勉学をしていた西郷少年。

薩摩という特殊な士風があった藩であったため、寺子屋などよりは厳格なイメージがあります。

郷中教育、造士館ともに、

強くない
男子は、薩摩男子じゃなか!

人生の基礎的な
学問を身につけていない男はダメごわす!

このような強烈な風土があったでしょうが、寺子屋のようにワイワイガヤガヤ楽しんだ面もあったでしょう。

四書・五経は
とても深く、人生に役立つごわす・・・

おいどんのような下級藩士が藩の
役に立つには、算盤が大事ごわす・・・

郷中教育と造士館の二つで懸命に学び続けた西郷少年。

双方で学んでいた少年は当時の薩摩に一定数おり、珍しいことではなかったでしょう。

一方で、郷中教育と造士館の双方で「一生懸命学び続けた」西郷少年は、後の基礎を築いたのでした。

当時から寡黙・無口であった西郷少年。

あのさあ、
〜って〜だよな〜!

・・・・・

あまり話さない子どもだったのですが、かなり強気で強い芯を持った人物でした。

12歳で大怪我・右腕の大きな負傷:武術・剣術の無念の断念

その西郷少年がもうすぐ13歳になろうとする、12歳の1839年の秋に突然悲劇に襲われます。

藩校造士館からの帰路、大喧嘩して右腕を大きく負傷する怪我を負ってしまったのです。

小さな頃から大きな体格だった西郷少年は、無口だったと言われます。

話すのは、それほど
好きではないごわす・・・

こういう子どもは、いじめに遭いやすいのが今も昔も変わりません。

あいつ、
大人しそうだぞ!

と、見られてしまうのです。

何ごわすか!

喧嘩をして相手を投げ飛ばしたものの、帰り道に待ち伏せを受けます。

おいっ!
やっちまえよ!

待ち伏せ
とは!

卑怯
ごわす!

待ち伏せされて、突然攻撃された西郷。

若き西郷少年は懸命に防戦して、大喧嘩となります。

大げんかの最中に相手の刀の鞘が破れてしまい、右肘を大怪我します。

うう・・・・・

これは
大層な怪我だ・・・

しばらくは、治療に専念した西郷少年。

傷は治ったものの、右腕がうまく効かなくなってしまいます。

右腕が・・・

これでは、
武道は諦めるしかなか・・・

これは少年にとっては、非常な挫折です。

当時下級武士とは言え、「武士のはしくれ」だった西郷少年。

士農工商の階級社会の中、「武士が一番偉い」のでした。

中でも、「武を最も重んじる」薩摩藩。

この薩摩において、「武術を諦める」のは、大変な苦痛でした。

マイナスをプラスへ転化:発想転換して「出来ること=学び」を懸命に

島津藩主 島津斉彬(Wikipedia)

のちに、藩主島津斉彬に大いに可愛がられて、世に出るきっかけを作った西郷。

そして、12才で大挫折をした西郷少年。

日常生活は問題ありませんが、右腕が効きにくく、武術をやる状況ではありません。

「武士」に生まれて、「武士で最も大事な武術ができない」体になりました。

残念だ・・・・・

薩摩っ子に生まれたからには、
「チェスト!」とやりたかった。

武士で、最も大事なのは剣術です。

剣術は様々な流派がありますが、中でも示現流で有名な薩摩。

チェスト!

と思い切り、相手に突進して切りかかる壮絶な剣術でした。

「チェスト!」の示現流は、単なる剣術の一派にとどまらない存在でした。

この「チェスト!」の精神こそが薩摩藩士の「最も大事なもの」でした。

後の幕末の討幕戦において薩摩藩士が中心的役割を果たしたのもまた「チェスト!」の精神でした。

仕方なか・・・

くよくよしても
始まらぬ・・・

勉強を
頑張ろう!

以後はこれまで以上に、読書にそろばんに、様々懸命に学びます。

そして、この「挫折をバネにして」大いに西郷は成長します。

西洋の進んだ技術に大いに興味を持ち、薩摩藩を挙げて技術革新を強力に推進した島津斉彬。

自身も、大変な勉強家でした。

勉強家は「よく勉強する人」が好きです。

下級武士だった西郷が、のちに世に出る契機となった、島津斉彬との関係。

それは、西郷の「小さな頃の挫折をバネに、武術から勉強にエネルギーを集中的に向けた」結果でした。

12歳という少年には、あまりに厳しい「大いなる最初の挫折」を受けた西郷少年。

勉強する
しかなか!

この意味において、結果的に西郷にとって非常にプラスに働いたのでした。

この「マイナスをプラスに転化する力」もまた、大人物・西郷隆盛ならではでしょう。

新教育紀行

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